ふたり回し

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☶☴(山風蠱)――その15

ここからしばらくはのんびりしたシーンが続きそう。

今のところきちんと食事のシーンなんかも挟んでいく予定だ。

14より続く


 地下水路には、冷たく、そして湿った風が流れていた。冷えきった手足が水滴に覆われ、水気を吸った衣が体にまとわりつく――山の上で雲に呑まれた時と同じだ。

「驚いたな。まさか足下にこんな空間が広がっていたなんて。ここは――外とはまるで違いますね。どこまで続いているんですか?この通路は。」

 水浸しの下り坂を注意深く進みながら、シャビィは明るい声で訊ねた。リシュンの背中越しに見える行く手は、墨色の霧に閉ざされ、分厚い帳の奥から濡れた足音を送り返してくるばかり。このまま地の底まで続いていてもおかしくない。

シャビィさん、もう少し声を押さえてください。追手がいないとも限りません。寺院の外に出ただけで安心されては困ります。」

 リシュンは振りかえることなく、低い声でシャビィをたしなめた。

「すみません、少々舞い上がってしまったようです。」

 おとなしく引き下がったシャビィに、リシュンは細長い説明をこぼした。

「この水路は海まで繋がっていますよ。斜面に沿って蜘蛛の巣状に広がり――」

 十字路だ。手にしたランプの暗がりで湿った石壁を舐め、三日月の形をした印を見つけると、リシュンは険しい顔つきのまま、小さく息をついて再び歩き出した。

「――ナルガ中に走っているのです。それこそ、隅々まで。」

 足下に現れた大きな水たまりを、リシュンは助走をつけて飛び越えた。ごくごく軽い足音のはずが何度もこだまして聞こえるのは、重くて冷たい霧と一緒にこの水路が物音を閉じ込めているためだろうか。

「よくこんなものが作れましたね。素材だって――」

 シャビィは水たまりを飛び越えようとしたが、天井でしたたかに頭を打ってしまった。むき出しの浅黒い頭を、ひと筋の赤い血が流れている。

「この水路は大部分が岩盤をくり抜いただけの代物ですよ。くりぬかれた石が、街を作るのに使われたと聞いています。」

 道理で天井がごつごつしている訳だ。リシュンが無造作に取り出した手拭いを、シャビィは恭しく受け取った。

「ありがとうございます。染みになってしまいますね、これは。――ああ、そうか。ナルガはもともとタミル人の街でしたね。」

 傷を押さえる反対の手で、シャビィは滑らかに波打つ壁をさすった。この壁も、もとは天井と同じく荒削りだったのだろう。人の手ではなく、水路を流れる水が削ったのだ。

「タミル人?バムパの?」

 意外な名前に、リシュンは首をかしげた。商用でナルガを訪れるタミル人は珍しくもないが、彼らの祖国バムパはナルガのあるカヤッサ半島からはるか東に位置している。

「4世紀ほど前、バムパがこのあたりまで広がった時期があるんですよ。彼らはずば抜けた治水や建築の技術を持っているそうです。実物を見るのはこれが初めてですが……」

 リシュンは床からランプを持ちあげ、恍惚とした表情で岩壁を愛撫しているシャビィを急かした。

「やはり禅師だけあって博学ですね。また他の土地の話も聞かせてください――勿論、またの機会に。」

 リシュンは小さく肩をすくめて見せた。

「すみません。また足を止めてしまいましたね。」

 いえいえ、と答えたときにはもう、リシュンは早足で歩き出していた。シャビィはさして低くもない天井に気を配りながら、黙々とリシュンを追いかけた。またの機会――またの機会を得るためには、なんとか今を切り抜けなければならないのだ。


16に続く


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