見よ、Cタケの華麗なるブーメランを!
そういえば、Kが戻って来てから、パラガス達に連絡するのを忘れていた。
揃いも揃ってお人よしばかりだから、さぞ気を揉んでいることだろう。
『みすまる』のグループを選んでから、俺は思いとどまった。
連中に、一体どこまで伝えたものか。
実際にあり得ないし想定するのも馬鹿々々しいが、万が一ということはある。
ここは最小限の事実だけを述べるべきだろう。
『Kが見つかった。昨日からウチにいる』
これで連中も少しは安心するだろう。
シャツを取ろうと立ち上がると、早くもアクオスが震え出した。
暇人どもめ。
朝っぱらからSNSなんぞにかじりつきおって。
パラガスやアキノリのみならず、トリシャさんの返事もある。
『分かった。落ち着いたらまた連絡して』
『寂しいのは分かったからさ、俺たちまで妄想に巻き込むなよな』
『師匠! マロというものがありながら……』
どいつもこいつも好き勝手に解釈しやがって。
受け手として俺の意図を読み取るのがお前たちの義務だろうに。
愚者を説得することほど不毛な行いもない。
取りあえず事実が伝わったことを良しとして、俺は制服に着替え始めた。
白い半袖のカッターシャツに、ライトグレーのズボン、それに白と赤の布ベルト。
昼間なら、夏服でも足りるだろう。
勿論下には照沙のTシャツだ。
Kにバレると五月蠅そうだが、これは絶対に外せないオシャレポイントである。
「よっしゃ、行くでCタケ!」
勢いよくドアを蹴飛ばし、Kが入って来た。
案の定、オカンのブラウスが徴発されている。
「しかし、よく着る気になったな。50手前のオバハンの服だぞ」
俺は大量のフリルが付いた、黒いブラウスを指さした。
白いジーパンはともかく、これは流石に悪趣味だ。
「オバハンには派手過ぎるかもしれんけど、ま、ウチが着る分には大丈夫やろ」
そういえば、コイツも悪趣味なのを忘れていた。
なるほど、普段の私服とそこまで違わない。
「それで? 俺をどこに連れていくつもりだ? どうせどこかの服屋だろうが……」
俺は既に本物の地獄を知っている。
一人で入るランジェリーショップに比べれば、ただの服屋など出来の悪いお化け屋敷に過ぎない。
「大体そんなトコや。まずは阪急、乗るで」
俺は泰然と従い、余裕を見せつけてやることにした。
悪いな、K。
俺はお前の期待には応えられそうもない。
俺たちが乗り込んだ下りの電車はあっという間に芦屋川を通り過ぎた。
「次や」
駅のホームを見送り、Kはほくそえんだ。
意気込んで出かけた割には、随分と目的地が近い。
「なんだ。てっきり三ノ宮かと思ったぞ」
服屋と喫茶店がひしめく三ノ宮センター街は、兵庫県のバビロンである。
それを差し置いて岡本とは、どういう風の吹きまわしだ。
窓を流れる住宅街は様変わりする気配もなく、ただ月並みさを装い続けている。
「これやからオタクは困るわ」
何だ。
お前は一体何を知っている。
この先には一体何があるというのだ。
Kに悟られぬよう、俺は路線図に目をやった。
夙川、芦屋川、そして岡本。
三ノ宮に行くときに通りすぎるだけの駅である。
希薄なイメージを探るうち、俺は漸く断片を引き当てた。
「そういえば、DQN共がよく乗り降りしていたな」
俺たちが向かっているのは、連中のご用達か。
身構える間もなく、電車は減速を始めてしまった。
「なあK、一体どんな所なんだ? これから行く服屋というのは」
俺が尋ねると、Kは首を振った。
「ちゃうちゃう、サロンや、サロン。まずはそのダッサイキノコ、バッサリ落としてまおか」
よもやキノコとは、俺の髪のことではあるまいな。
天才デッキビルダー、マッシュの象徴たるこの見事なマッシュルームカットを切る?
