難しいシーンが続く。
「あ、ああ。皆と一緒にいると、スゴイ楽しいよ」
アレクがぎこちなく笑って見せると、レフはにやにやしながら冷やかした。
「ちょろいな~、アレク君は。でもお嬢に手を出すのは止めとけよ。お嬢はホントにおっかねえんだから」
テンション上げて行こうぜぇ。レフはさらに酒を勧め、アレクは燃料入りのビールを殆ど一気飲みする格好になってしまった。レフがお代わりを二杯注文し、いつの間にか競争が始まっている。リイファとターニャも手拍子で馬鹿騒ぎに加わる中、酔いの回ったアレクを静かに値踏みする者がいた。火付きの悪いアレクを誘い込んだ、アグラーヤその人である。
「こちらが前菜となります。小皿に取り分けてお召し上がりください」
程なくして前菜が届き、小皿に料理をとりわけながら質問攻めがまた始まった。職場の話、寮の話、ファッションの話。レフ達が食いついたのは市内に設けられたコートの話で、ここにはそういうものはあまりないらしい。
「やっぱり青空ってのはいいもんだよねぇ。たまには表を散歩したりもするけど、それも人目を気にしながらだし」
消耗品の買い出しで街を訪れるのが、だから楽しみの一つなのだという。穴燕の巣が使われているというとろみがついたスープを味わいながら、レフは白い天井を眺めた。
「でも、ここにも外にはないものが色々あって新鮮だよ。何だっけ? この……」
アレクはジョッキを掲げ、中に沈んでいるはずのコップを見つめた。ふつふつと舞い上がる光の粒が、見えないガラスの上を滑ってゆく。
「サブマリン? 驚くにはまだ早いよ。もっとすごいのもあるんだから」
メニューを探すターニャの眼差しはテーブルの上を彷徨い、それから店の入り口に留まった。気怠いたれ目が見開かれたのは、良くないものが見えたからだろうか。
「ラーニャ、ラーニャってば」
アレクから彼女の話を聞き出そうとしていたため、ラーニャは脇を小突かれて僅かにむくれた。
「何? 何かあるなら言えって」
だが、邪魔しないでとは続かない。顎をやった先には、角刈りの大男が立っていたのだ。
「なんだ、お前らもここに来てたのか」
ニコライは平然とリィファに席を詰めさせ、苦笑いを浮かべたバトゥと並んで座った。
「ハァ? 何勝手に座ってんすか?」
ラーニャはテーブルに手をついて立ち上がり、目頭に皺を刻んだが、テロリストの首領が相手では子犬が喚いているのと変わらない。ニコライはちらりとラーニャを見上げ、顰め面で鼻を鳴らした。
「ここは俺の席だ。いつ来ようが勝手だろう……尤も、時々勝手にここで飲み食いしてる連中がいるらしいが」
ラーニャはあっさりと言い込められ、わざとらしい舌打ちとごく短い問いくらいしか返せなかった。
「……ババアは?」
二人には年寄りとの付き合いがあるのだろうか。凍り付いたレフ達をよそに、アレクはテーブルを眠たげな目で見渡した。
「さっき部屋に戻りましたよ。眠いからって」
まあ許してあげてください。寂しがり屋なんです、親方は。バトゥが目配せすると、ニコライは口をへの字に曲げた。ラーニャも乱暴に腰を下ろし、一応喧嘩は収まったようだ。
「前菜、お持ちしましょうか?」
オイスターソース炒めを運んできたウェイターは伺いを立てたが、ニコライは気を遣い、続きの料理を増やすようにとだけ頼んだ。子供が親と暮らしているのは、どうにも都合が悪いらしい。押し黙る二人を見比べ、アレクは低い声で切り出した。
「ラーニャ、さっきの話なんだけどさ……」
ノンナっていってさ。無邪気っていうか、子供っぽいヤツなんだ。アレクはぼそぼそと恋人の話を始めた。能天気でお人好し、いつもせわしなく怒ったり笑ったりして、一緒にいると退屈することがない。子ども扱いされたといってしょっちゅう拗ねる癖に、色気のないショートカットを決して改めようとしなかった。
「ちょ、それ可愛過ぎ」
ぎこちなく凪いでいたテーブルに、小ぶりな笑い声が打ち寄せた。世話ばかり焼かせているようでも、ここぞというとき、ノンナは何かとアレクを助けてくれる。一息ついてホタテを箸で拾うと、ラーニャが身を乗り出してアレクに囁いた。
「ねえねえ。その子と私、どっちの方が可愛い?」
恋人の話をさせたのは、この一言のためだったのだろうか。アレクは少しだけ目を泳がせ、目の前のサブマリンを飲み干し、それから引きつった笑顔を見せた。
「美人という意味ではラーニャだよ……間違いなく」
言ってしまった。アルコールと乾いた返事が、口の中を焼いている。ラーニャは危うい笑みを浮かべるばかりで一言も返事をよこさず、歪んだ光を映した瞳は決してアレクを放さない。二人の様子に気付いたのは、隣に座るターニャだった。
「何、何? 何話してるの?」
茶化そうとするターニャの唇を、ラーニャは人差し指で縫い付けた。
「だーめ、これはアタシとアレクの秘密だもん」
えー、あっやしー。二人の話し声は、妙に遠く聞こえる。せっかく戻った雰囲気だ。ラーニャの機嫌をとるという判断は正しい。分かり切ったことなのに、酒臭い胸焼けは中々消えてくれなかった