憐の仕掛けた罠とは。
風に流れる金髪に、瑞々しい緑色のカチューシャ。
何が躓くだ。
準バニラのカウンターイコンではないか。
淫売の肩透かしに、俺たちはめいめいに悪態をついた。
「何かと思ったら、カチューシャかよ」
「アニメイトするにも、もう手札0じゃん」
「今引きで出る? 強いカード」
シンプルで使いやすく、定番の一枚ではあるのだが、この崖っぷちから救ってくれるカードではない。
「フォロア0発動、『肉球アニス』をカーナ」
もう一枚の伏せカードは、案の定アニスだった。
手札一枚、イコン一体でしっかり安全確保しつつ、Kはこのターンを終えた。
子守歌がある限り、淫売のイコンが増えてもこちらの攻撃は直撃、次の攻撃で終わりだ。
「私のターン、ドロー。カードを一枚スタンバイ」
そういえば、今日は久し振りに、八汐さんが来るそうだ。
表に目をやると、いつの間にか薄い陰が差していた。
初めて来たときといい、あの人は雨女なのかもしれないな。
「お姉ちゃんのスペルはないから、『おねだりマリー』のフォースアクトで2ドローしてお終い」
ああ、終わった、終わった。
しかし水のイコンはやはり貧弱だ。
子守歌でステルス化してはいるが、高速化を進めるなら、土木に鞍替えした方がいいかもしれない。
クレタを5枚積みすれば、最序盤は力押しできるだろう。
問題は手札補充が戦利品頼みになってしまうことか。
木のスペルが使えなくなっては本末転倒だ。
やはりこのデッキはコメットと巴でもっている。
「うちのターン、ドロー……カードを一枚スタンバイ。『さすらいのコメット』でアニメイトして『まんまる尻尾のナージャ』カーナ」
Kに睨み付けられても、淫売の笑顔は立ち退かない。
ただ、目尻と口角が切れ込んでゆくだけだ。
深く、鋭く、醜く、そして残忍に。
小さな痺れが、背筋を駆け上がった。
何がある。
時間稼ぎ以外の、一体何が。
考えるまでもなく、ナージャのエクスチェンジが発動する。
俺たちが見守る中、淫売はゆっくりと手札を見せた。
「星の砂と……甘い香り……!」
その手があったか。
俺としたことが、パワーダウンの筋を忘れていた。
金の速攻対策としては、ド定番のカードではないか。
子守歌のステルスがかかっていても、あればかりは乗り越えられない。
「捨ててもらうで……『おしゃべりージェリー』を墓地から戻して、『甘い香り』は墓地行きや」
助かった。
助かったのは結構だが、Kめ。
俺が見落としたカードを、ちゃっかりと捌きやがって。
テーブル上のナージャを睨み、俺は舌打ちした。
「レン、お前スペルは?」
手札を見せた今、たった一枚だけ、この場で正体不明のカード。
マリーの隣に伏せられたカードからは、底知れぬ悪意がにじみ出ている。
パステルカラーのカードカバーが、かえって不気味に見えるほどだ。
「このターンはパス」
淫売の返事を受けて、Kの攻撃が始まった。
「『肉球アニス』で『おねだりマリー』をアタック」
アニスの爪が、淫売の延命手段を断ち切った。
盤上は既に4対1。
Kの攻めは、いつになく堅実だ。
「『赤羽白の巴』で手札をクラック。左側のカードをもらうで」
淫売が捨てたのは、さっき見せた星の砂。
澄まし顔をしているが、内心相当追い詰められているに違いない。
散々バカにした俺たちにあしらわれる淫売。
実にいい気味ではないか。
「ターンエンドや」
手札一枚を保険に残し、Kはターンを終えた。
ここまで大差がついてしまっては、もはやゲームを続ける意味さえない。
「私のターン、ドロー。カードを一枚スタンバイし、『新緑のカチューシャ』のアニメイトで『おしゃべりジェリー』をカーナ」
ターンエンド。
淫売の悪あがきが終わった。
「うちのターン、ドロー。スタンバイするカードはなし。使うんか? スペルは」
伏せカードは、裏向きのまま2ターンも放置されている。
カウンターを当てるため、入らないカードを手札から追い出したと見るのが正解だろう。
アキノリ達の間でも戦勝ムードが広がり、既に雑談が始まっている。
ところが、淫売は試合を進めず、Kの顔を覗きこんだ。
「お姉ちゃん、さっきから、ずっと気にしてるよね。このスペル……ねえ、どうして?」
突然Kを煽りだす淫売。
いくら勝ち目がないとはいえ、人間ここまで見苦しくなれるものだろうか。
永世中立国を決め込んでいたパラガスも、流石に顔を引きつらせる。
「憐さん、試合を続けて下さい」
コイツがこんなに冷たい声で他人に命令しようとは。
遠くの雷鳴が窓を震わせ、俺たちは大惨事に身構えた。
この中で誰一人、本当に怒ったパラガスを見た者はいない。
いつも仲裁ばかりで諍いとは縁のない男が。
何を言われてもヘラヘラと笑っていられる男が。
今、俺たちの前で、怒りを露わにしている。
これはもう、何が起こってもおかしくない。
「ああ、分かっちゃった。お姉ちゃん、これが甘い香りだと思ってるんでしょ? 香りが出て来たら、ナージャ以外は動けなくなっちゃうもんね」
パラガスを無視して、淫売は独演会を続けた。
余りの険悪なムードに、心なしかDQNも肩身が狭そうに見える。
「せっかく頑張ってイコンを並べたのに動かなくなっちゃうなんて、お姉ちゃん、なんて可哀相なのかしら……何も出来ずに負けちゃうお姉ちゃん、なんて惨めで可哀相なのかしらぁ」
言うに事欠いて「何も出来ずに」とは恐れ入る。
完封されたのはそっちの方ではないか。
淫売はうっとりと目を細め、薄気味悪い笑みを浮かべているが、たられば論で戦況は変わらない。
「そんなハッタリ、効く思とんのか……スペルがないならそれでええ、殴って終わりにしたる」
Kはナージャに手を伸ばし、右に捻った。
「『まんまる尻尾のナージャ』、最後の手札にアタック!」
変に長引いてしまったが、これで漸くケリが付く。
後はアニスが殴って、それでお終いだ。
俺が胸をなでおろしたその時、淫売は小さな声で嘲笑った。
「あーあ、踏んじゃった。可哀相に……『おしゃべりジェリー』のアニメイト、カウンター1。『甘い香り』を使わせてもらうね」