ふたり回し

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相談

これをもっと早く書きたいんだよね……


 そのまま話はレフの恋愛遍歴に流れ、負けじとラーニャも今まで振ってきた男のカタログをめくった。愛せなくなった理由というのがこれまた、どれも些細で情けない。一時は刺々しかった雰囲気もすっかり和やかになり、歓迎会はまずまずの成果を収めた。

 歓迎会の後、アレクはアジートの中をあちこち引き回された。ライブハウスに射撃場、ビリヤード小屋までは、過激ながらもアレクの知っているものだったが、カジノは未知の世界そのものだった。人々はカードに興じているかと思いきや、勝った者には働いてもいないのに褒美が与えられる。その褒美はドル札と呼ばれ、レフ達にとっての配給券にあたる物らしい。しかも怖ろしいことに、皆が旅行費と間違える程の額を払ったりもらったりしているというではないか。あまりの軽々しさと図太さ、そして客たちの血の気の多さに、アレクの酔いは見事に吹き飛んだ。

 皆が別れた後、アレクは空き部屋に連れて行かれた。そこは通りを下りきったあたりから横道に入った所で、レフが言うにはガレージにも近くて便利だとのことだ。白熱灯に照らされた薄暗い坑道は地面も壁も剥き出しの岩盤のまま、両側には錆びかけた扉がずらりと並んでいる。アレクが宛がわれた一人部屋は、外から見た通り狭くて細長く何もかもが壁に詰め込まれた、ある種のからくり屋敷だった。色々なものを見せられてすっかり目を回していたため、アレクは掃除を後回しにして折り畳み式のベッドに横たわった。

 

 微睡みから浮かび上がると、アレクは真っ先に城の中庭を目指した。ニコライに協力してよいのか、多少無理をしても抗うべきなのか。カルラの話と突き合わせれば、ニコライの言い分を値踏みすることも出来るだろう。反り返った階段を上り、ねじれたバルコニーを横切って、緑のタペストリーが垂れ下がった足下の方へ。おぼろげながらに道を覚えていたのか、多少は迷いもしたものの、いつの間にかあの広間についていた。

 中庭につながっているのは、確か階段の下くぐった先の出口だ。広間を見渡して下にアーチを備えた階段を見つけ、アレクは道順の見当をつけた。ここから少し降りたところに、バルコニーへの出口がある。壁は湾曲しているから、下に見える捻じれた渡り廊下に出るだろう。後は壁沿いにテラスを進み、そのまま階段を下りるだけだ。静かな光の差し込むアーチを駆け足でくぐると、そこには果たしてカルラの姿があった。

 久しぶりに訪れた中庭は、カルラに出会ったときのままだ。ツツジの香りがそよぎ、芝生の間にはまばらにタンポポが黄色をのぞかせている。カルラにとって、ここはお気に入りの場所なのだろうか。賢しらに捻くれた石組の城にあって、この庭だけはのどかで暖かい。

「アレクさん、ご無事で何よりでした」

 芝生を踏みしめる風通しの良い足音に、白衣の背中が振り向いた。笑みを浮かべたりはしないが、カルラの眉からは珍しく力が抜けている。たまたま居合わせたとき険しい顔をしていただけで、別に元々強面というわけではないらしい。

「お久しぶりです。いやあ、死ぬかと思いましたよ……あの後結局、保安局に捕まっちゃって」

 夕べ襲い掛かってきた事件を、アレクは出来るだけ懐かしそうに話した。なぜかお小言は飛んでこず、カルラは目を白黒させている。

「捕まった? 収容所の名簿には載っていなかったから、てっきり難を逃れたものとばかり……」

 別れ際の言葉通り、カルラも一応動いてくれていたらしい。聞こえないように小さくため息をつき、アレクはようやく本題を持ち出した。

「護送中に、テロリストに攫われたんですよ。今、加勢を頼まれて悩んでるところです。本人たちはユレシュを目の仇にしてるから、一応味方……とは思うんですけど」

 テロリストという言葉が持つそれなりの刺々しさが、太めの眉を小さくつついた。和やかなお喋りができるのはここまでということだ。

「まあ、座りましょう」

 カルラは朽ちかけた木のベンチを指さし、アレクを促した。

「加勢……彼らは知っているのですね……」

 カルラは優しく白衣の裾を伸ばして、音もなくベンチに座った。アレクも恐る恐る席に着いたが、背もたれはささくれ立ち、どうにも座り心地が悪い。カルラはしばし考えこみ、緑の庭は陰に沈んだ。太陽が小さな雲に隠れたのだ。

「部分的に利害が一致していることは認めますが、問題はその後です。よしんば彼らが党を倒せたとしても、今度は彼らが私欲のために人々を虐げるかもしれません」

 或は、西側の傀儡にされたり。カルラは、顎に手を当て、細めた目で空を見上げた。小さな雲が、鋭い光に縁どられている。曇りというほどではないが、今日はいつになく雲が多い。

「流石にそこまでとは……俺も破壊活動に加わるつもりはありません、勿論」

 アレクはニコライ達の肩を持ちかけて、止めた。彼らはついこの間、カルラの職場を破壊したばかりなのだ。

「ですけど、いざというとき連中の力を借りられるなら、ユレシュの研究に関係あることだけ協力する……ってことも出来るんじゃないかと……ほら、俺達には、銃撃戦なんてできないんだし」

 カルラとて、二人で出来ることには限りがあると分かっている筈だ。荒くれ者とはいえ、纏まった味方を手に入れる機を逃す手はない。アレクはじっと滑らかな横顔を見つめていたが、やがてカルラは小さく|頭(かぶり)を振った。

「そんな都合の良い協力の仕方は中々できないものです……軽率な考えは捨て、極力何も出来ないふりをして誤魔化してください。状況を悪くしないためにも」

 力を借して欲しいという、エカチェリーナの言葉はどう考えても本心だ。一度持ちつ持たれつになれば、頼みを断り切れないことも出てくるだろう。カルラの言い分は正しい。

「分かりました……」 

 アレクは僅かに項垂れ、木陰の中に踏み付けれたタンポポを認めた。彼らを欺くことは本当に正しいことなのだろうか。曲がりなりにも、ニコライは自分で決めろと言ってくれたのだ。アレクは立ち上がって潰れた花を摘み取り、それからカルラを振り返った。

「天使様、彼らはなぜ、血を流してまで戦おうとするんでしょうか」

 ニコライ達が守ろうとしたもの。家族と呼ばれていた何か。自由と呼ばれていた、何か。二つの言葉が持つ意味は、まだアレクから隔てられている。或は、単に見落としてしまったのだろうか。サブマリンやカジノ、そしてラーニャが身に纏う、地上から失われた何かを。手掛かりを求めるアレクの眼差しを、しかし、カルラは短く切り捨てた。

「戦い自体が、彼らを誘惑するからです」

 どんな言い訳を、彼らが考え出したとしても。カルラは静かに立ち上がり、奥の扉に向かって歩き出した。自分ですら分からないものを人に分かれというのも無理がある。追うことも止めることも出来ず、アレクはただ花を手に白衣の背中を見送った。