ふたり回し

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ハック&スラッシュに髪留めはいらない

今回はあの人の過去が明らかに……


 ルイエちゃんの一日は、朝の筋トレから始まります。

 軍隊にいたころからの日課でやめ方が分からないだけだとルイエちゃんは謙遜しますが、毎日休まず走って腹筋して、ホントに真面目で偉い子です。

 ルイエちゃんほどではないけれど、私も早起きして一念発起、今日はフィンカちゃんとワノンちゃんが起きてくる前に洗濯機を回すことにしました。

 下着はどうせ朝シャンの後に出てくるので、先に片付けるなら色物です。

 私が腕まくりをして洗面所の扉を開けると、そこには赤い髪をだらりと垂らした、裸の女の子が立っていました。

「……失せろ」

 

 鋭い視線に射すくめられて、私は可及的速やかに扉を閉めました。

 これはピンチです。

「ごめんなさい!」

 扉のゴムが壁にぶつかる鈍い音が聞こえたかと思うと、バウンドした扉の隙間から再びあの赤髪が現れました。

 水の滴る前髪の奥で、冷たい殺意が燃えています。

 私は慌てて扉を捕まえ直し、今度は息の根が止まるまで抑え込みました。

 今のは誰かのお友達でしょうか。

 私に内緒でお泊り会をしてコイバナやらスイーツ情報やら、ダイエットの方法を交換し合っていたのかもしれません。

 きっと街を出てからずっと、冷蔵庫の中身が減ったり、洗濯物が増えたりしたのを私が見逃し続けてきただけなのです。

 気づかないままお料理したり、洗濯物を干していただけなのです。

 自分にそう言い聞かせながら、私はなるべく音をたてずに走ってその場から逃げ出しました。


「ドロボー?」

 眩しそうに眼をしばたかせながら、ワノンちゃんが聞き返しました。

「さっき見たんです! 知らない人がお風呂から出てきたんです!」

 私は必死に揺さぶりましたが、ワノンちゃんは壁に向かって寝返りをうち、短パンに手を突っ込んでお尻をぽりぽりとかいただけでした。

「大方寝ぼけて見間違えただけやろ。のんびりシャワー浴びてく泥棒なんていーひんて」

 もっともらしい意見ですが、世の中当たり前なことばかり起こるとは限りません。

 私はワノンちゃんからタオルケットを引きはがし、ひたすら声を張り上げました。

「そんなはずありません! 私、『失せろ』って思いっきり言われました!」

 

