ふたり回し

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☶☴(山風蠱)――その33

間が空いてしまったので、今回は二回分。

32より続く


「お取り込み中失礼いたします。」

 リシュンは恭しく跪いた。

「いえいえ、よう来てくださった。弟子たちが戻ってくるまで手持ち無沙汰です故、どうか好きな席にお掛けくだされ。」

 恐れ入ります。リシュンが門主の正面に座ると、門主はリシュンに問いかけた。

「先ほど店のものが伝えてくれましたぞ。今日は何やら、急ぎの知らせがあるとか。」

 はい。リシュンは強く頷いた。はじめから本題に入れるならば、大きく時を稼ぐことができる。

「今朝、市場で不穏な噂を耳にしました。『白帯と奏の国境で、胡椒を持ち込もうとした男がいたと。』」

 門主は眉一つ動かすことなく、淡々と応じた。

「それは穏やかではありませんな。」

 大物だけあって、やはり簡単には崩れてくれない。シリュンは門主の間合いの内へと、さらに一歩踏み込んだ。

「その男は、捕まるまで何度も関を出入りしていたそうです。馬の背に大きな荷を積んでね。しかし問題は、その積荷です。」

 門主は力のこもった声で、荒々しく笑った。

「そうでしょうとも。なにせ、朝廷が売買そのものを取り締まっている、胡椒を積んでおったのですからな。」

 歯をむき出して吠える門主に、リシュンは鋭く切り替えした。

「いえ……そうではありません。それまでその男が運んでいたのは、護符だったということです。それも、ジャーナ宗総本山、スピアン・タキオ寺院の銘が入った。」

 スピアン・タキオ寺院の名は、リシュンからも逃げ場を奪った。ここまで迫れば、もう嘘を間違いに戻すことはできない。

「事情が飲み込めませんな。」

 門主は涼しげに、ゆっくりとリシュンを突き放した。

「総本山の護符は、手に入りにくいこともあて、奏国では高値で取引されていると聞きます。その男にとっても、護符はかなり良い商売になったのでしょう。」

 リシュンの手元には、まだ切れる札が残っている。この札を活かすためにも、今は食い下がって外堀を埋めるほかない。

「嘆かわしい。その護符は元々ただで配っておるものです。それを金銭でやり取りするなど……」

 白々しくも世を儚む門主に、リシュンは付き合った。

「ええ、浅ましい限りです。まして、男が護符は売りものではないことを利用して税関をすり抜けていたことを思えば、到底看過できるものではありません。」

 弟子たちが戻ってきてしまえば、もう二度と好機は巡ってこない。リシュンは門主の顔を窺いながら、切り札を投げつけた。

「しかし、男の商売もやがて破局を迎えます。最近関所へ新たに赴任した役人が、男の荷を検め、胡椒を見つけてしまったのですよ……札が入っていたはずの、お守り袋の中に。」

 門主は大きく肩を落とし、かすれた声で小さく嘆いた。

「なんたる、なんたる罰当たりな。」

 老人のこめかみを、一滴の汗が伝うのを、リシュンは見逃さなかった。

「大師も既に気づいていらっしゃるものと存じますが、巷には既に様々な憶測が広がっております。今まで男が運んでいた護符にも、実は胡椒が入っていたのではないか。奏国で護符の値が上がったのは、胡椒の取引に利用されていたからではないか……」

 リシュンは小さく息を吸い、わざと続きを引っ張った。

「護符には初めから、胡椒が入っていたのではないかと。」

 リシュンの鋭い眼差しは、門主の答えを朱塗りの壁に縫い付けた。

「まさか、いた、そんなことが……」

 曖昧な言い逃れの上から、リシュンは大きな声を被せた。

「勿論です。特の高い禅師様達が、売僧などに手を染めようはずもございません。多方、黒幕は白帯の商人でしょう。」

 思わぬ助け舟に、門主は素早く飛びついた。

「ええ、そうですとも。そもそも噂が本当に流れているかどうかも分かりますまい。」

 平静を装う門主に、李俊はすかさず釘を刺した。

「いえ、私はこの話を、信頼の置ける海商から聞かされました……それに、噂が真かどうかは、この場合はさほど重要ではありません。それも、寺院の失墜を望んでいる、薫氏にとっては。」

 生唾を飲み込む音が、門主の喉を下ってゆく。

「薫氏はこの隙を見逃さないでしょう。このまま放っていれば、いずれ事態はジェンドラ大師、あなたの破滅につながるやもしれません。」

 リシュンが薫氏の名を口にする度、門主は目をそらした。

「ず、随分と剣呑な予言をなさるが、黒幕が別にいるなら、この身の潔白はいずれ明らかにされるでしょう。」

 門主の声は、心なしか上ずっている。ここまでくれば、あと一息だ。

「いずれでは遅すぎます。大師、薫氏の尖兵は、既にあなたの前に姿を現しているのでしょう?」

 手負いの獣は燻る眼で、手練の狩人を睨み返した。

「儂は占いを信じませんが、もし、万が一に、ですぞ。あなたの読みが当たったとして、あなたなら、どうやって身を守りますかな?」

 門主は用心深くリシュンを窺っているものの、既に手綱はリシュンの手の内にある。

「いずれでだめなら、今すぐ潔白を証明すればよいのです。先に申し上げたとおり、事件の黒幕は別のところにいます。護符に見せかけて関所を破り、胡椒を奏国で売りさばいている商人が、おそらくこのナルガの中に。」

 門主は何も言わず、小刻みに二回頷いた。

「……この黒幕は、どこかで護符から札を抜き取り、胡椒に詰め替えて運んでいる筈。ですから、彼らは、一時的に護符の中身を数多く抱え込んでいます。この札の在り処に、真の黒幕が必ずいます。」

 大師の幸運をお祈りしています。険しい顔付きの門主を残したまま、リシュンは静かに立ち上がり、赤い部屋を後にした。


34へ続く


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