ふたり回し

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ARIA終盤の違和感の正体

「最終回に向けてまとめにかかっているな」と、誰もが思ったことと思う。

だから、変化そのものは仕方ないことなのだとも。

それでも、今振り返ってみると、ちがう形で終わることもできたように思われるのだ・・・


ARIAの11巻あたり、いや、10巻の半ば、トラゲット前後からだろうか。

作品全体の雰囲気がスポコン化し、修養論じみた話が増えてくるのは。

「ああ、灯里が目録とって話が終わるんだろうな」

ARIAらしからぬ突然のペースアップは、主人公が成長して、目標達成して、最終回を迎えることを明らかに示していた。

それ自体は当然のことだと、頭ではわかっていても、この変化は若干ARIAを窮屈なものにしてしまった、と思う。

一話完結でのびのびと進んできた話が、険しくパタパタと去ってゆくのは、少しさびしいことだ。

(8巻のころには、「灯里ってもう19じゃない?w」などと冗談にしていたにもかかわらず、だ。)


「努力して、技術を身につけて、一人前になる(ためのテストをパスする)」

という明確な目標は、しかし、本当にARIAにふさわしいものだったのだろうか・・・

それまでARIAが語ってきた「目標」や「価値観」は、もっと色とりどりで、深みがあったように思う。

人々との出会いとか、不思議現象とか、街の歴史とか、ありふれたものの中に隠れたかけがえのないもの・・・

そういうものに気づいたり、そういうものから学んだりすることの大切さ。

終盤の慌ただしさのなかで、そうしたARIAの豊かさが置いてきぼりを食らってしまったのではないか。


終盤のエピソードとそれ以外の部分を比べると、ARIAそのものの特徴もよく見えてくる。

一話完結ならどれも似たようなものかもしれないが、

終盤と比べて序盤に顕著なのは、ゲスト、イベント、スポットといった外的要素だ。

ARIAの解放感というか、世界の奥行きは、こうした「非日常」に支えられていたように思われる。


ありていに言えば「日常系」のあの作品だからこそ、寄り道のような「非日常」は大きな要素だった。

お祭り、地下都市、浮島、無人島、花火、廃墟、花見、紅葉狩り、肝試し・・・

一つの街を舞台にしながら、灯里は私たちを実にいろいろなツアーに案内てくれた。

そして、何よりも新キャラ。

新しいキャラやゲストが出てくると、風通しがすごく良くなるのを感じた。

ARIAは、居住型なれど、ロードムービーでもあったのだ。


秋乃ばあ様が言っていたウィンディーネの極意は、まさしくこのありふれた「非日常」の発見だったはずだ。

面白いもの、綺麗なもの、楽しいもの、いろいろな素敵を発見して、お客さんにおすそわけすること・・・

灯里の素質も、本当はそういうものだったのではないか。

それだけに、終盤になって成長のあり方が技術的なものに変わってしまうところに寂しさを感じる。

ウィンディーネは、一人でする仕事ではない。

お客をガイドするのが仕事だったはずではないか、と。


だから、私は、「プリマのテストが~~」という展開が、ちょっと悲しかった。

実戦でお客さんを感動させて、アリシアさんにこれなら大丈夫と思わせる、そんな成長の見せ方もあったのではないかと思う。

その中で、今までに見聞きしたもの、アリシアさんから盗んだ技を駆使してくれたら・・・

なんか、ちょっと、すごくワクワクしたかもしれない。


お客さんをいかにして攻略するか、という方向なら、昇格と同時に終わる必要もなかった気がする。

アリシアさんが添乗しなくなるとか、引退してしまうとか、まだまだ試練は盛りだくさんなのだから。

それで最後にアリシアさんをお客さんとして乗せるとか、わりとアリだったんじゃないかなぁ・・・



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