ふたり回し

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凱旋

今回も少し短め。


 ニコライ達が戻って来たのは、二日後の夜だった。運送部と同じ紺地のトラックが3台、ハンガーの前に陣取ったかと思うと、跳ね上げたパネルの下からボルゾイが現れたのだ。整備班の先輩達が表に集まり仲間との再会を祝う中、アレクは一人で工具を取りに行った。皆はこれから知ることになる。出発した時とは、仲間の数が違うことを。

「なんだ、シケた面しやがって」

 懸架されたボルゾイに取りつき、作業に没頭した振りをしているところを、ニコライに見とがめられた。

「今になって、分からなくなってさ。あのとき俺がやったことが、本当に正しかったのか……」

 決して無駄ではなかったとカルラから聞かされても、結果を前にして割り切ることは難しい。ここは城でもオハでもない、アレクの働くハンガーなのだ。

「ニコライの言っていたことの意味が、漸く分かった」

 振り返らずに答えると、ニコライはボルゾイに寄りかかった。黒いカウルのところどころに、銀色の爪痕が奔っている。遠目には分からないが、よく見れば黒い部分も塗料の違う塗り直しだらけだ。

「聞いたのか、アントンのこと」

 応答はなかった。それ以上のことは、居合わせたニコライ達でさえ知らない。吹き飛ぶところも、転がった屍も、目にしたものはいなかった。アントンの死は、だから、前提にはならない。

「作戦を決めたのは俺だ。お前じゃねえ。お前の仕事は、敵を見つける所までだ」

 サスのナットを締める手が、ぴたりと止まった。赤いマーキングが、いつの間にかすっかり隠れてしまっている。

「これまでだって何人も、仲間は死んださ……それも、何のためか分からねえような小競り合いのためにな」

 短く息をつき、ニコライは低い声で伝えた。

「だが奴には、マトモな死に場所を用意してやれた。お前のお陰だ」

 礼を言うぜ。遠ざかる足音を聞きながら、アレクはレンチを強く握りしめた。ざら付いた手袋の内の、冷たい手ごたえを、強く、強く。

 隊員たちは次々とハンガーを去り、アレクが再び整備を始めた頃には、一人もいなくなっていた。戦闘の後、ニコライ達はサハリンから脱出しなければならなかったのだ。のんびり休む暇などなかったに違いない。苦労が思いやられるのは、しかし、実働隊だけではなかった。

「アレク君、次、6号車に回ってくれる?」

 班長に言われて、アレクはサルーキの点検を始めた。ハンガーに般走機が戻ってきてから、これで3台目だ。激しい戦いの後だけあって、どの車体が受けた損傷も演習時とは比べ物にならない。サスのセットは大きくずれ、エンジンのローターはすり減り、バトゥのボルゾイなど、前脚のフレームに亀裂が入っていた。破損箇所を調べるだけでもとんでもない時間がかかる。

 そしてこのサルーキが一番の重体なのを、アレクはよくよく知っていた。酷使した四肢は勿論のこと、タービンは巻き上げた土を噛み、耐熱性のパッキンが溶けてパイプとギヤポンプが癒着している。修理を通り越して、レストアが必要な状態だ。

「イワンか……それにしても、何であんなに軍隊が憎いんだろう」

 独り言ともつかない疑問に、先輩はわざわざ答えてくれた。

「そりゃ反政府運動だからな。最初から軍隊とは敵同士よ。親方達なんて、軍隊の内ゲバで追い出されたクチだしな」

 9ミリ。言われるままに工具箱からレンチをとり、先輩に手渡した。

「エカチェリーナが、そんな話をしてたな……やっぱり、関係あるんだろうか」

 ハンガーの中で、一台だけ型落ちのサルーキ。乗り換えが面倒だというそれだけの理由のために、ソビエト製の汎走機に乗り続けるのもおかしな話だ。

「いや、オッサンがいたのは、国境警備隊って話だぜ」

 スケートボードに転がったまま、先輩が這い出してきた。

「そうじゃなくて、軍隊辞めた理由がさ」

 それは恐らく、天下国家のためではない。アレクが見ていると、先輩は何かに目を向けた。

「二人とも、堂々とだべりすぎだって」

 レフだ。自分の持ち場を離れておいて、好き勝手なことを宣う。二人の傍に屈みこみ、レフはわざとらしく周りを伺った。ここだけの話なんだけどさ。

「オッサンはさぁ、地図にない町から来たみたいなんだよね」

 レフにつられて、アレクは声を押し殺した。

「地図にない町? 党が隠してるのか?」

 オハのように陰惨な実験が、田舎町で行われていたとしても不思議はない。だが、レフは物知り顔で指を振った。

「ノンノン。消されたんだよ、地上から、跡形もなく」

 町でさえも、なかったことになる。冷たい風を思い出して、アレクは身震いした。イワンも失ったのだろうか。その日までの自分を。

「本人には聞いちゃだめよん? ワケアリなのは、皆同じだからさ」

 言うだけ言うとレフは立ち上がり、自分の持ち場に戻ってしまった。知り合いの扉を開けると、やはりロクなことにならない。かじかんだ手で、アレクは再びサルーキの後脚を分解し始めた。