さすがにクリーチャーコンのスペース配分ともなると、
尻ごみもしてしまいます。
今回は骨休めなので、覚えることはありません。
いえ、そもそもスピードが遅くなるほど自由度が上がるので、
断定すること自体が不可能なのです。
言えるのは、
序盤よく使うカードは4枚、
序盤玉に使うカード、中盤用のカードが3枚、
ビートの銀の弾丸と、終盤用のカードは2枚、
位に限られてしまうのです。
では本題に入りましょう。
世間には「ネタデッキ」と「メタデッキ」という区別があります。
ネタというのは、受け狙いということ、
メタというのは、メタモルフォーゼのメタで、
流動的な環境*1の中で、その時々の最高の戦略を目指すことです。
ところが、「メタデッキ」という言葉は別の意味でも使われることがあります。
実戦能力を認められて、定式化したデッキ、世間に出回っているデッキのことを、
時に環境抜きでこのように呼びならわすのです。
単に、「強い」という点が共通しているのかもしれませんが、
私はここで少し違った見方をしてみたいと思います。
「メタデッキ」とは、メタモルフォーゼするマジョリティの軌跡である、と。
さて、ここでやっと『制服』の出番ですね。
要するに、変なデッキを使って、
「何、あのデッキ。ジャンクやん。」
「引くわ~、繋がらんのちゃう、ネットww」
「しっ、聞こえるってww」
などと言われるのは御免こうむる、ということ。
みんなが知っているデッキなら、
少なくともジャンク呼ばわりはされない、
そういう心理がどこかにあって、
「メタデッキ」という選択もあるのではないでしょうか。
『制服』によって「みんな」の中に隠れることで、
受け入れられたいという欲求は以前から指摘されています。
学校から出ても、『制服』はなくなりません。
今度はファッションという形で、「みんな」による剪定が始まります。
そして、時が経つと「みんな」は流行から卒業し、
また新たな流行に入学するのです。
こんなことを言い出すと、
マリアンナもアガジジムも「メタ」になってしまうのですが、
そういう可能性も捨て切れません。
「メタデッキ」が生まれるのが、ただ強さ故だとは、思えないのです。
*1:他のみんながどんなデッキを使っているか