日本に関する初めての記述は、魏志中の*1「倭の国」とされている。
これは蔑称で、ホントは「和の国」が正しい!等という説もあるが、
私の見解は、このどちらでもない。
「和の国」「倭の国」と、名前に関して議論すること自体に、
疑問を感じる。
そもそも、国内はともかく、海外で初めて国交デビューしたような国が、
「名前」をつけるだろうか?
「うちの国は~~」「この国は~」と表現する気がしてならない。
そして、「わ」。
この言葉、古典の辞書で調べると、「我」が出てくる。
「我の国」とはいかないものだろうか?
さて、「われ」がどのようにしてできたか、考えてみたい。
「われ」に近い言葉を探してみる。
この場合、「わ」一文字で「我」なのだから、「れ」が大切になってくる。
「れ」がついて、「われ」に近いものと言えば、
真っ先に「これ」「それ」「あれ」「かれ」が思いつく。
指示語と、人称代名詞だ。
「あれ」「かれ」「われ」は、今でも人間のことを指している。
実は、枕草子においても、「そこ=あなた」というのがあり、
人称代名詞と場所が、密接な関係を持っていたことがわかる。
なんとなく、自分の方、という意味で使われていた「われ」が、
自分のことを意味するようになったのではないか?
あなた=あっちの方 私事=わ+たく+し+事と考えると、
「わ」の持つ意味が、より総合的に分かってくる。
というわけで、日本人が、魏の国に対し、「こっちの国」、
つまり、「我の国」といったという可能性を支持したい。
恐ろしく単純で、しかもありそうな話だ。
中国語で表記するときに、「わ」便宜的にに字をあてて、
「倭の国」となったのかもしれない。
詳しいことは専門家の方々の見解や、資料におまかせして、
私はことば遊びに戻ろう。