ふたり回し

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☶☴(山風蠱)――その8

ひと段落。

これで三分の一となると、山風蠱だけで『原生都市』より長くなるかもしれない。



「なるほど。覇道をひた走る薫氏には、無欲を説く仏教が目障りなのですな。尤も、御仏の教えは欲深いものにとってこそ救いであるべきなのですが。」

 大きく肩を落として相槌を待つ門主に対して、リシュンは首を横に振った。

「いえ、それだけが理由ならば、国から僧侶を締め出すだけで事足ります。薫氏が海上交易を締めつけていること、そして、かつて洋氏が交易によって財を築いたことを鑑みれば、彼らの狙いは一目瞭然です。」

 切れ長の目が、一瞬門主の表情の下を探った。

「薫氏は、洋氏の経済、指示基盤を潰すことで、一族の試合をより盤石なものにしようとしているのです。」

 洋氏の財源は、胡麻や胡椒の卸しを筆頭に、船宿や倉庫、船舶や水夫の貸出など多岐に及んでいた。国内の港はもちろん、ナルガのような港市にとって、洋氏の存在はなくてはならないものだったのだ。

「そして、その上で……周辺国の港市を手中に収めたい薫氏には、この地域で強い影響力を持つ寺院が邪魔なのでしょう。」

 含みのある口調に眉を吊り上げたヘムを制して、門主は議論を進展させた。

「それなら確かに彼らが私たちに目を付けたのも合点がゆきますな。とすれば、どうです。彼らはこれからどう出るのか、私たちはどうすべきか。」

 砂を噛むヘムをよそに、門主はやけに愛想がよい。リシュンは追求を見送って微笑み返した。

「薫氏のとりうる豊作は二つ――一つは、寺院を失墜させ、その影響力を奪うこと。もう一つは、皆さんを抱き込むことですが、これは――」

「無論、彼らに与するつもりはありませぬ。」

 門主の宣言からは、少しの迷いも感じられない。

「ならば、彼らに口実を与えぬよう、用心することが第一です。易経には『大河を渡るによろし』とありますが、今回の変爻は九二ですので、敵に隙を見せなければじきに第二爻は陰となり、山風蠱が艮為山に移るでしょう。これは二重の扉によって守られた形をもつ、安定した卦です。」

 神妙に答えるリシュンに、門主は軽く頷いた。

「それを聞いて安心しましたぞ。悪名高い薫氏といえども、大義がなくては寺院には手が出せますまい。」

 話がまとまったところに、門番をしていた召使いがやってきた。到着の遅れていた船が、先ほど港に入ったのだという。

「恐れ入りますが、皆様、込み入った話がございますので、少しばかり席を立つことをお許しください。」

 いそいそと部屋を抜け出した豊氏を見送ってから、リシュンは門主を戒めた。

「ですが、大師様、努々油断してはなりませんよ。大義とは如何様にも作り上げることのできるものです。例えば、建立されたばかりのプリア・クック寺院。ナルガにいつくまで久しく流れてきた身ですが、あれほどに絢爛な仏閣は見たことがありません。」

「これは嬉しいことを言ってくださる。」

 不意に激しい風が起こり、開け放たれた雨戸が壁に打ちすえられて何度もがなった。雨戸がはためくたびに部屋全体が明滅し、シャビィは耐えかねて目を覆った。

「あれだけのものを作るには、少なからぬ費えが必要です。先ほど、寺院の経営が傾いていると伺いましたが、それならばどこからその資金を得たのですか?さしたる確証がなくとも、お布施以外のところで現金を得ているのだと、彼らは糾弾してくるでしょう。」

 あらぬ疑いをかけられても、門主は少しも肩を怒らせることもなく、大きな声で笑って見せた。

「その点についてはご心配なく。私たちの決まりでは、そもそも現金を持つこともできません。プリア・クックは名士会の皆様に、その土地から院内の調度に至るまで用意して頂いたもの。誰もが苦しい中、ナルガの復興を祈って少しずつ費えや資材を持ち寄ってくださったのです。」

「それはよかった。そういうことなら、薫氏も簡単には手を出せないでしょう。」

 風がおさまり雨戸が大人しくなると、部屋の中にはわずかな磯の香りだけが残った。リシュンも門主も精巧な微笑みを保ったまま、たがいに動く気配を見せない。シャビィとヘムも口をはさめないまま湯呑の中の蛍手を数えていたところに、豊氏とクーの話声が階段を駆け上がってきた。

「迎えが来たようですな。」

 戸口に目をやると、門主はテーブルに手をついてそろそろと立ち上がった。

「リシュン殿、なかなか興味深いお話しでした。占いもなかなか侮れぬものですな。大したお例もできませぬが、また今度プリア・クックに遊びに来てくだされ。精一杯おもてなしいたしましょう。」

 膝を折って深々と頭を垂れ、リシュンは控えめな謝辞を述べた。

「身に余るお言葉痛み入ります。御身の健やかかならんことを。」

 門主が階下へ向かうと、シャビィとヘムも続いて部屋を後にした。窓から射し込む影をくぐって、リシュンは夜のナルガを眺め、それから赤黒い空に浮かんだ太陽をじっくりと見つめた。通りにかかった幌の下からわずかに聞こえるざわめきが、根城を目指してゆっくり坂を登ってゆく。禅僧たちの足音が遠ざかるのを待って、うら若い占い師は誰もいない部屋を出た。

「豊先生、本日は御依頼のほど誠にありがとうございました。」

 階段を下りてきたリシュンに気付くと、豊氏は懐からおもむろに包みを取り出した。品行を気にする豊氏にしては珍しい。

「いやいや、君の方こそ忙しいところよく来てくれたね。無理を言って引き止めてしまった分、謝礼には色を付けておいたよ。」

 奏の検問にかかって磁器を没収されたらしい、と船を気にする豊氏に謝り、リシュンは最後に一つだけ質問を許された。

「先ほど大師様から伺ったのですが、新しい寺院の建造費を大帆行が負担したというのは本当ですか?」

「ああ、そのはずだよ。」

 半ば遮るようにして豊氏は激しく頷き、一瞬目を泳がせてから、

「あそこは、昔から寺院と中がいいからね。」

 と、申し訳程度に補足し、召使いに送らせようかと訊き返したが、リシュンはこれを丁寧に断って豊泉絹布を後にした。



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