 窓から差し込む光の中を、埃がけだるく漂っています。

 ワノンちゃんはむくれた顔で起き上がり、あくびの後にお説教を始めました。

「あのな、ユニス。泥棒ゆーんは、風呂に入らへんさけ泥棒ゆーんえ。風呂に入らんうちに、こう、どろどろになってやな……」

 そんな話をしている場合ではないのに、ワノンちゃんはちっとも分かってくれません。

 私はタオルケットを抱きしめたまま、フィンカちゃんとルイエちゃんの部屋に向かいました。

「フィンカちゃん、大変です! お風呂に泥棒が出ました! 密航者です!」

 しばらく扉にこぶしを打ち付けていると、フィンカちゃんが目をこすりながらパンイチで出てきました。

 荒々しくはねた銀髪が、過ぎ去った嵐の激しさを物語っています。

「なんだよ? まだ6時じゃねーか」

 知らない人が船に忍び込んでいるというのに呑気なものです。

 いっそこの浅黒いデカチチを思いきり張り倒してやりたくなりました。

 フィンカちゃんは艶っぽい悲鳴を上げ、ぼよんぼよんと飛び跳ねるデカチチを慌てて抑え込もうとするに違いありません。

「船の中に密航者がいるんです! 帝政復古主義者のスパイです!」

 二度目の警告が通じたのか、フィンカちゃんは軽く二度うなずきました。

「あーあー、なんとなく分かったわ。ユニス、ルイエはなんて言ってる?」

 私は小さく首を振りました。

 一番に呼んだのですが、ルイエちゃんの返事はなかったのです。

「今朝から見てません。ジョギングだと思うんですけど……」

 私が髪の毛をいじるのを見て、フィンカちゃんはにやりと笑いました。

「やっぱりな。じゃあ、問題なしってことで、二度寝させてもらうぜ」

 侵入者がいる上にルイエちゃんがいないことの、どこが問題ないのでしょうか。

 引っ込もうとするフィンカちゃんと戸口で格闘していると、ルイエちゃんが帰ってきました。

 ちゃんと私が糊をきかせたノースリーブのカッターを着ています。

「Tシャツぐらい着なよ。覗きなんていないだろうけどさ」

 フィンカちゃんの格好を見てルイエちゃんは小さく笑いました。

「それで、どうしたの?」

 パンイチのフィンカちゃんと並ぶと、ルイエちゃんの着こなしが際立ちます。

 ルイエちゃんがだらしのない格好をしているところを、私は見たことがありません。

「風呂に泥棒が立てこもってんだってさ。ルイエ、お前見たか?」

 フィンカちゃんは肩をすくめ、平らな調子で答えました。

「いや? 誰もいなかったよ」

 ルイエちゃんは知らなかったのだから、見ていなくて当たり前です。

 なんでフィンカちゃんにはそんなこともわからないのでしょう。

 その後ルイエちゃんも危険性を分かってくれて、二人で工作員を探してみたのですが、結局朝ごはんが遅れたこと以外に収穫はありませんでした。


「本当に私の見間違いだったんでしょうか……」

 アジの干物を左右に分けながら、私はぼそりとつぶやきました。

 あれだけはっきり見てしまったのに、幻と思うには無理があります。

「ああ、それな、多分ルイエだわ」

 フィンカちゃんのさりげない一言に、私とルイエちゃんは目を見合わせました。

 確かに髪は赤かったような気がしますが、ルイエちゃんとは目つきも声も違ったはずです。

「でも、私はユニスに会わなかったよ」

 やっぱり、ルイエちゃんが私に向かって「失せろ」などというはずがありません。

 私たちが横目でとがめると、フィンカちゃんはお箸を置いて立ち上がりました。

「よしよし、じゃあルイエ、そっち向いてろよ」

 フィンカちゃんはにやりと笑って、ルイエちゃんの前髪をまっすぐ下しました。

「嘘、そんな」

 私は両手を口にあてて、小さく声を上げました。

 朝お風呂場で見たスパイとそっくりです。

「フィンカ、前が見えないよ」

 前髪の後ろでルイエちゃんがため息をつくのを聞き流し、フィンカちゃんはルイエちゃんのクリップを外してしまいました。

 お日様が雲に隠れたのでしょう。

 背中にあたる朝日の熱がすっとひき、キャビンが暗がりに沈んでいきます。

 私とワノンちゃんは、息をのんでルイエちゃんだった誰かを見守りました。

「私で遊ぶなと言ったろう……クリップを戻せ」

 ちらりと振り返ることもせず、ルイエちゃんはドスの利いた声で命令しました。

 ルイエちゃんの身に、一体何が起こったのでしょうか。

 私とワノンちゃんは膝から下をせわしなく動かし、椅子を引きずって後ずさりました。

「……うるさい」

 ルイエちゃんの低いつぶやきは、私たちをその場に縫い付けてしまいました。

 体が私から離れてみたいに、ちっとも言うことを聞いてくれません。

「分かった、分かった、着けてやるから」

 フィンカちゃんは無造作にルイエちゃんの髪をまとめ、さっきのクリップで留めました。

 再び朝日が差し込み、クーラーの効いたキャビンが温かくなってゆきます。

 私たちが見守る中、ルイエちゃんは自分で前髪を直しながら少しだけ口を尖らせました。

「何なのさ、もう」

 いつも通りのルイエちゃんです。

 私は硬いため息を吐き出し、なんとかお茶をすすりました。

「フィンカ、なんやったん? 今の」

 ワノンちゃんが上目づかいで訊ねると、フィンカちゃんは軽くあごをさすりました。

 

