ふたり回し

小説投稿サイトとは別に連絡や報告、画像の管理などを行います

報酬

短いが、少し演出に気合を入れてみた。


 その後、アレクは眠りにつくと真っ直ぐに中庭を目指した。カルラはきっと待っているはずだ。もう大丈夫だと、アレクが伝えに来るのを。階段を一つ登り、次の突き当りで右に曲がって、下り階段から城の外へ。歩幅が次第に大きくなり、いつの間にか駆け足になっている。中庭に飛び出したアレクは、果たして見慣れた白衣を見つけた。

「カルラ様!」

 顔つきだけで論旨が伝わってしまったのだろうか。アレクを迎えるカルラの笑顔は、今まで見せたことのないものだった。

「アレクさん、よかった! 本当によかった!」

 カルラはつなぎの両肘を掴み、思いきり揺さぶった。アレクを見上げる両目には、うっすらと涙が滲んでいる。

「それにしても、あんなにあっさりと終わるなんて。まるで手品を見ているようでした」

 アレクは目を丸くして、ぎこちなくカルラに尋ねた。

「覗いてたんですか? あんな時間に?」

 気になるのは当然だが、カルラがサボって昼寝をするところは些か想像しづらい。白い袖で涙を拭い、カルラは笑いながら聞き返した。

「あんな時間って、夜中ですよ?」

 そもそもの作戦からして、紛れもない夜襲だった。アレクもまた、随分と間抜けなことを聞いたものである。

「こ、子供達はどうなりました? 連れ出した後のことは、俺には分からなくって」

 新しい質問を使って、アレクは勘違いを誤魔化した。

「ノグリキで治療を受けた後、イルクーツクの病院に転院させることになっています。会の息がかかった病院ですし、向うなら、反イブレフスキの党員も沢山いますから」

 今でこそ砂漠のイメージが強いが、嘗てのイルクーツクは水の都だった。人口の流出に歯止めがかからず予算まで干された恨みか、特に天使の間では中央に対する反発が根強いのだという。

「良かった。それならイポリートも簡単には手を出せませんね」

 アレクは胸をなで下ろし、太陽を仰いだ。ささやかな中庭に燦々と降り注ぎ、緑を輝かせる透き通った日差し。こんなに天気がいいのは、一体何日ぶりだろうか。芝生の中から白い蝶が舞い上がり、眩しい白衣の肩にとまった。

「ええ、それにもう、新しい犠牲者が出ることはありません」

 カルラの眼差しに、二人が出会った頃の険しさが蘇った。

「仲間達が準備を進めています。イポリートは失脚し、彼らは求心力を失うことになる」

 突入した消防隊は、施設の発見者を兼ねていた。同行した捜査官が証拠品を押収し、モスクワ派が議会で徹底的に糾弾する運びになっているそうだ。

「カルラ様、いつの間にそこまで根回ししてたんですか」

 事実を確認するや否や、『守る会』は動き出していた。利害の一致どころではない。会にとってもこの作戦は、漸く訪れた千載一遇の好機だったのだという。

「イブレフスキ陣営が多数派なのは、保守的な党員を囲いこんでいるからです。ユレシュの粛清が偽装であったことが明るみに出れば、彼らの間には決定的な亀裂が生まれます」

 カルラの肩から、蝶が静かに飛び立った。空を見上げる黒い瞳は細く、しかし真っ直ぐに行く先を捉えている。

「そうか……じゃあ、もうすぐ取り返せるかもしれないってことですね。いつの間にか、随分前に進んでたんだな……」

 子供達を救い出すために二人が始めた地道な探索が、見えないところでユレシュ達の喉元に届いていた。不意に近づいた出口は、じっと見つめるには余りに眩しい。

「アレクさんのお陰です。アレクさんが見つけてくれなければ、誰も気づかなかった」

 許されざる実験も、虐げられていた子供達も。カルラに手柄を押し付けられ、アレクは大きくたじろいだ。もし、あのときアレクが見つけなければ。

「いや、実際戦ったのはニコライ達だし、その後のことも『守る会』に丸投げだし、結局俺は、言われるままに下見してただけというか、その……」

 だからあれは、アレクのせいではない。何も知らないカルラには、謙遜に聞こえたのだろうか。麗らかに腕を組み、つれない調子で相槌を打った。

「言われてみれば、確かにそうですね」

 でも。アレクの姿を灯して、黒い瞳が輝いた。

「感謝しています。続けさせてはいけないと、私に言って下さったこと……本当に、嬉しかった」

 底知れぬ闇の中にあっても、想いが届き、願いが叶うならば。たとえ時間はかかっても、探し求める明日に辿りつく筈だ。この旅が始まった鏡の回廊を見上げると、透き通った青い空を、白い帯がよぎっていた。

「カルラ様、あれは」

 澄んだ風に乗って、城をつなぐ橋の間を蝶の群れが流れてゆく。高みに瞬く、健やかな白い翅。たなびく髪を押さえながら、カルラは眩し気に呟いた。

「私も初めて――綺麗」

 カルラの肩に留まった蝶は、あの中に混じっているのだろうか。二人は言葉を忘れ、蝶の群れをじっと見守った。とめどないせせらぎが途絶え、一かけらの傷も残さず彼方へ運び去ってしまうまで。