冗談ではない。
大会、オフ会、展示会、どこに行ってもコイツがあれば、一目でマッシュだと分かる。
俺にとってこの髪型は単なるオシャレではなく、時代と戦う風雲児、異彩を放つ鬼才としての自負そのものなのだ。
マッシュルームカットでない俺など、もはやマッシュにも、デッキビルダーにも非ず。
そんな事態になれば、文字通り己の進退を考えねばなるまい。
「待て! 俺はまだやれる! 断髪には早いぞ!」
無情にもドアが開き、DQN達は寄ってたかって、俺を押し出そうとした。
マッシュを止めてたまるものか、ビルダーを止めてたまるものか。
俺はマッシュ、天才デッキビルダー、第五実験地区のマッシュだ。
手摺を掴み、俺は力の限り抵抗した。
「往生際の悪いやっちゃな! そんなとこしがみ付いたら、人の邪魔やろーが」
Kは俺の腰を抱え、岡本に引きずりおろそうとしている。
図ったな、K。
引きはがされると同時に茶色いドアが閉まり、電車はそそくさと走り去っていった。
「待て、待ってくれ!」
終わった。
天才デッキビルダー、マッシュは死んだ。
Kの自己満足などのために、こんなDQNの掃き溜めの中で、人知れず。
美容室から出て来たとき、そこにいるのは最早自信と才気に満ち溢れた今までの俺ではない。
K好みのチャラけた頭をした、ちょっと優秀なだけの凡百な高校生にされている。
こんなつまらない理由のために、カードゲーム業界、いや、人類社会の未来が失われてよいものか。
俺は持てる限りのロジックとエビデンスとレトリックとを総動員し、最後のネゴシエーションに臨んだ。
「な、なあ、K……マッシュルームカットも、存外悪くないと思わないか? ほら、再来年あたり、マッシュルームカットの歌手が全米で大ブレイクしてだな……世界中が真似を始めて、ファッション誌の巻頭も、テレビのひな壇もマッシュルームカットだらけ、マッシュルームカット最高、ガチでイケてるなどと――」
顎の先端から滴り落ちる、汗。
必死の説得にも関わらず、Kの返答は非情であった。
「いや、ないやろ」
お前のような行き当たりばったりの愚か者に数年先のムーブメントが見通せるものか。
どうせ流行り出してから、最新のスタイルとか言って飛びつくに決まっている。
「一遍イメチェンしたら、絶対気に入るて」
俺の手首を掴み、刑場へと連行するK。
駅を出た俺たちを待っていたのは、降り注ぐ日差しと、白壁の美容室だった。
「こんちわー」
ガラス戸を開け放ち、Kは勢いよく飛び込んでいった。
ワックスを塗り固めたようなフローリング、これ見よがしなアレカヤシの鉢植え、トリコロールのソファ。
オカンの店同様、スカした化粧品の臭いが、部屋の隅々までこびりついている。
「あれ? 御影ちゃん、結構最近来たくない?」
頭の足りなさそうな美容師は、活用のおかしな日本語で尋ねた。
VIP板なら袋叩きにされているところだが、この男の突っ込みどころは全く別のところにあった。
「美容師がオカッパじゃないか! さっきと話が違うぞ!」
Kめ、疎いのをいいことに、今まで俺を騙していたな。
ダサいだのキノコだの、散々言われたこの髪型。
流行っているかはともかく、プロが似たような髪型をしているではないか。
やはり他人の言うことを鵜呑みにせず、自分の目で確かめなくてはならないということだ。
さもなければ、こういうロクでなしの出まかせに踊らされることになる。
「アホ、お前と一緒にすんな! イッシーさんは金髪やろ! オカッパゆうても、金髪と黒では別モンや」
Kのシバキが、容赦なく飛んできた。
復活したのは結構だが、家を出てからのコイツはいくらなんでも興奮し過ぎだ。
こんなことになるなら、わざわざ発破を掛けなければよかった。
「染めればよくなくない? うん、キメキメになれるよ」
美容師は俺の頭を見回して、肩を軽く叩いた。
「ふざけるな。そんなDQNのような真似ができるか」
俺のような由緒正しいインテリを、こともあろうに金髪に仕立てようとは。
なんという不届き者だ。
「分かってないなぁ。マッシュっていうのはさ、ヤンキーのためのスタイルなんかじゃない。カリスマのためのスタイルだよ?」
通ぶった美容師の語りに、聞き捨てならない言葉が混じっていた。
「カリスマだと?」
とかく美容界隈は、闇雲にカリスマという言葉を使いたがる。
それが示すものが何かを考えたためしもないくせにだ。
「そう。カリスマ。いわゆる天才クリエーターとか、大物アーティストって、結構マッシュの人がいたりしない? マッシュはさあ、時代に流されず、未来を切り開いていく天才の象徴なわけ」
何が未来を切り開いていく天才だ。
人を乗せようとして、調子のいいことばかり並べ立てやがって。
俺は美容師の手を払いのけ、毅然と申し出を断った。
「結構だ。金髪は校則で禁止されているからな。それに本当の大物は髪型などに拘ったりしない。適度に気が利いていて清潔感があればよろしい!」