「分かんねーけど、クリップを外すと戻っちまうんだよ」

 あのヘアクリップには、一体どんな秘密があるのでしょう。

 小型の洗脳装置が埋め込まれているのでしょうか。

 それともあの中にルイエちゃんの魂が閉じ込められているのでしょうか。

「外すって、フィンカ、人前でやったの?」

 ルイエちゃんは後頭を押さえ、慌ててフィンカちゃんを振り返りました。

 フィンカちゃんはいかにもおざなりに謝りましたが、ルイエちゃんの怒りは収まりません。

 椅子から立ち上がり、ルイエちゃんはフィンカちゃんにつっかかりました。

「私のキャラが壊れたらフィンカのせいだからね! 次やったら絶交! 絶交する!」

 ルイエちゃんのノックを捌きながら、フィンカちゃんはげらげらと笑い続けています。

 私とワノンちゃんが目を白黒させていると、フィンカちゃんは種明かしをしてくれました。

「組んだばっかのころは、ずっとあんな感じだったんだ。いつも殺気をまき散らして、戦うことにしか興味がなくて」

 心当たりがあったのか、ワノンちゃんが小さく声を上げました。 

「あー、そういえばウチが入ったころは、今よりスパルタやった気がするわ」

 私が入る前はルイエちゃんの性格が違っていたなんて、初耳です。

 刀を収めたルイエちゃんは、席について大きなため息をつきました。

 

「それで、フィンカがこのクリップをくれたんだ。生きるのが楽しくなるおまじない。髪をまとめたら変われるって自分に言い聞かせてたら、いつの間にか本当に変わってた」

 だから、恩人なんだよ、フィンカは。

 クリップを指さし、ルイエちゃんは苦笑いして見せました。

 端から端まで知り尽くしているようでも、この船には私の知らない物語がたくさんあるのです。

「私、今のルイエちゃんが好きです。優しくて、頼りがいがあって、大人で、強くて、カッコよくて、時々キャラが崩壊して。だから、ルイエちゃんが出会ったのが、フィンカちゃんで本当によかった」

 私が笑いかけると、ルイエちゃんは真っ赤になり、フィンカちゃんは得意げに鼻をこすりました。

「だろ? さすがはフィンカ様だよなぁ、ルイエも存分に感謝するがよいぞ」

 お腹を抱えて笑いながら、私たちは踏ん反り返ったフィンカちゃんにたくさんヤジを飛ばしました。

 危ない目にあってばかりだけれど、みんなと一緒に旅ができて私はとっても幸せ。

 もしできるなら、オロク発の夜行を降りて、不安げに駅舎の天井を見上げていた私に言ってあげたいです。

 おめでとう、あなたはよい友達に出合います、と。

「よっしゃ、隙あり!」

 私が顔を上げた時には、フィンカちゃんの手にクリップが握られていました。

 私たちと一緒に笑うフリをしながら、フィンカちゃんはじりじりとルイエちゃんに詰め寄っていたのです。

 フィンカちゃんは走って逃げようとしましたが、ルイエちゃんがねじふせる方が先でした。

「本当に殺されたいらしいな……」

 フィンカちゃんが倒れた拍子にクリップが飛び出し、運転席の方へ乾いた音をたてて転がり落ちていきました。

 フィンカちゃんの顔からどんどん血の気が引いていくのは、クリップが見えなくなったからではありません。

 ルイエちゃんにぎりぎりと首を絞め上げられているからです。

「たし、たしゅけ――」

 これは一大事です。

 私は立ち上がって運転席に走り、舵輪の下に頭を突っ込みましたが、クリップは見当たりません。

 急いで辺りを調べ、シートの下の隙間を覗き込むと、ありました。

 薄っぺらい光の中に、細長い影が横たわっています。

「だめです! シートの下に入って手が届きません!」

 私がキャビンを見上げると、フィンカちゃんの首が絞まらないないよう、ワノンちゃんがルイエちゃんの肩を押さえていました。

「アホか! 力づくでシートを引きはがすんや!」

 今日も朝から、オムライス号は大騒ぎです。