明日もう一本、いけるかな?
水がめを抱えて階段を上り下りするのは、なかなかの重労働だった。両手と視界のふさがったまま、先を行くリシュンに導かれてなんとか部屋に戻ったときには、シャビィの体はすっかり流れる汗の下。顔は真っ赤にのぼせあがり、たまらず生水を飲んでしまったほどだ。
「リシュンさんが、桶を手に何度も往復する理由が分かりましたよ。」
茣蓙の上にへたり込み、肩で息をするシャビィに、リシュンは髪を梳きながら涼しい声で礼をよこした。
「おかげさまでとても助かりましたよ。おまけにかなりの時間が浮きました。」
前髪を梳くために、リシュンは頭を傾けた。黒くて深い流れに沿って、べっ甲の櫛が滑ってゆく。
「昨日の話の続きですが……」
息の整ってきたシャビィは、リシュンに訊ねてみた。
「不正の証拠を押さえるなら、やっぱり狙うのは胡椒を持ちだすところですよね。」
リシュンは反対側の前髪を梳かし始めた。
「いえ、胡椒を運んでいるところを押さえたところで、周りに人がいなくては意味がありません。彼らも白昼堂々運ぶような愚は犯さないでしょう。」
鬼の首を取ったところで、リシュン達は寺院を追及できるような立場ではない。シャビィは腕を組み、難しい顔で唸ってみたが、絞っても、絞っても、出てくるのは唸り声ばかり。ついに何の閃きも得られず、とうとう匙を投げてしまった。
「だめだ。リシュンさん、どうしたものでしょうか。」
リシュンは引き出しに櫛をしまうと静かに立ち上がり、箪笥の脇にかけてあった仕事用の鞄から竹ひごの束を取りだした。
「大丈夫。策は考えてあります。先日豊泉絹布で占った折にも、そのための下準備を施していったのですよ。」
底しれない周到さに、シャビィは舌を巻いた。
「リシュンさんには、驚かされてばかりですね。」
ことによると、全てはリシュンの手の中で動いているのかもしれない。
「大したことはありませんよ。シャビィさんは途中から事件に巻き込まれたので、驚くことが多いというだけです。」
リシュンは竹ひごをくくっていた紐をほどいて、テーブルの上で高さをそろえた。
「念のため、この駆け引きの成否を占ってみましょう。」
息を呑んでシャビィの見守る中、リシュンは目を瞑り、大きく息を吸った。
「爾の泰筮、常有るに依る。寺院の悪を暴く謀ついて、未だ知らざるを以て、疑うところを神霊に質す。吉凶得失悔吝憂虞、これ爾の神に在り。希わくば、明らかに之を告げよ。」
前回からうって変わって、リシュンの手つきは随分と大人しい。肩すかしをくらったシャビィがおずおずと尋ねた。
「あの、リシュンさん?この前占った時は、もっと、こう、賑やかに――竹ひごを転がしたり、回したりはしないんですか?」
竹ひごを数えながら、リシュンはそっけなく答えた。
「竹ひご?……ああ、筮竹のことですか。あれはお客の気を引くための曲芸です。何の御利益もありませんよ。」
へぇっ。目を丸くしたまま二の句を継げずにいるシャビィをよそに、リシュンは黙々と筮竹をより分け、数え、木の棒で卦を作っていく。筮竹の立てる乾いた涼しい音だけが、狭い部屋を通り過ぎた。
「陰陽陽陰陽陰、『水風井』ですね。」
出来上がった卦を見て、リシュンが呟いた。下半分は、シャビィも見たことのある形をしている。
「これは“ 風”でしたっけ?」
シャビィは卦を指した。リシュンは頷き、
「風、もしくは木、白、行き来、商い。意味は色々ありますが、風が木の下にもぐった形、水風井の示すところのものは、即ち井戸です。」
大ざっぱに卦の説明を始めた。
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