ふたり回し

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炎上

お待ちかねの戦争だ!


 扉の場所が変わったのは、人間関係のせいだとカルラは言っていた。ノンナたちの下からレフたちのところへと、アレクは流れてきたのだろうか。弧を描いた廊下を進みながら、アレクは扉を見比べた。このあたりの扉がレフやラーニャのものだとすれば、その先に整備班の面々、コルレルやニコライの扉が続き、隊員達の扉はさらにその外側ということになる。藪蛇をつつかぬよう少し離れた扉を選んで、アレクはノブに手をかけた。ところどころペンキの剥がれた、錆だらけの取っ手。ドアが開くにつれて隙間から冷い風があふれ出し、ゆっくりとアレクを包み込んだ。

「……ちらモーゼス。火災は順調に拡大中。州道まであと5kmってとこっす」 

 アレクの手元に、ざら付いた無線が灯った。ここまでは予定通り作戦が進行しているようだ。他の隊員からも次々に連絡が入り、放火の成功が告げられた。アレクの持ち場も既に炎に包まれ、松の枝葉が爆ぜる乾いた音が聞こえてくる。熱い霧雨が陸風に乗り、夜を木立の奥へと追いやっていくのをアレクは汗を拭いながら見つめた。

「こちらイワン。延焼を確認。あと2km程で採掘場に到達する」

 どうやらこれは、イワンの扉のようだ。多少離れた扉を選んだのが、功を奏したということか。汗ばんだグリップを押し込み、イワンはサルーキを少し歩かせた。ボルゾイよりも小柄な車体は、ガスタービン特有の鋭い音を響かせる。

「少し、早すぎるかもしれねぇな」

 予定より発見が早まれば、襲撃と協力者の到着がずれてしまう。イワンは梢の隙間から熱帯夜を見上げ、遠吠えの中からサイレンを拾おうとした。数キロ先では、採掘場のガスフレアが妙に大きくたなびいている。一人目の通報者は、恐らくあそこから出るだろう。

「今更止めらんだろう。突入も同じだ。連中が騒ぎ出してからでは遅い」

 木々の間に敷き詰められた長い松葉の絨毯を、じりじりと炎が塗り替えてゆく。ここも潮時だ。押し寄せる熱と煙を避け、イワンは再びサルーキを進めた。赤く照らされた土の上には梢と煙の影が渦巻き、風に合わせて揺らいでいる。

「ま――あく――かし――で待てば――じゃ――」

 場所が離れているせいだろう。エカチェリーナの返事は、半分以上砂に埋もれている。

「しっ……来ましたぜ、姐さん」

 聞きつけたのは、一番南を担当しているバトゥだ。ほどなくしてイワンの下にも、火の粉を散らす木々を飛び越え、サイレンの音が届いた。数台の消防車が、市街地から近づいてくる。

「こちら――班。と――開――!」

 これで後は、見つからぬよう撤収するだけだ。西側の丘を登り、反対側で州道に出る。右手を引き、サルーキを回頭させようとしたその時、焼け落ちた枝が地面に当たって砕け、松葉が赤い尾を引いて散らばった。風だ。僅かに遅れて、迷彩服が足に張り付く。

「ニコライ、まずいことになったぞ」

 頭上を火の粉が、右手に向かって飛んでいる。今回の作戦目標、オハ国立擁護センターの方向だ。

「あまり施設に近づかれると厄介だな。バトゥの所に集まれ。採掘場に突撃する」

 始めから待っていた状況開始の命令に、不揃いな応答とエンジン音が重なった。スロットルを踏む程に、サルーキの身のこなしは荒々しくなってゆく。向かい風に吹き飛ばされ、次々に現れる木々。僅かにグリップを傾け、イワンはその悉くを紙一重で躱し続けた。

「こちらモーゼス、今バトゥと合流した」

 木の根だ。回避するまでもなく、条件反射は障害物を受け流す。火の粉の吹雪を切り裂きながら、サルーキは砂地を蹴ってさらに加速した。速度計は150km/hを前後し、タコメーターは100,000r/mを超えている。スピードに乗ったまままばらな松の間をすり抜け、イワンはついにオレンジ色の土煙を捉えた。26m前方、ニコライのボルゾイが見えたかと思いきや、次の瞬間には流れ過ぎ、松林の中に消えている。

「先鋒はイワン、侵入後に散開して配管を狙え。ミサイルは使うんじゃねえぞ」

 今回、ボルゾイのマウントは全て対空ミサイルに充てられた。飛行場の攻撃ヘリは、ボルゾイの天敵だ。武装構成は似通っていながら、ボルゾイより足が速く、常にこちらを俯瞰しながら索敵、攻撃することができる。消火用のヘリに人員が割かれたところで、その脅威は変わらない。

 向かいから、二機のボルゾイが駆けてくる。イワンは暗視ゴーグルを下し、左のグリップを小さく引いた。サルーキが左に傾き、木々を避けながら緑色の闇に滑り込んでゆく。

「こちらイワン、バトゥとモーゼスに合流した」

 乾いた足音を夜風に刻みつけ、3匹の猟犬は隊列を整えた。素早く全身をしならせ、向かい風の奥へと吸い込まれてゆくサルーキ。その機上には、しかし、ライダーが死に物狂いでしがみついている。機体が縦に暴れるたび、シートを挟んだ太腿が擦り切れ、首の骨が音を立てて軋む。戦闘が始まる前から、体中がガタガタだ。遅れてニコライとアントンのボルゾイが加わり、群れは油井の篝火めがけて突き進んだ。鳴りやまぬサイレン、木立の奥にちらつく光、消防車のバリケードが刻一刻と近づいてくる。

「攻撃開始!」

 木々の流れが止み、緑色の夜の上にまばらな四角い影が現れた。予想外の襲撃に、逃げ惑うの消防隊員達。北サハリンの田舎町では、反共テロなどお目にかかる機会もないのだろう。猟犬たちは防衛ラインを素通りし、採掘場に火種を持ち込んだ。樹状に伸びた動脈の、どこを噛んでも赤い火が噴き出す。右の引き金に指をかけ、イワンは短く弾を撒いた。ざら付いた視界に広がる、轟きと白い光。その中から、翻り、立ち昇る炎が現れた。

「足下のパイプを撃つなよ。ボルゾイは焼いても旨くねぇからな」

 そこかしこで轟音が放たれ、櫓を伝って夜を熱している。ゴーグルは、もう必要ない。生身の夜は赤く、ほんのわずかに揺らめいて見える。炎を避けてパイプを飛び越え、イワンは次の得物に向かった。

「親方、野郎はどうなんすか?」

 ニコライの冗談に、モーゼスが返事を寄越した。

「それこそ食えたもんじゃねえよ。その辺に放ってくから、そのつもりでな」

 正論だ。作戦行動中だというのに、口がそこはかとなく曲がってしまう。ひと際太いパイプに向かって、イワンは深く引き金を引いた。ガスト式機関砲の重い銃声。朝日が弾け、膨れ上がり、暗い空に食らいついた。恐らくは中央管だ。流れている原油の量が違う。反対側へと飛び移り、櫓を正面に捉えたが、危ない。今度は僚機が邪魔をした。ボルゾイを躱し、そのまま隣のブロックへ。銃撃に入る直前、イワンは上空を伺った。サイレンの向うに波打つ、冷たくて残忍な音。それも一つや二つではない。採掘場に、ヘリの編隊が近づいている