ふたり回し

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☲☴(離巽)――プロローグ

やっとというか、なんというか、易経と地誌の勉強がひと段落して、本文に手を付けられました。




――戸を闔ざす(とざす)これを坤と謂い、戸を闢く(ひらく)これを乾と謂い、一闔一闢これを変と謂い、往来窮まらざるこれを通と謂い、見わるる(あらわるる)は即ちこれを象と謂い、形あるは即ちこれを器と謂い、制してこれを用うるはこれを法と謂い、利用出入して民みなこれを用うるは、これを神と謂う。この故に易に太極あり。これ両義を生ず。両義は四象を生じ、四象八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず――

(『易経』、「繫辞上伝」書き下しは岩波文庫、高田、後藤訳に準ず)


 互いに移り変わり、留まる事を知らない陰陽を捉えることは困難である。その変化を見定めて卦を読みとり、吉凶を占うとなれば、なおのこと。されど、陰陽の働きを確かめるだけなら容易いものだ。大きめの虫眼鏡と、蝋燭さえあればいい。夜中の十二時ごろに、それもなるべく無地の白い壁がある部屋がよいだろう。蝋燭に火を灯したら、部屋の灯りを落して、蝋燭の奥に虫眼鏡を立てる。虫眼鏡の位置は、前後に動かして蝋燭の像が綺麗に映るところを探すと早い。そうして虫眼鏡の置き場が決まったら、ゆっくり、ゆっくりと蝋燭に息を吹きかけ、壁の上の光と闇をかき混ぜる。始めのうちは揺らいでいただけの炎が、やがてその輪郭を失い、渾然とした文様を闇に描き出し、そして少しずつ意味のある形に近づいてゆく――坂道を行き交う商人や船乗りたち、水揚げしたばかりの蛤を網焼きにする屋台、サンゴや真珠の首飾りを旦那にねだる娼婦がいるかと思えば、故郷を離れた男たちで賑わう酒場からは、はるかな東国の不思議な歌が聞こえてくる――炎に繰り広げられたスクリーンの上で、影はワヤンの人形のように踊り出し、視る者を虜にするだろう。

 だが、うっすらと色づき、鮮やかに染まり出す頃にはこの精巧な虚像の欠陥が見え始める。人々に、影がないのだ。人間だけではない。カフェのテーブルにも、仕立屋の見本にも、椰子の詰まった竹かごにさえ影がない。いや、むしろ影の部分だけが周りより明るいのだ。人々の足元やそこかしこの物陰が、周りよりも一層、明るく、眩し過ぎて見えない程。一本の燭台もない店の奥に光が溢れる一方で、幌に覆われただけの通りは薄暗く、目を凝らせば、幌の隙間から陰が差し込んでいるのさえ見てとれる。空から陰が降り注ぎ、影の中に陽が留まる、もう一つの大地。この地の太陽が吸い込んだ光は私たちの太陽から解き放たれ、この地で陰の中に消えた闇は私たちの影の中に現れる。陰と陽とは真逆のもののようでありながら、その実は外と中から見た入り口と出口にすぎないのだ。パータリプトラの学僧が発見して以来、この地が密かに多麻州と呼ばれ続けてきた、これがその所以である。

 無論、光と闇が逆転しているからといって、どこもかしこも一日中明るいわけではない。この時間に騒がしいのは、幌が貼られた繁華街くらいのものである。仄暗い大通りから少し横に入っていけば、もうそこは本物の夜の中だ。そのようにして息を潜める横町のひと筋。その入口に、卜占の露店を広げている娘がいた――


山風蠱(上)に続く


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