ふたり回し

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精神は観測者に起こる現象である

 

AIは精神になりえるかとか、精神をコンピュータにインストールできるかという話は頻出だけど、この問いは結局堂々巡りで終わってしまう気がする。 というのも、議論の前提になっている精神とは何かという定義がとても薄弱だから。 で、私は精神というものは、あるとかないとかいうものではないと思っている。 といっても完全な不可知論ではなくて、「精神」の根幹にあるのは結局「共感」じゃないかというのが私の考え。 つまり、精神はそれ自体ではなくて、見る側というか受け手側に依存している現象だということ。 人間の精神ですら例外ではない。 ミクロ的な実態としては個別の思考シークエンスがあるだけで、統一された自我というものはない、ということ自体は、お釈迦様が何千年も前に看破してしまった類のことではあるのだけれど。 ただ、それを一つの精神と「見立て」ているだけ。 つまり縁起ってこと。 そういう意味では、全く思考しないピアノにさえも人間は精神を見出したりする。 一度これを認めてしまうと、ハードルはぐっと下がる。 物理的な実体さえなくて、クラムボンでもよかったりする。 最終的な問題は、人間が共感可能かどうかだ。 AIが精神を持つかどうかという問いに対しては、是ということになる。 と同時に、自分さえ精神を持たないのではないかという問いに対しても是ということになる。