超次元の記事にコメントをいくつか頂き、また考え直すところがあったので書いてみます。
私の食わず嫌いかもしれないし、本当に問題があるのかもしれないし、ある程度問題があるのかもしれないけれど・・・
・金太郎飴
私が違和感を感じていたのは、とにかく金太郎飴です。
「同じカードは4枚までしか積めない」ルールは、強いカードの暴走を防いでいると思うから。
4枚しか積めないなら、強いカードが出てもある程度までは妨害で対抗することができます。
チャクラと不滅に対して感じるある種のどうしようもなさも、両方とも7,8枚ずつ積めることによっていると思います。
強い弱いの問題以前に、なんだか質が違うなぁというのが私の感想です。
・超次元の自由
何を出すか選べるから、超次元は自由度を高めるとのご指摘を頂いたことがあります。
自由度が上がると、選択の幅が広がり、考える部分が増えるのだと。
でも、それなら大地やゲートも同じように自由だったはずです。
大地は自由だったか、ゲートが自由だったかを思い出してみたら、意外とそうでもありませんよね。
「自由に選べる」が、いつの間にか「一番効くカードを選ぶしかない」になっていました。
プレイヤーの選択を支えていたのは、リターンではなくてリスクだったような気がします。
リスクが減ったら、リターンだけで計算するしかありません。
覚醒獣を臨機応変に選ぶシーンより、相手に効くカードをひたすら狙うシーンのほうが多いはずです。
もう一つ気になるのは、超次元呪文と覚醒獣の幅が狭いこと。
中速でのフィニッシャーとしての運用が主で、それ以外のデッキや立場がとりにくいのです。
例外はヤヌスとアンタッチャブル、ユリア、ドラヴィタくらいですね。
つなぎ専門の覚醒獣や使いやすい小型超次元呪文があれば・・・もう少し違った展開になったかもしれません。
・超次元のもたらした新しさ
新しいカードを出さなければ、カードは売れません。
新しいカードは、古いカードより強くなければ売れません。
だから、超次元が強いのは当たり前。
それはもう分かっていることです。
でも、超次元を見たとき、私はあまりわくわくしたりはしませんでした。
カードは新しかったけれど、新しいことができるとは思わなかったから。
覚醒しやすい覚醒獣を連投するガチデッキか、覚醒しにくい覚醒獣を覚醒させるので手いっぱいのネタデッキか・・・
今までと同じだと思ったから。
超次元を使って、何か変わったことをしよう、という気にならなかったのです。
商品の「新しさ」は、モノが新しければいいのかもしれません。
しかし、遊びの「新しさ」、「新奇なもの」は、「どうしようか」悩む余地から生まれます。
超次元には、「こうしなさい」と書いてあって、だから、遊ぶ余地が残されていない。
返霊や連鎖の方が、私にはどうしても魅力的に見えてしまいます・・・