前回は、メタデッキ=制服、ファッションという解釈を行いました。
今回は、ならばネタデッキは何なのか、というお話です。
さて、ネタデッキは、ファンデッキともいいます。
ただ勝つことばかりでなく、エンターテイメントとしての機能を追求した、
楽しむためのデッキですね。
特異なコンボや、折り句*1ハイランダー、珍妙フィニッシャーなど、
さまざまな種類があり、有名になったものもあります。
そして、ネタデッキは、時にメタゲームへの反抗の手段となります。
環境が偏って、ひとつのデッキタイプがDRを占領すると、
「もっといろんなデッキが戦える環境を」とか、
「デッキは勝つためだけの道具ではない」とか、
ネタデッキはいろいろな主張を背負い始めるのです。
ファッション業界では、これを「脱ファッション」と言います。
みんなが同じ格好をしていたのでは面白くないし、
社会が灰色のゴールに突き進むと、自由が認められなくなるかもしれない、
そんな時に、わざと変な格好をして、
「アタシはその辺の奴とは違うぞ」という人が出てくるのです。
しかし、脱ファッションも、
「世間に媚びない白筆さんって、サイコー。私も、私も」
といって、イコン的*2に脱ファッションを始める人が出てくると、
新たなファッション(マジョリティ)になってしまいます。
ファッションでないことが、切実な願いから、
自分を飾るための道具になってしまった瞬間です。
DMで、同じことが2,3度起こりました。
私も首を突っ込んで、もがれたことがあります。
デッキの中身ではなく、デッキによる主張が評価されるべきは、
初めの一回だけで十分です。
流行りだしてしまうと、どこかで容認されている、
メタデッキ的なものになってしまう。
アイデア勝負のデッキなど、実戦用にチューンするでもなくコピーされ、
雑誌のいう「みんなとは違う、貴女だけの個性的な」服のように出回れば、
もはや何なのか分からないものが残るだけです。
ですから私は、
「普通と違う」ことだけが取り柄になっていないか、
ネタデッキを作る時には、常に考えるようにしています。
せっかく作るデッキだから、何か大切なものを託したい。
果てしなく、報われない祈りです。