ふたり回し

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移植ー5

最近アグラーヤさん普通の場面で出てこないな……

 「ドミニク、動かせるボルゾイは何台ある?」
 暫くするとニコライが様子見に現れ、班長と相談を始めた。ハンガーには、何台のトラックが割り当てられるのだろうか。十トン車でも一台に詰めるのはせいぜいボルゾイ三台。他にも運ぶ物や人が山ほどあることを考えれば、設備どころか、ボルゾイも置いていく羽目になるかもしれない。暫くしてニコライが帰ってしまうと、班長は全員の顔を見渡した。
「皆も薄々分かってると思うけど、引っ越しの段取りが決まったよ」
 地下トンネルから敵が撤収したことを確認できたので、途中まではトンネルを使うらしい。別の廃坑でトラックで載せ換え、そこからさらに北の廃村までピストン輸送を行うのだという。バザールの開きようがないため、街の人々は他のアジートに離散、村に移り住むのは最小限の人間だけだ。クレーンやオイルのタンクを搬出するのか先輩が尋ねると、班長は首を横に振った。
「当面は作戦もないし、村はほとぼりが冷めるまでの単なる繋ぎだって」
 ボルゾイも保管するだけで、整備の回数も減るだろう。ニコライの意向を知って、アレク達は互いの顔を見合わせた。
 トロッコの順番が回ってくるのは翌朝。三号車の解体が片付くと搬送の準備が始まったが、とにかくトロッコの駅までバンが往復するのに時間がかかる。途中で荷造りが終わってしまい、後半は待つだけの時間が続いた。カルラに申告した就業時間から、猶に三時間が過ぎている。ホテルに戻っていてくれていればいいが、待たせてしまっているかもしれない。息を切らせてとぼとぼと帰って来ると、意外な人物がアレクを出迎えた。
「アレク、おかえり。こんなに遅くまで、大変だったね」
 アグラーヤだ。名前以外の言葉が、口の中に隠れたまま震えている。
「アタシさぁ、正直アレクとはもう絶交って思ってたんだ。でも、最近許してあげてもいいんじゃないか、って思えるようになった」
 アレクは街に住んでたから、びっくりしちゃうのはしょうがないかもって。肩越しにアレクを見やり、アグラーヤはキャミソールの肩紐を直した。大きく空いた白い背中もスカートのウエストからはみ出した下着も、薄暗い坑道にはそぐわない。問い質すことさえ出来ずに立ち尽くしていると、アグラーヤは歩み出てミュールの踵をアレクの影に突き刺した。
「だからアレクが謝るなら、もう一回だけチャンスをあげる……もう一回連れて行ったげるよ」
 着け爪の切っ先がアレクの喉を撫で、顎の縁をなぞりながらうなじへと這い上がってくる。やわらかな微熱がべったりとアレクに張りつき、無花果の香りと淡い吐息が絡みつく。実際にアレクを捉えているのは、しかし、殺意よりも冷たい眼差しだった。奥の部屋で迫られたときとは違う。何を言ってもアグラーヤは納得しないだろう。
「ご、ごめ――」
 口を開いた途端、柔らかな肉が滑り込んできた。アグラーヤが舌をめくり上げ、自分の側に吸いだそうとしている。歯がぶつかり合う痛々しい音と、頬に当たる荒々しい鼻息。ざらざらと滑り合う舌触りの生々しさに脇を掴んで引き離そうとすると、アグラーヤは容赦なく先端に噛みついた。鉄の味が広がり、際どい痛みに舌が縮む。堪らず吐き捨てた唾には、赤い筋が混じっていた。
「嘘じゃん。ホントは反省してないよね? なんで素直にカンゲキしないかなぁ」
 アグラーヤの逆鱗に貫かれ、アレクは震えあがった。果たして氷柱はこれほど冷たく尖っていただろうか。
「ごめん、お、俺、怒られちゃうからさ」
 んー? 一瞬目が合い、アレクは顔を窺ったことを後悔した。今のアグラーヤが、アレクだけで収まる筈がない。
「皆。納得しないだろ? 俺じゃあ吊り合わないし……」
 言葉を口にするたび、舌の千切れる思いがする。アグラーヤは退屈そうにひ弱な言い訳を摘み上げ、態とゆっくり捻り上げた。
「皆? 思うんじゃない? アレクも偉くなったもんだなって」
 すれ違いざま、強かに足を踏みつけられた。鋭いヒールの音が通りの方へ遠ざかってゆく。間近な危機と、束の間の平穏を連れて。