ふたり回し

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LOとエコロジー

今のDMは、山札を多く消費するほどに、戦況を有利にできる状態です。

LOもときどきは発生しますが、やはりイレギュラー要素の域。

このあたりで、LOを再検討すると、おもしろいことになるかもしれません。


思えば、山札を消費していくということは、隠された可能性を次々に暴いてゆくということです。

我先にと山札を吸いつくし、滅びを自らの手で引き寄せる―

これは、この星の意思に対する反逆です。

有限の未来を食いつぶすことで、相手に対して「アドバンテージ」を得ようとする浅ましさ。

手札とマナだけを見て、限りある山札から目をそむけようとする弱さ。

そこに控えている終末へ突き進むデュエリストの愚かしさ。

今世紀初頭のデュエリストたちの間で広まっているかのような風潮は、憎み、拒まれ、そして打ち倒されるべきものです。



山札がデッドエンドを見せることを、カードゲームではライブラリアウトと呼びます。

ライブラリアウトによって初めて、人は山札が有限であることを知り、軽率なドローを憎むことを知るのです。

これは、過去50年において人類が歩んできた道のりと、いくらも違いません。

いつまでも、求めただけ与えられると考え、自然の恩恵をむさぼってきたヒトを裁くのは、自らの招く飢えです。


では、デュエリストに山札の有限を知らしめ、この未曽有の危機を避けるためにはどうすればいいのでしょうか?

人は、自らの過ちに気付けるほど賢くもなく、危機を感じ取れるほど聡くもありません。

私たちが声を上げただけでは、やがて訪れる滅びを思い描くことすらできないでしょう。


ならば、唯一残されたのは、ショック療法のみ。

禁忌として葬られたLOの復活こそが、滅びを回避する最後の手段です。

勿論、LOをよみがえらせることによって生じる痛みは、けして無視できるものではありません。

ですが、この環境が、そしてデュエリストが必要としているのは、この悪夢に他ならないのです。

危機を目の当たりにさせることで、救い難いデュエリストたちを生ぬるい夢想から救わなくてはなりません。

脅威が身近に迫れば、浅ましいアドバンテージの取り合いにも終止符が打たれ、滅びは回避されます。

多少の犠牲は、やむをえません。

私たちの負う罪がやがて訪れる平穏の礎となり、絶えず滅びへの誘惑に駆られる私たちへの大いなる戒めとなるでしょう。


そして、ヤサカノフカの登場からも、私たちの理想がクリエイターの意思と一致していることは明らかです。

しばらくすれば、もう一段階強力なLO向けのカードは必ず現れます。

その時、収奪と貪欲とを克服した、新たな地平への進出がデュエリストに許されることになるでしょう。

私たちの友人、心あるデュエリストは、祈り、信じ、心を傾けてください。

約束された時が、近づいています。