ふたり回し

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酩酊

あと一回で上巻完結!


 見た目通り、中の部品も殆どが使えなくなっていた。もはや修理前の点検ではなく、廃車後の物色だ。ボルトやバルブ、プラグなどの細々とした部品の小分けが終わると、アレクは弾痕だらけのカウルを見下ろした。

「古い車種らしいけど、まだ生産続いてるのか……?」

 手元に残ったのは、流用の利く部品ばかりだ。貴重なのも不可欠なのも、固有のフレームやカウルだというのに。油染みた軍手で口を覆い、青ざめるアレク。視界の端でブーツが立ち止まり、穏やかに答えを教えた。

「終了してるよ。その代わり、中古の部品が沢山出回ってる」

 汎走機初の量産車であるサルーキは、運用上の大きな欠陥を抱えていた。サルーキはあくまで市街地での非対称戦闘を念頭に置いたモデルであり、本格的な対戦車戦闘に堪えるだけの火器を積載、官制する能力は持っていなかったのだ。ガントラックや偵察車両の更新も兼ねてソ連全域への配備が進められた後、僅か5年でより大型の後継車種がロールアウトしている。

「そういうわけで、交換部品に心配はないよ。現役の車体も少ないしね」

 話が終わって立ち去る前に、班長はもう一つだけ言い残した。

「この後、ホールで祝勝会があるって」

 二人は歓声をあげ、大急ぎで廃材を片付けた。せっかくのパーティーに、この格好で出かける道理はない。自室に戻ってシャワーを浴び、アレクは着替えてハンガーに戻って来た。現場に人影はなく、シャッターの隣に開いた緑色の勝手口から淡いざわめきが聞こえてくる。扉の隙間からホールを覗いてみると、そこは既に会場と化していた。

「あー、来た来た。皆、アレクだよー」

 目ざとくアレクを見つけ出し、アグラーヤはこちらを射指さした。レフ達も手を挙げ、彼女の後についてくる。

「ラーニャ、凄い盛り上がりようだな」

 バザールの時と違い露店が出ているわけではないが、ホールにはテーブルがひしめき、仲間達が話に花を咲かせている。知り合いを探そうと会場を見渡していると、ドルマンスリーブを背中で重ね、タチアナが体を前に乗り出した。

「どっか、皆で座れるトコ探さない? アレクもお腹減ってるでしょ?」

 オハの研究所が見つかって以来、いつもの面子に加わることもめっきり減ってしまっていた。アレクが根を詰めている間、どんなことがあったのか、聞くことも話すことも、本当に山ほど溜まっている。

 ところが座席探しは、始まる前に取り上げられてしまった。

「ちょい待ち、さっき親方が探してたぜぇ。何かアレク君に、話があるみたいよ」

 ニコライの呼び出しが、これまで世間話に終わった例はない。レフに首を抱えこまれ、アレクは青白い泣き言を漏らした。

「せっかく終わったのに、また仕事が増えるのか?」

 それも今度は、飲んで騒いで眠って起きた暁に、全てが丸く収まっているかもしれないのだ。羽を伸ばす機会を返上してまで、一体何をする必要があるというのだろう。

「ご愁傷さま~~」

 萎れた背中でアグラーヤの声援を受け取り、アレクは首領の下へ向かった。会場の奥には工事用の足場で組んだ急ごしらえのステージが広がり、実働部隊の面々がその脇に陣取っている。その中でもひと際凄みのある大男が、声をかけるまでもなく立ち上がって手招きした。

「遅いぞアレク、とっくの昔に乾杯が終わっちまったじゃねえか」

 ニコライは腰を下し、ジョッキに残ったラムバックを飲み干した。大皿の上では残ったピロシキが輝き、大迫力の匂いを放っている。

「悪かったよ。俺も参加してたんだし、ちゃんと最初から出とくべきだった」

 違う、違う。前髪をいじるアレクに、ニコライは怒鳴りつけた。

「音頭だよ。お前、救出作戦の立役者だろうが」

 先ほど凱旋したばかりの指揮官は、なんと遅刻者に挨拶させるつもりだったらしい。

「立役者って、戦ったのは皆だろ? 俺なんかが出しゃばったら、それこそバチが当たるぞ」

 明るい天井に、アレクは目を泳がせた。隊員達が体を張っている間、居眠りをしていたなどとは口が裂けても言えそうにない。渋るアレクを引きずり、ニコライは階段を上った。

「バカ、いいからステージ上がらねえか」

 会場の騒ぎが遠のき、ステンレスの階段から、冷たい響きが返ってくる。

「乾杯は終ったんじゃなかったのか!」

 押し問答が聞こえたのか、人々がアレク達に気づき始めた。マイクの前に立たされて、もはや後戻りはできない格好だ。 

「だから、今からでも話せよ。お前が出てこねえと誰も納得しねえぞ」

 アレクの肩に手を置いて、ニコライは小さく囁いた。いつも見上げているよりも、天井がやけに近い。話すこともないというのに、ここに立つ資格があるというのだろうか。口笛や歓声に促され、アレクはゆっくりと話しだした。

