ふたり回し

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☶☴(山風蠱)――その22

少し間が空いてしまったが、2シーン分書きすすめたので遅れはない……はず。

その21より続く


 そうか、胡椒だ。シャビィが声をあげた。

「見たんです。殴られる前に。床一面に黒い粒が広がって――」

 口の中で弾ける鋭い香り、冷たい床を胡椒が転がる乾いた音。蘇った情景に対して大きく開かれた目を見て、リシュンは咄嗟に分厚い肩を叩いた。

シャビィさん、ゆっくり、少しずつ、少しずつ整理しながら、思い出してください。それはとても大切なことです。さ、そのとき、他に何が見えましたか?」

 リシュンが途中で切り上げて戻ってきたのは、十分な手がかりをつかめたからだ。シャビィは絶対に何かを見ている。門主たちにとって命取りになるような何かを。そうでなければ、わざわざ閉じ込める道理がない。シャビィが眉間を押さえて記憶を手繰り寄せるのを、リシュンは手に汗握って見守った。

「確か椎茸を取りに行って……階段の、そう、地階の一番奥に、小さな部屋があったんです。そこに、クー先輩がいました。胡椒の、スゴイ、強い香りがして……クー先輩は、向こうを向いて、机の上で何かをしていました。」

 シャビィは熱い息を吐きだすと、少し冷めてきた茶を一口飲んでから、じっとテーブルを見つめた。

「クー先輩が驚いて、振り向いたんです。そうしたら、音がして胡椒が散らばって――ク―先輩は、蝋燭を握りつぶそうとしました。」

 虫だろうか。壁の上を、白い影が滑った。

「他に何か覚えていることはありますか?先輩が何をしていたか、机の上に何が置いてあったか、部屋の中で見たもの、聞いた音、何でもかまいません。」

 リシュンはいくつかきっかけを与えてみたが、シャビィは眉間にしわを寄せて唸るばかりで、なかなか核心を思い出せない。

「椎茸が……椎茸が……」

 見当はずれなうわ言と、薪のはぜる乾いた音だけが、あてどなく部屋の中をさまよっている。リシュンは仕方なくちびちびと緑茶を舐めながら待っていたが、しばらくするとしじまをひっかくか細い羽音が聞こえてきた。

 リシュンの部屋は半地下にあって夏も比較的涼しいが、毎年雨季と共にどこからともなくやってくる蚊にだけは苦戦させられる。虫に効く薬草はもちろん、ナルガでは雑草さえも手に入れるのが難しく、少なからぬ家庭で煮炊きの煙を部屋にまく方法が用いられたが、戸口の隣に窓が一つあるきりのこの部屋では頻繁にできることではない。

 リシュンはさっと部屋の中に目を走らせ、小さな異物が漂っているのを見つけると、素早く両手で叩き潰した。ひしゃげた羽虫が掌に張りついているのを確かめ、小さく溜息をついて顔を上げたリシュンを、何か思い出したのか、シャビィは何か言いたげな顔で見つめている。リシュンは目を輝かせてシャビィを見つめ返したが、シャビィは力なく嘆いただけだった。

「……何と惨いことを。」

 リシュンはうなだれたシャビィを宥めすかし、なんとか事件のことを思い出させようとしたが、結局シャビィはそれ以上細かいことを思い出せなかった。それどころか、しきりに蚊のことを気の毒がって面倒なことこの上ない。リシュンは諦めてシャビィの腹を膨らませてしまうことにした。

「何、その、蚊には申し訳ないことをしてしまいましたが、ほら、そろそろお粥があがる頃でしょう。」

 振り返ると、好い塩梅に釜が湯気を吹いている。リシュンはこれ幸いとばかりに盆を持ってテーブルから逃げ出した。蓋を開けてみると、少しとろみは足りないが、食べられないこともなさそうだ。いくらか塩をふってから手早く粥をよそい、リシュンは完璧な笑顔でテーブルに戻った。

「お待たせしました。お口に合うとよいのですが。」

 仄かな椰子の香りは、いくらかシャビィの表情を和らげた。

「いただきます……ああ、いい香りですね。これは一体?」

 リシュンは胸をなでおろし、シャビィにそっと匙を手渡した。

「椰子の実です。このあたりでは特に珍しいものでもありませんが――そちらでは、採れるものが大分違うのですか?」

 シャビィは食い入るように椀を覗き込んでいる。

「山の上と下では、大分違いますね。上るにしたがって、少しずつ生えている草木が入れ替わってゆくんです。」

 それは、それは。適当に相槌を打ち、リシュンは息を吹きかけ、匙で掬った粥を冷ました。今なら話を戻せる。

「これまでに思い出したことをまとめてみましょうか。」

 匙を口に運んでから、リシュンはシャビィが何やら祈りを捧げていたことに気付いた。禅僧の習慣が分からないせいかもしれないが、シャビィと一緒にいると調子が狂ってしまう。

「は、はい……」

 シャビィは目を白黒させ、リシュンに合わせてためらいがちに粥を口にした。

シャビィさんは、庫裡の地下にある貯蔵庫に入った。」

 リシュンは親指を折り曲げた。

「ええ。」

 シャビィは頷いた。

「そして、先輩を見た。彼は、何か作業をしていた。」

 リシュンは、人差し指を折り曲げた。

「おそらく。」

「部屋は胡椒の香りで満たされていた。ということは、部屋には胡椒が沢山あった筈です。違いますか?」

 リシュンは中指を折り曲げ、シャビィをじっと見つめた。シャビィははっとして、何度も頷いた。

「そうだ。棚に麻袋が並んでいました。あれが全部胡椒だったんだ。」

 リシュンはこっそりと溜息をついてから、続けた。

「よいでしょう、では、これは確認済みです。それから、先輩が胡椒をひっくり返した。おそらく、作業には胡椒が関係していたのでしょう。」

 シャビィは縮こまって、後頭部をさすりながらリシュンを見上げた。

「すみません、もっとしっかり見ていれば……」

 仕方のないことです。リシュンは薬指を折り曲げ、それからはっきりとした声で告げた。

「そして、最も重要なことは、彼らがあなたを監禁したことです。彼らはその部屋で、間違いなく後ろ暗いことをしています。」


23に続く


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