ふたり回し

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☶☴(山風蠱)――その21

一話ずつが長くなってきた。

これ以上話数が増えるのも、しかし……

20より続く


 蝶番のきしむ音とともに、シャビィが外から帰ってきた。

「お待たせしました。」

 シャビィから釜を受け取ると、リシュンは念のために中を確かめた。大丈夫だ。米が減っているようには見えない。リシュンは腰を入れて釜を持ちあげ、小手鍋の隣に戻し、今度はたっぷりと水を注いだ。

「……それで、シャビィさんは山を降りて一人で修行するつもりでいると、そういうことでしょうか?」

 コプラを混ぜ込みながら、リシュンは訊ねた。米が釜にぶつかる音は、涼しく、どこか寂しげでもある。顔を上げたリシュンに、シャビィは頷いた。

「はい。それともう一つ、ちゃんと世の中を見て回ろうと思いまして。」

 リシュンは棚にコプラの入っていた壺を戻し、別の壺を取り出した。中に入っていたのはクコの実だ。ふたを開けて匙でかき出すと、鮮やかな赤が玄米の上に散った。

「皮肉なものですね。本当なら俗世を捨てて山に上るところを。」

 リシュンは溜息をつきながら釜に蓋をして、かまどに薪を放り込んだ。隣から火を移せば、後はしばらく待っているだけでよい。シャビィが気を利かせたのだろう、クコの実の壺も、元の場所に戻っている。

「でも、私は初めからそうするべきだったような気がするんです。目に映るものはまやかしだと、ずっと教えられてきたけれど、本当は、世の中を自分の目で見て、それに気づかなければ、意味がないんだって。釈尊が、そうしたように。」

 言葉の重みを確かめながら、シャビィは少しずつゆっくりと話した。大きな目に灯った陰は、地下水路から、ナルガの街角から、広々とした海から取り入れたものだろう。シャビィの目をじっと見つめてから、リシュンはゆっくりと立ちあがった。

「なんだか、もう道を見つけてしまったような顔つきをしていますよ。」

 リシュンが笑いかけると、シャビィは大まじめに言い返した。

「とんでもない。私は道を探しに行くんです。これから、やっと。」

 すすのついた手を打ち合わせ、リシュンは提案した。

「お湯が沸くまでしばらく間があります。少しくらいのんびりしても、罰は当たらないでしょう。」

 勧められるままにテーブルについてから、シャビィはそわそわしながらかまどの火を見つめていた。リシュンも付き合ってかまどを眺め、時々声をかけてみるものの、シャビィが曖昧な相槌を返すばかりで、少しも話が始まらない。リシュンが諦めてテーブルをたち、茶杯を用意しようとしたとき、やっとシャビィは口を開いた。

「リシュンさん、その、結局今まで聞けずじまいだったのですが――」

 テーブルに手をついたまま、リシュンは聞き返した。

「何でしょう?」

 シャビィはためらいがちに、小さな声で続けた。

「教えてください。リシュンさんが、プリア・クックに、それも、蔵を破りに来た訳を。」

 かまどの中で薪がひきつる音がした。燈台の火がシャビィの半身に彫り込んだ陰影は、目が痛くなるほどに鮮明で、深い。

「……寺院の、正確には、門主様の不正には、あのとき既に確信を持っていました。私は真相を知るための手がかりを探していたのです。」

 リシュンの答えに、シャビィは引き締まった顔でゆっくりと相槌を打った。

「分かりました……では、僕に出会ったときには、もう大体の事情をご存じだったんですね。」

「ええ。」

 リシュンは澄ました顔でそっけなく答えると、いきなりかまどを振り返った。小手鍋から、薄暗い湯気がたち昇っている。

「少しの間失礼して、茶杯を準備してきますね。」

 リシュンは立ち上がると戸棚から盆と茶杯を取り出し、茶杯に茶葉を入れて湯を注いだ。釜の方はまだ火の勢いが足りないようだ。リシュンは薪を足して強く扇いでから、盆を手にテーブルに戻った。

「丸幡屋を見張っていたのも、豊泉絹布で皆さんを待ち構えていたのも、確認と……」

 リシュンは茶杯をテーブルに置き、シャビィの手元に差し出した。

「恐れ入ります。」

 会釈をしたシャビィの眉が少し浮いたが、リシュンは話を進めることにした。

「仕掛けのためです。」

 燈台の陰りを受け、リシュンの姿は明るい部屋から浮き上がっている。仏像にひけをとらない穏やかな表情の下に、シャビィは複雑に入り組んだ深みを見た。

「そんなに早いうちから……やはり、それも占いで?」

 リシュンは小さく首を横に振った。

「あの立派な御堂を見れば誰でも疑問に思いますよ。以前ならともかく、今のナルガにそんな羽ぶりのよい大店はありません。薫氏の息がかかった店を除いては。」

 昨夜の会話が本当なら、寺院に薫氏が出資する筈はない。シャビィは小さく唸ってから、相槌を打った。

「それで、何かよくない商売が行われていると思ったんですね。」

 リシュンが茶杯の蓋を取って香りを確かめてみると、軽くてしなやかな湯気がたち昇り、ほっそりとした顔を優しく包み込んだ。

「少なくとも、何か見えていないところで資金が動いていました。そもそも、シャビィさん、僧侶は金銭をもらうことすら禁じられているはずです――もう出ていますね。」

 シャビィは茶杯の蓋を外して中を覗き込んだ。寺院で飲んでいる茶とは違い、若々しい緑色をしている。茶杯の中で広がった鮮やかな萌黄色の葉が口に入らないよう、シャビィは慎重に茶をすすった。さわやかな香りだが、茶葉だけはどうにも邪魔だ。

「原則として、直接必要のあるものだけですね。もらっていいのは、食べ物とか、服とか――勿論、商売はご法度です。」

 リシュンが茶杯を置く音がした。見てみると、蓋をしたまま片手で押えて呑んでいるらしい。シャビィはたどたどしい手つきで茶杯の蓋を戻し、話を続けた。

「ですから、寺院から金銭が出てくることは、普通はありません。それはリシュンさんの言う通りです。門徒に熱心な方がいらしたときだけ、新しい寺が建つんです。」

 リシュンは暫く目を閉じて余韻を楽しんでいたが、シャビィが話し終えるとゆっくりと目を開いた。

「そして今回は、誰が寄進しているかわからないまま寺が建ったというわけです。結論から述べると、結局自腹だったようですね。少し調べただけですぐに分かってしまいましたよ。」

 これを聞いて、シャビィは眉を寄せた。

「しかし――」

 言い返そうとしたシャビィを、リシュンの強い声が遮った。

「着工に携わった工匠の一人が教えてくださいました――賃金は、胡椒で支払われたとのことです。」


その22に続く


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