ふたり回し

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デザイナーズ・デッキ

神化編の発売からしばらくして、周囲もだいぶ落ち着いてきたように思われます。

戦国編と比べると、若干評価がわかれていますが、これはなぜでしょうか。


新弾が発売されたときに問題にされるのは、

おもに「カードパワー」と「テクニカルなコンボ」、「派手なフィニッシャー」、

そして、「デザイナーズデッキ」かどうかです。

今回は、どうやら「デザイナーズデッキ」の嫌疑がかけられているようですね。

各文明が変わった進化を前面に押し出しているので、

これは仕方ないような気もします。


ただ、気になるのは、「デザイナーズデッキ」という言葉が、

「不自由」という意味で使われているということですね。

「汎用性のある」「デッキを選ばない」カードが、

自由なカードとしてもてはやされる風潮です。

私は、これは逆だと考えています。


私は極神編よりも不死鳥編の方が面白いデッキを組めた気がします。

もちろん種族ボーナスをうまく使わなくてはならないし、

スリリングスリーのような、デッキの構成を縛るカードはありましたが、

こういったボーナスをどこまで使い、どこから別の要素に切り替えるかという、

取捨選択の自由があったからです。

ティラノ速攻や除去マインなど、

種族の持つメリットとデメリットを調整しながら組んだデッキは、

今でも記憶に強く残っています。


一方、極神編のカードはアクが弱い分、

工夫のしようがあまりなかったように思われます。

ベガにせよ、クイーンにせよ、ヘヴィメタにせよ、サインにせよ、

自由度が高いカードは、既存のデッキの枠に簡単に納まってしまうので、

行きつく先は、ブーストして、ハンデスして、ランデスして、と、

少しの幅こそあれ、組む前から見えてしまうのです。

ブーストゼンアク、ブーストゲキメツ、ブーストオットドッコイ・・・

自由に使えるフィニッシャーがたくさん出て、随分沢山デッキができました。

「デザイナーに組まされたデッキ」よりも、

「プレイヤーが自由に組んだデッキ」が窮屈にみえるのは、

あるいは私の見間違いでしょうか。


ここで注目したいのは、

「デッキを縛る」カードが、新しい形のデッキを「要求」したということです。

カードから変化を要求されないならば、

なるほど、プレイヤーは手持ちのデッキにそのカードを入れるだけでよいのだから、

非常に楽ではあります。

しかし、それは新しいデッキではなく、既存のデッキの亜種にすぎません。


変化を求められない限り、私たちは現状に甘んじることを選びがちです。

それは、私たちを縛るのが、私たち自身に他ならないという証です。

ですから、「デザイナーズデッキ」のくびきは、

私たちを私たち自身の慣習から解き放つための楔、

新たな道を辿るめの道しるべにもなり得るのではないでしょうか。

「デザイナースデッキ」は、単なるお仕着せではない、

デザイナーから私たちへの挑発でもあるのです。



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