「皆さんこんばんは。知り合いばかりのような気がするけど、一応自己紹介。アジートにきてぼちぼち一か月になります、整備班のアレクです」

 ありあわせの台詞を出し尽くすと、ホールは途端に広くなった。人々は手を止め、控えめなトランスだけがテーブルの下で管を巻いている。ここから先は、何か話が必要だ。

「作戦が上手くいったと聞かされて、とりあえずホッとしてます。実働部隊の皆、本当にお疲れさまでした。それから、おめでとう」

 もう口の中が乾いて来た。舌はざら付き、唾が重い。何か他に、言うべきことはあるだろうか。何か他に、言ってもよいことはあるだろうか。

「この作戦は最初、俺の単なる我儘でした。子供達を助けようとか、慈善家みたいなことを言い出して、ニコライには怒られましたよ。それは、仲間に死んでくれって言っているのと同じだって……本当に、その通りだった。俺には、何も言い返せませんでした」

 一度だけニコライを振り返り、アレクはそれから会場を見渡した。過ちが打ち寄せるたび、勢いの背筋が揺れる。大切なのはこの先だ。あれから本当に、色々なことがあった。

「その時、イワンやエカチェリーナが賛成してくれたんです。やってみるだけの価値があるって。子供達を助け出すべきだって。二人だけじゃない、ニコライや、実働隊の皆、『守る会』の人達まで。本当に沢山の人が助けてくれたお陰で、この結果に辿りつくことができました」

 本当に、ありがとうございます。アレクが頭を下げると、仲間達は拍手で答えた。洗い晒しの天井に雨脚が降り注ぎ、不毛なコンクリートの奥まで瞬く間に沁み渡ってゆく。鉄板のステップは余りにも頼りなく、浮ついた足取りをしっかりと受け止めきれない。パイプに縋って戻って来たアレクを、ニコライはいつもの強面で迎えた。

「まあまあだ」

 小言を免れ、アレクは胸をなで下ろした。笑顔が危険信号なら、仏頂面に安心しろということか。

「焦ったよ。急にスピーチしろだなんてさ。さっきも言ったけど、こういうのはもっと、活躍した人が――」

 謙遜という程でもない率直な見解は、しかし、最後まで言わせてもらえなかった。

「そんなこと言いっこなし。あなたがいなかったら、会議も始められなかったのよ、私達」

 両手でアレクの頬を挟み、エカチェリーナは思いきりこね回した。子供達を救い出したのは、彼女自身に他ならない。オハでヘリと戦ったのも、やはりニコライ達である。それなのに隊員達は、アレクのことを労った。

「姐さんの言う通りだ。お前さんが来るずっと前から、俺達はずっと待ってるだけだった」

 一体どこに敵がいるのか、誰かが見つけてくれるのを。思いがけない歓待に、鼻の頭が痒くなってくる。

「眠ってただけで褒められると、却って申し訳ない気がしてくるな……でも、皆の役に立てたんなら、それでいいのかもしれない」

 ピント外れの笑顔を見せると、モーゼスはアレクの肩に肘をかけた。

「ハンガーの仕事をこなしながら、寝てる間も仕事してたんしょ? 働きづめじゃないっすか」

 どっと笑い声が巻き上がり、それからアレクは質問攻めにあった。城の中はどうなっているのか。どうしてオハのことが分かったのか。今まで覗いて来た中に、皆の知っている人物はいるのか。カルラのことに気づかれないよう、アレクは無難な答えを返していった。

「やってる間に、コツみたいなものが分かってきたりするのか?」

 コツというからには、大物の扉を探しあてるコツなのだろう。カルラによれば上手いらしいが、技術といえるようなものは何もなく、アレクは答えに詰まってしまった。

「実のところまだ全然分かってないんだ……でも、居眠りだけは相当練習したよ」

 やってみせようか? アレクは呼吸法を実践し、殆ど意識が途切れかけたところでバカ騒ぎに呼び戻された。