ふたり回し

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なんて可哀相なのかしら! その5

憐の恐るべき策略とは……


 やられた。

 白磁の香炉が場に出た途端、残ったイコンはみんな骨抜きにされてしまった。

 ギャラリーから叫び声が上がり、ゆっくりとざわめきに変わってゆく。

「マジかよ」

「嘘でしょ? 勝ってたのに」

「糞、あれがナージャでなけりゃ」

 Kよ、まんまと乗せられてしまったな。

 今攻撃したナージャこそが、この状況下で動ける唯一のイコンだったというのに。

 甘い香りを叩き割るために、是が非でも残すべきアタッカーだったというのに。

 本人が、一番よく分かっているのだろう。

 テーブルの上で、Kの拳が震えている。

 

「可哀相なお姉ちゃん。コメットで攻撃してれば、お姉ちゃんの勝ちだったのに。神様って、どうしてこう意地悪なのかしら。 ねぇ?」

 それはつまり、我こそが新世界の神だというアピールか。

 自分でやっておいて、盗人猛々しいとはこのことだ。

 俺どころか、あのパラガスまでいきり立っているではないか。

 よりにもよって、パラガスのスイッチを次から次へと押しやがって。

 後でどうなっても俺は知らんぞ。

「ターンエンド……」

 宣言したKの顔は、見るからに絶望的だ。

 目に光はなく、口は見事に半開きのまま。

 意識が脳に閉じ込められて、外に出てこれなくなっている。

「粘れ、K! 粘るだけでいい!」

 相手が殴ってきても、1ターンなら持ちこたえられる。

 おそらく淫売はナージャを落としに来るだろうが、それこそ猶予の塊ではないか。

 淫売と同じく、カウンタースペルを起点に盛り返せ。

 相手のイコンを搾れば、それだけ寿命は延びるものだ。

 俺の声援は、しかし、閃光によって遮られてしまった。

 

「私のターン、ドロー。スタンバイするカードはなし。『おしゃべりジェリー』と、『新緑のカチューシャ』にアニメイトしてもらうわ……」

 無慈悲な轟音が、僅かな希望を叩き潰した。

 淫売の伏せカードは、盤上に一枚だけ。

 ここまで置きっ放しのあのカードが、高コストの切り札だったというのか。

 ギャラリーの視線は、桜色の公式スリーブに釘づけだ。

「兄貴、あれって、もしかして――」

 カチューシャのアニムは5、ジェリーのアニムは3。 

 だが、スペルにアニメイトするとき、ジェリーには2コスト分のボーナスが付く。

 そして金が擁する最大のクイックスペルは、まさしくその10コストなのだ。

 

「もしかしなくても、アレしかない!」

 淫売が裏返したのは、果たして『金のリンゴ』だった。

「スペル、『金のリンゴ』をキャスト。『肉球アニス』、『さすらいのコメット』、『赤羽白の巴』の3体をジャック」

 反旗を翻し、Kに向かって配置されるイコンたち。

 押していたはずの盤面が、一瞬にして覆されてしまった。

「ああ、可哀相なお姉ちゃん! ショーマ君どころか、自分のイコンにまで裏切られて……何もかも私に奪われて、誰も愛してくれないお姉ちゃん。なんて可哀相なのかしら」

 信じられん。

 これがcarnaをちょっとかじったド素人のプレイングだと?

