ふたり回し

小説投稿サイトとは別に連絡や報告、画像の管理などを行います

☶☴(山風蠱)――その7

ちょっと長い説明が入るけど、気にしない、ない、ない!


「申し遅れましたが、占いにおいて私どもが読むのは、卦の種類、すなわち算木の並びだけではありません。」

 六本の棒を囲むようにして右手で楕円を描いてから、リシュンは下から二本目の棒を指した。

「これが今回の変爻です。卦の全体が出来事を示すなら、変爻は現在の状況や私たちの置かれた立場にあたります。そして、今回敵の正体を知る上でこれは極めて重要な要素なのです。」

「下から二本目には、どのような意味があるのですか?」

 親切なシャビィの質問に、リシュンは爻辞を引いて答えた。

易経には、九二、すなわち陽たる第二の爻が変爻であるとき『母の蠱を幹(つかさど)る』」とあります。これは母を葬るという意味ですが、この場合の母とは誰か……思い出してみてください、ちょうど一年前、周辺諸国をゆるがす大きな事件があったはずです。」

 素っ頓狂な声を上げたのは、禅僧達ではなく、付き合いで話を聞いていた豊氏だった。

「ああ、皇太后宮がお隠れになったのはその頃でしたな。買い付けから戻ってきた仲間から知らせを受けたときには驚きましたよ。」

 この皇太后とは、ナルガ周辺の小国ではなく、南の大国、奏の皇太后のことである。皇太后は息子が即位してから以前に増して強い影響力をふるっていたが、流石に寄せる年波だけは如何ともしがたく、かなり前から病の床に伏せっていたという。

「宮様の崩御を知った時には、私も残念でなりませんでした。誠に惜しい方をなくしたものです。」

 それがただの相槌ではないことを、沈んだ声が物語っていた。機を見計らっていたリシュンは、すかさず流れに棹をさす。

「ええ、宮様は仏教に理解のある、実に徳の高いお方だったと伺っています。」

 再び弟子たちを横目に捉えてから、門主は話に乗ってきた。

「ええ、宮様には熱心に入門を奨励されたばかりでなく、奏国内の寺院にも少なからぬ土地を寄進してくださった、私共にとっても母たるお方。今日のジャーナ宗は、宮様をはじめとする洋氏の皆さまによる惜しみないお力添えの上に成り立っております。……ところが……」

 門主は渋い顔で頭を振り、細く長い溜息を吐きだした。憂いをあらわにする門主に、リシュンと豊氏も交互に頷く。

「宮様が崩御なさると同時に、洋氏は凋落の一途をたどり、奏国の政は乱れ始め、重税と貴族の放埓、私腹を肥やすための空く方の数々……」

「奏国だけの話ではありません。私達海商も執拗に痛めつけられ、中でも胡麻や胡椒を卸していた店は目も当てられない有り様ですよ。」

 皇太后崩御してからの一年の間に、奏国では海上貿易を締めつける法律が矢継ぎ早に発布されていた。香辛料の専売制のみならず、関税は引き上げられ、国外に居留している華人への支援も打ち切られ、どころか、大型船など持っているだけで重税をかけられた。

「されば大師様、僭越ながら寺院のやりくりにも苦労の絶えぬことと存じます。」

 リシュンの辞儀に対し、

「お恥ずかしながら、洋氏御一門からのご寄付が途絶え、他の檀家の皆さまからの喜捨も冷え込んでしまっては、大きくなった教団を維持することさえままなりませぬ。」

 と門主は弱々しくこぼした。これを見たヘムは門主を慰め、奏の皇室を非難した。

「老師の非ではありません。おかしいのは奏国です。奏国内では、寺院つきの荘園から免税権まで剥奪されたというではありませんか。」

 リシュンは小さく頷き、全員の顔を見渡した。熱気を帯びた室内に、冷たい静寂がこだまする。

「臣民のみならず、私たちの暮らしをも脅かす帝政の迷走の背後には、陛下を惑わし、操っている者がいます。そして、その者の正体は、既にこの蠱という卦の中に顕れているのです。」

 大仰な宣告に身構えたのは、シャビィとヘムの二人だけ、豊氏と門主は、話が進むのを平静に見送っていた。

「蠱を為す二つの卦、即ち艮と巽は、人間に当てはめるならば末子と長女にあたります。艮は母たる坤が父たる乾に三つ目の陽を求めることによって生まれた息子であり、巽は父たる乾が母たる坤に一つ目の陰を求めることによって生まれた娘だからです。このことから、蠱卦はしばしば年上の女が年下の男をもてあそぶ様子にたとえられます。」

 陰陽思想に於いては、万物は陰と陽が混ざり合うことによって生じるとされる。坤(☷)は万物の母たつ陰が三つそろった卦であり、乾(☰)とは万物の父たる陽が三つそろった卦であり、それぞれが純粋な陰と陽の象徴として扱われる。乾坤以外の六卦の私有も同様に陰か陽かで決まるが、卦の陰陽を決めるのは陽の多寡ではなく、その偶奇である。即ち、陽を一つ持つ震(☳)、坎(☵)、艮(☶)は男児、陽を二つ持つ巽(☴)、離(☲)、兌(☱)は女児を指しているのだ。

「その年上の女というのが、帝をそそのかしているのですね。」

 シャビィの相槌は、占いに勢いを与えた。

「ええ、その通りです。帝をそそのかし、奏の政を乱し、ナルガの商人を苦しめ……皆さんを陥れようとしているその者は、貴妃・薫皇后とその一族に他なりません。」

 薫皇后の実家、即ち薫氏は洋氏と永らく争ってきた一族である。洋氏が丁度よい年ごろの女児を用意し損ねたその隙に、薫氏はいたいけな少年に四つも年上の豊満な美女をあてがった。後になって洋氏は十にもならない子供を続けて参内させたが、この娘達が結局男児に恵まれず、洋氏と薫氏の立場は一代のうちに入れ替わってしまったのである。



アルファポリスのポイント集計へのご協力をお願い申し上げます。