ふたり回し

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猟犬

このシーンのためだけに妙にエンジンと伝達系統に詳しくなってしまった……


 アレクの初日は、レフに叩き起こされるところから始まった。夕べに飲んだ酒のせいで頭が肩から落ちそうなほど重い。レフの持ってきたツナギを大急ぎで着こみ、坂を下ってエントランスホールへ。地面を蹴る度鈍い痛みが頭を突き上げ、頭蓋骨から脳が飛び出しそうになる。幸いアレクの部屋は坑道の深くにあり、ガレージまで2、3分しかかからなかった。

「やあ、レフ君、寝坊かい?」

 ガレージでは既に朝礼が始まっていたが、班長はレフの適当な言い訳をあっさりと認めてくれた。細面に丸眼鏡をかけた優男なだけに、怒鳴っているところを想像する方が難しい。他の二人の先輩達も笑って流してくれたおかげでそれ以上話がこじれることもなく、そのままレフの講釈が始まった。

「お前には、主にコイツのメンテを手伝ってもらう。我らが実戦部隊の主力だ。大事にしてくれよ」

 油じみた軍手が、ダークグレーのカウルを撫でた。昨日見せてもらった、西側の軍用バイク。ボロチャ通りで見かけた時、アレクには思いつきもしなかった。この怪物の面倒を、自ら見る羽目になろうとは。4メートル近い車体を間近にじっと見つめてから、アレクは静かに息を吸い込んだ。

「ああ。少しでも力になれるよう努力するよ……早速だけど、一度バラして見せてくれないか」

 とび色のタレ目が、隣りの車体に向いた。懸架された胴体からは既に前足が外され、送油管のジャックが黒ずんだオイルをしたたらせている。ボルゾイが放つ油の匂いは凄まじく、特に二日酔いには効果覿面だ。

「丁度今からそいつをメンテするところだ。そっちの棚にベンジンと雑巾があるから、取ってきてくれ」

 分かった。アレクは邪魔にならないよう、大回りでバイクをよけた。レフの指した棚には雑巾のかかった白いジェリ缶が乗っていて、青いラベルの上辺には小さく洗浄液と書かれている。油圧系をクリーニングして組みなおすのだろうか。ジェリ缶の中身は三割ほど減っており、足を動かすたびに手の中で弾んだ。

「これか?」

 ポリ製のジェリ缶を見て、レフはアレクを手招きした。

「おお、それそれ。こっち来て、前足から拭いていこうか」

 シートの上に横たわった前足を見て、アレクは小さく息をのんだ。肘で折りたたまれているというのに、まだ消火器程の大きさがある。レフはアレクの顔を見上げ、関節に渡された金属製のパイプをレンチで指した。

ボルゾイっつーか、竜騎戦闘車全般が二輪と違うのはここだ。足を駆動するための油圧系統が付いてる。アレク君よう、もしかしたらの話だけど、建機をいじったことってあるかな?」

 アレクが電気屋であることは、レフにまでは伝わっていなかったようだ。機械屋ばかりの中で本当は具合が悪いのだが、頭の中に居座った二日酔いは容赦なく余計なセリフを追い出した。

「いや、主に配線や家電の修理をやってた。エンジンとか油圧に関しては、『知ってる』程度のものだな」 

 レフは僅かに目をそらしてから、黒ずんだ軍手でアレクの背中を強く叩いた。

「そっかー、ですよねー。そんな都合のいい話もないよな。まあ制御系統は勿論電気だからさ、安心しろって」

 大ざっぱな励ましに、小柄な方の先輩が苦笑いを浮かべている。口元に寄った皺が、なんだか妙に人懐っこい。

「二輪の経験は聞かれるかと思ったけど、建機ってのは意外だったよ」

 舗装路を駆け抜けビルの上を飛んで渡る、このマシンのどこが建機なのか。軍用機を通り越して、レーサーとでも言われた方が頷ける。アレクがまじまじとパイプを見つめる間も、眼鏡レンチがナットに食いつきアルミ皿に吐き出す音はガレージの隅に冷たく積み重なっていった。

「見てくれは二輪だけどよ、駆動系は完全に建機なんだぜ。ほら、ホイールも油圧モーターだろ?」

 前輪の横には、リボルバーの形をした見慣れないパーツが取り付けられている。外からパイプが繋がっているものの、リボルバーから生えた鉄心の役割は一目で分かるものではない。先輩はリボルバーを外し、目の前で分解して見せてくれた。

「6本のシリンダーが束になってるだろ? 伸びたシリンダーが隙間の大きい方に滑り込んで、縮んだシリンダーが隙間の小さい方に戻ってくるわけだ」

 鉄心が油圧で伸び縮みするということらしい。ホイールに対して斜めに取り付けられていれば一本一本のシリンダーは回転運動を生み出せるだろうが。6本のシリンダーを最良のタイミングで連続的に動かすのは中々に難しそうだ。

「ちょっと待った。シリンダーにオイルを出し入れするタイミングは、どうやって取ってるんだ? 回転したらチューブも捻じれるだろうし」 

 いい質問だ。先輩が笑うと、茶色がかった前歯が見えた。

「電気のモーターと同じで、こいつにも整流子が付いてるのさ。ほら」

 リボルバーは、鞘の中で回転するように出来ていた。チューブに繋がっているのは鞘の部分までで、鞘の底には三日月型の穴が空いている。個別のシリンダーにオイルを注入しているのではなく、オイルが入るか出るかはシリンダーの位置に依るのだ。

「ちなみに上が注入側で、下が排出側だ。繋ぎ間違えると前進と後退が逆になるから気を付けろ。パッキンやボルトの色も塗り分けてあるだろ?」

 先輩はレンチの先で接続部を指したが、アレクから返事は返ってこない。目の前に現れた新発見の集合体に目を輝かせ、オイルの匂いも気に留めず、外されたシリンダーブロックを紐解いている。一通り確かめた後、アレクの口から出てきたのも、新しい質問だった。

「じゃあここ、シリンダーブロックが前後にスイングするようになってるのは?」

 流石にこれは脱線しすぎだったらしい。レフはアレクに、ベンジンを染み込ませた雑巾を押し付けた。

「変速装置だ。傾きが小さくなると一回転に使うオイルの量が減って、回転数とトルクの比率が下がるってわけ。さらに反対側に倒すと、ホイールは逆回転すると。シリンダーは溶液に漬け込むから、関節の軸受けを外して順番に拭いてってくんな」

 先輩のレクチャーが終わってしまうと、アレクはつま先から順にボルトを抜き、ワッシャーとボルトを拭いてアルミ皿により分けていった。金属粉のせいでグリスは黒く濁り、溶剤を使っても簡単には落ちてくれない。それでもボルトを外し終わり、フレーム側のグリスを拭取り始めた頃、ガレージに一人の男が訪れた。