少しマンガっぽくなってしまった。反省。
「いっせーのーで、アレク、退院おめでとう!」
白いテーブルの上に、グラスのさざめきが広がった。カルボナーラにカルパッチョ、ボスカイオラの大皿を、いつもの5人が囲んでいる。アレク達はワインを一気に飲み干し、星型の切り欠きが入ったグラスを自分の手元に置いた。
「見舞いに行けなくて、悪かったな」
空いたグラスに、ミーシャが赤ワインを注いだ。やんごとなき赤紫に舞い上がる泡が眩しい。
「いや、3日で戻ってこれたんだから、大した怪我でもなかったんだろ」
アレクがワインをなめると、パルミがボスカイオラにカッターを入れながら訊ねた。
「それで、先生は何て? これで無罪放免?」
フォークを下に滑り込ませて生地を持ち上げると、黄色がかったチーズが細く糸を引いた目の粗いチーズの混じって、つややかなマッシュルームの香りがする。
「今のところは何も異常なし。検査は時々あるらしいけどな」
ユーゴは乾いた音を立てて焼き目のついたチーズを噛み千切り、息を吹いて口の中のピザを冷まそうとした。ワイン入りボスカイオラ味の息は相当に香しく、ノンナとパルミは眉をひそめ横目でユーゴを睨み付けている。
「気持ち悪くなったらすぐ言えよ。あと少して脳味噌が黒こげになるところだったんから」
咀嚼されたピザの残骸を見せつけ、ユーゴはアレクに気を遣ってみせた。
「ガスで黒焦げはないだろ。まあ、病み上がりだからな、暫くは甘えさせてもらうことにするよ」
アレクは苦笑しながら、ユーゴの皿にカルボナーラをよそった。
「ガス? ああ、俺もあの後頭が重くって重くって、もうホント厄日だったわ」
ユーゴは一度眉を寄せたが、すぐ締まりのない顔に戻り素直に皿を受け取った。
「そういえばさ、この間のテロでやられたのって、大学病院だったんでしょ? 見た感じ綺麗だったし、大したことなかったのかな?」
ノンナの問いにユーゴが得意げに笑い、アレクは話をユーゴに任せて壁の上のエーゲ海を眺めた。青い海の手前には白塗りの家並みが続き、テラスに出たパラソルの下では他の客が食事しているらしい。家々の壁は強いスタンドの光に輝き、どのテラスにもプラスチック製の植木鉢が並んでいる。
「それそれ。ここだけの話なんだけどさ、砲撃されたのは、裏手の新しい建物だったんだ。上の方がこーんなに抉れて、黒焦げになってよ……」
ノンナたちは肩を寄せ合い、ユーゴの話に聞き入っている。アレクは手すりに肘をつき、ボスカイオラをかじりながら軽やかなボサノヴァに耳を傾けた。
「幸い人が入る前だったから、怪我人はいなかったんだと。警察はいっぱい来てたけどな」
そういえば、スピーカーはどこに有るのだろうか。アレクは店内を見渡し、嵌め殺しの窓の奥にスピーカーのコーンを見付けた。ハリボテの民家にも、色々中身があるらしい。
「それならいいんだけどさ……自分が居合わせたらと思うとぞっとするよね、やっぱり」
ミーシャはパルミのため息を笑い飛ばした。
「よっぽど運が悪くない限り外れクジなんか引きゃしないよ。そんなことより、海の話をしようぜ」
ミーシャが仲間たちにワインを注ぎ直し、退院祝いが再開した。パルミが持ってきたガイドブックを回し読みしながら雰囲気のよさそうなレストランを探し、残ったカルパッチョとカルボナーラを平らげ、残るはボトルに残ったワインだけ。
「残りはみんなで山分けだな」
ユーゴは空いたグラスにワインを少しずつ注ぎ始めた。アレクは先に残ったワインを飲み干そうとしたが先にボトルの方が空になってしまい、4人がグラスを空けるのを指をくわえて眺める羽目になったのだった。
レストランを後にした5人は、その足でスポーツ用品店に向かった。バケーションの時期に入った事も有って、水着コーナーは若者たちで賑わっている。ノンナたちはドアをくぐるや否や鋭い目つきで水着を物色し始め、男3人は試着候補を両手に持たされた。
「パルミ、これなんてどうかな? おかしくない?」
ノンナがゼブラ柄のスリングショットを自分にあてがうと、パルミは小さく後ずさった。
「おかしくはないけどさ、ノンナはもっと可愛い系というか、姫系っていうか……、ほら、これなんてひらひらしてて可愛いよ」
パルミが差し出したのは、ドレーピーなバティックのセパレートだった。ホルターネックのトップスには鼈甲の飾りもついていて、鮮やかなオレンジ色によく合っている。
「そういうのじゃだめなんだってば、またアレクに子ども扱いされるんだから」
ノンナはふくれっ面で水着を押し返した。同い年の筈なのに、ノンナとパルミはしまいに見える。
「もうこんだけあるんだから、とりあえず試着したらどうだ? 似合ってたら『許してくれノンナ、俺、今まで君ががこんなにエレガントな女性だったなんてしらなかったんだ』って言ってやるから」
よほど自信があるのか、アレクが宥めるとノンナは目を細めて冷ややかに笑った。
「よしよし。まあアレクの事だから? 素直に謝れるとは思えないけど? 私が素敵なお姉さんだってところを見せてあげましょう」
ふらふらと踊りながら試着室に向かうノンナをアレクは大量の水着を抱えて追い、試着室の壁に寄り掛かかりながらノンナが着替えるのをぼんやりと待った。
「……ねえ、アレク」
ノンナが話しかけたのは、暫くしてからだった。
「こないだ、夢を見たんだ。みんなでね、海に遊びに行く夢。ビーチまでは一緒だったのに、気が付いたらアレクだけ迷子になってて、みんなでアレクを探すの」
ユーゴたちは、まださっきの場所でパルミに付き合わされている。
「それで? 俺は見つかったのか」
アレクは、壁越しにノンナの手を探した。中からも、同じ音が聞こえる。
「ビーチの端っこを探してたら、林のすぐそばにガゼポがあってね、そこにアレクがいたの。ちょうどこういう水着を着た、髪の黒い女の人と一緒に。私の知らない顔で、笑ってた」
アレクは小さくため息をつき、試着室の前に出た。
「一人で残念がってないで見せてみろよ。お前が思ってるよりマシかもしれない」
重たい音を引きずって白いカーテンが開き、水着姿のノンナが現れた。適度にしまったウエストはスリングショットと平行なラインを描き、ゼブラ柄の肩ひもは真っ直ぐに突っ張っている。
「いいよ、言わなくていい……なんとなく分かってるし……」
ノンナがあと少し面長なら文句のつけようもなかっただろうに。見せかけの危うい背伸びは、アレクの頬を赤く染めた。
「確かに見せられないな。その、他の男には」
ノンナは右手で胸を押さえ、左手で勢いよくカーテンを閉めた。
「ず、ずるいよ……そういう言い方は」
聞き取れない独り言をカーテンの裏で散々呟いてから、ノンナはしぼんだ声で全くの話を振った。
「ねえ、アレクは、最近どんな夢、見た?」
アレクは顎に手を当て少し考え込んでから、小さく声を上げた。
「ああ、だいぶ前だと思うけど、霧の中を歩いてる夢を見たな。何にもなくて――」
アレクの声は、随分淡々としている。
「ふーん、何か味気ない夢」
その後ノンナはいくつかの水着を試着したが、結局パルミの選んだ水着を買うことに決めたのだった。