ふたり回し

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☶☴(山風蠱)――その20

設定のややこしいところがあって、少々間が空いてしまった。

次回で挽回したい。

19より続く


 リシュンが扉を押し開くと、錆びついた蝶番が小さく不平を訴えた。疲れ切ったランプの陰りの中に浮かび上がった部屋の広さは、一人暮らしがやっと営めるくらいだ。靴を脱いで茣蓙(ござ)に上がり、ランプの芯を引きだして火をそっと燈台に移しかえると、リシュンはランプを吹き消した。目を引くような調度はないものの、柔らかな陰のいきわたった部屋の中は清潔で、手入れが行き届いている。

「上がってください。お茶を入れましょう。」

 上着をベッドの背にかけて紙燭に火をとると、リシュンはかまどに薪をくべはじめた。火の粉がはぜる音に誘われ、戸口で立ちつくしていたシャビィはやっと部屋の中に入ってきたが、隅で畏まっている様子はどこか窮屈だ。

「どうかお構いなく。それよりも――」

 シャビィの言葉を遮ったのは、しびれを切らした腹の虫だ。蔵に閉じ込められてから丸一日たっているだけに、一旦気が緩むとどうにも収まりがつかない。

「食事を御所望でしたか――良い提案です。私も小腹がすいてきました。」

 柄杓で小手鍋に水を注ぎながら、リシュンは華やかに声を出して笑った。

「かたじけない。実を言うと、私は断食が一番苦手なんです。」

 大きな体の生み出す食欲は、目下のところシャビィにとって最大の難敵である。リシュンが米櫃から米を掬っているのを眺める物欲しげな視線に気が付き、シャビィは両手で自分の頬を叩いた。

「いっそのこと、鯵の干物も付けますか?」

 シャビィの様子に気がついて、リシュンは壁にぶら下がった干物の紐に手をかけた。振り向いた顔には、毒を含んだ甘ったるい微笑みが浮かんでいる。

「リシュンさん、わ、私には、まだ還俗するつもりはありません。」

 リシュンの誘惑を迎え撃つため、シャビィはありったけの力で肩をいからせた。この期に及んでまだ仏教にしがみ付こうとする往生際の悪さに、流石のリシュンもあいた口がふさがらない。

「遠慮するだろうとは思っていましたが――まさか今更寺院に戻るつもりではないでしょう?」

 シャビィは元々大きな目をむいてリシュンに訴えた。

「勿論寺院に戻るつもりもありません。でも、それは寺院にいると道が見失って――その、つまり……寺院から離れた方が、修行がはかどると思ったからなんです。」

 上ずってはいても、シャビィの声にはまやかしを突き通すだけの力がある。リシュンは肩をすくめて、釜の中の玄米に水を注いだ。夏場はよく大雨が降るが、井戸に溜められる水は限られている。余り無駄遣いはできない。

「リシュンさんが助けに来て下さったとき、何となくわかったんです。私はカタリム山で仏の教えを学んだけれども、だからといって老師たちが仏に背いても――もとい、ええっと……老師たちが、仏の教えに背いたことは、仏の教えが正しいかどうかとは無関係かもしれないって。」

 考えのまとまらないままにまくしたてるシャビィに、リシュンは釜を手渡した。

「表の洗い場に水を捨ててきてください。ちょうどこのかまどの裏です。」

 シャビィは目をしばたかせながら釜を受け取った。

「は、はい。」

 片手で釜を抱えると、シャビィは丁寧に扉を閉めて出て行った。リシュンは顎に手を当てて台所を見渡したが、買い置きを減らしているところなので大したものはない。少し考えてからコプラフレークの入った壺を取り出し、小皿の上にあけた。これでコプラももうおしまいだ。改めて見直すと、三年半の苦労の跡が、部屋中に見てとれる。戸棚、茣蓙、食器、テーブル、藤のベッド、占い用の折りたたみ机……この部屋に初めて入ったときには、本当に何もなかった。名前が売れるまでは食器や鍋をそろえる金もなく、貧乏に耐えかねて春をひさいだこともあった。茣蓙やランプは、その頃買ったものだ。ここを出ていくときには、殆どを置いてゆかなければならない。気心の知れた友人が引き取り手なのが、せめてもの救いだろうか。


21に続く


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