「追従と創造」に勝とうと思うなら、
日本古来の「守・破・離」しかない――
というわけで、修養論*1です。
「守破離」とは能の教え。
技を身につける上での、心構えを表した言葉ですが、
私は「ノウハウの管理」術だと思っています。
「守」は、インプット。
多く見聞きして情報を集め、自分自身でも真似をして、
感覚にしみこむまで、仕組みを理解できるまで、
既存の方法の習得に力をつくします。
ここでの理解の深さが、
「破」における考察の深さ、「離」における完成度の高さに、
直結してきます。
「破」は、反証と実験。
身につけた方法に、どこか改良できるところがないか、
少しずつ方法を変えて、試した結果を蓄積していきます。
ベストの形を一発で見つける必要はありません。
思い込みを捨て、見直し続けること、試行錯誤することに意味があります。
「離」とは、自分の見つけた方法を磨き、新たな定石*2とすることです。
やみくもに定石を破るだけでは、「破」から先には進めません。
「破」の中で、「ああすればこうなる、こうすればこうなる」
経験と知識を、かき集めることで、
「こうするのがベストではないか」というパターンが見えてきます。
そうして初めて、
「守」で身につけた方法が、どうやって生み出されたか、
そして、どれほどに優れていたかが、分かるわけです。
こうして生み出された新たな定石は、
新たな「守」「破」「離」の対象になります。
無限の進歩こそが、「守破離」の本質なのです。
大事なのは、「守」を完成させずに「破」には移れないということ。
既存の方法を解剖しつくして初めて、
「どこから見ていくべきか、考えるべきか、変えるべきか」
が見えてきます。
ことに「離」に辿りつく資質のある人に限って、
「守」をおろそかにして、「破」にはしる嫌いがあるので、
「離」がますます遠ざかってしまう、
という話・・・だったっけなぁ・・・(汗