2Pさんが先走って話してしまったようだが、
意見については私もおおむね賛成だ。
エミルの決闘には、カルマがよく似合う。
ラタトスクは、シンフォニアの外伝というより、アビスの続編に近い。
エミルの動きもルークに近いし、
ラタトスクとの関係や、二人の結末がルークたちと真逆に終わっている点も、
そう思わせる一因だ。
シンフォニアの続編として描かれたのは、
シンフォニアの世界観が、アビスの世界観と異なっているためだろう。
アビスの世界では、ルークは罪や宿命と向き合いながら、
その中で自分の生き方、死に方を探さなくてはいけなかった。
受け入れる、という形で、立ち向かわなくてはいけなかった。
シンフォニアの世界では、ロイドたちは、一人一人の幸せを追求し続ける。
「俺はそんなのいやだ!」というワガママと、
ワガママを許すだけの優しさが、作品全体を貫いている。
少々強引だし、ウマがいいという人もいるかもしれない。
けれども、シンフォニアの世界でなら、
ルークにも自分の救いを求めることが許される。
シンフォニアの奇跡は、彼を見捨てはしない。
一つになった二人が、それぞれの陽だまりを見つけるためには、
ロイドのワガママの力が必要だったのだ。
そういうわけで、私は、
ラタトスクの騎士を「失われたものをとりもどす」RPGと呼びたい。
アビスのラストは、心残りのあるものだったから、
製作者側も何かの形で報いたいと思っていたのかもしれない。
補足になるが、アビスとシンフォニアの関連性についても述べたい。
アビスの中で印象的な役割を持つ「音」
これが、「君と響き合う」を受けていることは明らかだ。
「重なって揺れるとき」という表現とも重なる。
お互いのカルマが交錯して、お互いの一部になることで、
人はともに生きていけるという、アビスなりの救いだ。
私としては、これくらいハードな方がいい。