一旦ややこしいシーンが終わって、ここからはクライマックスへのための部分。
シャビィとリシュンの心情描写をしっかりやっていきたい。
リシュンが振り返ると、戸口には浮かない顔をした面長の男が立っていた。
「リシュンさん。」
リシュンの施した変装は上手く行き過ぎたらしい。もともと備わっていた逞しい体のおかげか、顔の変わったシャビィはまるで水軍の頭目か何かに見える。
「大丈夫。その顔を戻すのは簡単ですから。」
シャビィはかぶりを振って、苦笑いを浮かべるリシュンに問いかけた。
「それも心配ではありますが……いいんですか?あの二人を信用して。」
豊泉絹布でも、今朝の井戸端会議でも、奏国だの薫氏だのに良い話など一つも出なかった。それどころか、虎紳士たちはリシュンを捕らえようとまでしていたのだ。それを忘れてころりと信じてしまうほど、リシュンはお人好しではあるまい。
「まだそこを気にしていたのですね……その点に関してはご心配なく。あのふたりはおそらく、街で暴れている兵士とは別です。」
目を白黒させるシャビィに、リシュンは聞き返した。
「属国の出先に優れた兵が配されることはほとんどありません。彼らの素行を見れば、それは明らかです。そんな兵士たちに、奏の大事に関わる寺院の調査が務まるとお思いですか?」
顎に手を当てながら、シャビィは憶測を手繰り寄せた。
「さっきの二人は……寺院のためだけに……都から、送られてきたということですか?」
というからには、二人共一介の兵士ではないのだろう。現に、虎紳はナルガに配された兵を指図できるような口ぶりだった。
「なればこそ、恩を売っておくだけの価値もあるのです。」
リシュンは小さく頷き、階段の先を見やった。
「シャビィさんへの別にあったのを、すっかり忘れていました。取りに行ってくるので、かまどの火を熾してください。」
湿った足音を立てながら、リシュンは階段を上ってゆく。相当の雨水が階段を下り、踊り場に流れ込んだのだろう、石壁には、くるぶしほどの高さで真っ直ぐに水の跡が引かれていた。所々に小さな水たまりが残っているものの、殆どの水は洗い場から流れ出たようだ。シャビィが洗い場の排水口に顔を近づけてみると、中から低く、重々しい唸り声が這い上がってきた。
雨のあとを一通り確かめると、シャビィは土間に戻り、弱っていた火をかき混ぜ、薪を継ぎ足した。昨夜の分も合わせてかなりの灰がたまっているが、掃除をする暇はなさそうだ。新しく加えた巻が香ばしい音を立て始めた頃、蝶番がシャビィを呼ぶ、景気のいい音が聞こえた。
「シャビィさん、たらいに水を汲んで、表に持ってきてください。」
開け放たれた扉から、薄い陰が伸びている。水瓶の隣に立てかけられた小さめのたらいを床に置くと、シャビィは膝をつき、軽々と瓶を持ち上げて直接水を注いだ。
「今、そっちに行きます。」
シャビィが瓶を起き直し、たらいを抱えて表に出てみると、踊り場には紐でくくった麻布を片手に、リシュンが待ちくたびれていた。リシュンの持ち帰った布は手土産と呼ぶにはいささか薄汚れ、おまけにしぼれるほど水を吸っていたが、見たところ他に荷物はないようだ。
「ありがとう。逃げる途中で放り出したせいで埃まみれになってしまいましたが、シャビィさん、変装にはこれを使ってください。」
リシュンはたらいのそばにかがみ込み、麻布にかかった紐をといた。高くはないが、なかなかに手こずった買い物である。決して見栄えのしない薄汚れた長衣を、しかし、リシュンは大きく広げてみせた。
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