 扱いの難しいジャック系のスペルを、奴は完璧に使いこなしている。

 全ては計算ずくだ。

 ジェリーを場に出し、甘い香りを当てさせて、奴はまんまとこの状況を作りだした。

 自分のターン開始時、アクティブなイコンが3体、Kの場に並んだこの状況を。

「やべー……コイツ、一体何なんだよ」

 アキノリは、半ば呻くように驚嘆の声を上げた。

 説明してほしいのはこっちの方だ。

イカサマだよ。こんなに都合よく、スペルが決まるわけないじゃん。それかマグレ――」

 違ーよ。

 ユキトの言いがかりに、アキノリは首を振った。

「コンボ自体は、最初から狙ってたんだ。それがナージャに潰されただけで」

 そう、そして淫売は、当初の作戦を強引に成功させた。

 エクスチェンジで押し付けられたジェリーと、今引きの甘い香りだけを使って。

「それにな、たとえタナボタだとしても、奴のプレイングが一つでも違ったらどうよ?」

 自分から甘い香りを使ってたら。 

 カチューシャを温存していたら。

 ナージャは間違いなく、甘い香りをアタックするだろう。

 金のリンゴを出すにはアニムが足らず、Kのイコンも行動済みになっていただろう。

 アキノリの言う通り、これはマグレなどではない。

 バクチだ。

 淫売は、全てを前提にヤマを張った。

 分の悪い賭けを仕掛け、それに見事勝利してみせた。

「カードはもともとギャンブルなんだ。たとえ運任せでも、勝っちまえばそれが正解になる」

 アキノリは、これ見よがしに解説して見せた。

 ベテランぶるのは結構だが、解説に回った時点でお前は既に主役ではない。

 そしてお前の解説からは、カードゲームの一大要素が抜けている。

「運任せだ? お前、淫売が何を使ったのか、まるで分かってないな……」

 溜息混じりに、俺は問題を出してやった。

「アキノリ、カードゲームにおける戦力の要素、全部言えるか?」

 日本のカードゲーム業界で問題になるのは、いつも同じ二項対立だ。

 純粋なプレイヤーの力と、それ以外の力。

 プレイングと構築か、それとも金と情報の力か。

 つまらない水掛け論ばかりが、延々と繰り返される。

 その中で、どちらの陣営からも忘れられている技術。

 それこそが、淫売の持つ最大の武器なのだ。

「何だよ、いきなり――プレイングだろ? 構築だろ? 運、メタ読み、カード資産……そんなもんじゃねーの? それともなんだ、嫌味も実力のうちか?」

 アキノリは、やはり知らないようだ。

 知ってはいても、それが技術であることを知らない。

 俺は軽く溜息をつき、そしてガキ共に教えてやった。

「そうだ。そしてKはそれにやられた。あの淫売の口車――ソーシャルにな」

 ソーシャルは、資産同様カードゲームにおいて尊敬されることがない。

 それどころか、時にイカサマのお仲間として蔑まれさえもする。

 純粋な知性と創意が称賛されるカードゲーム業界において、それはデッキとプレイヤーの実力を阻害する不純物でしかないからだ。

「さあ、私のイコン、『肉球アニス』で右側の手札をクラック……」

 当たった手札は、ミステルの枝。

 淫売がそのまま殴り込んで来れば、反撃の糸口にもなっただろう。

 だがそれをクラックしたのは、ミステルにアニメイトするはずだったアニスなのだ。

 さすが世界嫌な奴アワード、何気ないプレイにも皮肉が効いているな。

「ソーシャル? 何それ」

 ソーシャルといっても、みんな仲良くプレイしましょうなどという生温いものではない。

 競技に於けるソーシャルとは、むしろその逆の行為。

 陰険な心理戦だ。

「煽り、ハッタリ、猿芝居……あらゆるコミュニケーションによる妨害と攻撃の総称だ。Kが甘い香りに引っかかったのは、偶然でも何でもない。淫売は伏せカードに注意を引き付け、カウンターからKの注意を逸らしたんだ」

 そして再三の挑発は、無謀な攻撃を引き出すためのもの。

 俺の答えに、ユキトは口を尖らせた。

「何だよ、それ。卑怯なのが強いの!? いいことなの!?」

 まあ、そう来るよな。

 それが世間一般の、平均的な価値観だろう。

 ガキでなくとも、日本人は公正にこだわる。

「スポーツなら答えはノーだ。でもな、アキノリも言った通り、カードゲームはギャンブルなんだよ。お前、ババ抜きやポーカーでも正々堂々プレイするか?」

 聞き返されて、ユキトは答えに窮した。

「それは……トランプは、誰でも勝てるから――」

 トランプで小賢しく立ち回れるのは、強さを競うものではないから。

 カートゲームで卑怯が許されないのは、強さを競うものだから。

 そういったライトゲーマーの見解は、単なる錯誤に過ぎない。

 カードゲームがカードを使う以上、そのルーツはトランプにあるのだ。

「私のイコン、『さすらいのコメット』で最後の手札をクラック……クラック時の効果で、山札から『惑乱のフェルミ』を手札に加えるわ」

 Kに辻斬りを捨てさせ、淫売はシャッフルを始めた。

 余韻を長く楽しむために、わざとダラダラ続けてやがる。

 うっとりと微笑む淫売の顔を、俺はじっくり目に焼き付けた。

 俺のデッキをコケにした罪、いつかその血で贖ってもらうぞ。

「違うな。ポーカーにも、強いプレイヤー、上手いプレイヤーはいる」

 なるほどね。

 アキノリは淫売に目をやり、吐き捨てた。

「それが正に、あの可哀相女ってわけだ」

 シャッフルに飽きたのか、与えられた供物に満足したのか。

 淫売はシャッフルを止め、浴衣の少女を指さした。

 Kの目を見つめ、唇を歪めながら。

「ああ……つくづくカードに向いた女だ。虫唾が奔るほどにな」

 それにしても可哀相女とは、アキノリも中々上手いことを言う。

 他人の不幸が何より好きな女。

 他人に同情する自分に酔う女。

 淫売よ、貴様は知りもしないだろうな。

 俺が一番嫌いなのは、他人を見下すために慈善団体に入ったオバサンだということを。

「惨めね。手札もみんななくなっちゃった。それも自分のイコンにクラックされて……でも安心して。私は憐れんであげるから――私だけは憐れんであげるから。ねえ、お姉ちゃん?」

『赤羽白の巴』で、プレイヤーを攻撃。

 淫売は笑いながら、Kに止めを刺したのだった。