ふたり回し

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☶☴(山風蠱)――その62

エピローグの前編といったところ。

空気感が難しい……

その61より続く


「老師、お忙しいところ、失礼いたします。」

 シャビィは三拝してから、門主の私室に足を踏み入れた。

「お久しぶりです、老師。」

 シャビィの前にいるのは、老師と呼ぶには若すぎる、小難しい優男だ。

「ああ、久しぶりだな。シャビィ。どうだ?怪我の具合は。」

 先週まで、院主と呼ばれていたこの男は、ジェンドラ逮捕の報せを受け、今はカタリム山の主として事件の後始末にあたっている。

「おかげさまですっかり元通りに治りました。ですが、老師、ヘム先輩は……見つからなかったのですね。」

 シャビィは小さく俯いた。中庭に鳥が遊んでいるのだろうか。軽やかにさえずる声が、部屋の中まで聞こえてくる。

「……五日前、水死体が見つかったそうだ。お前には伝え辛かったのだろうが……気に止むことはない。お前が手を下したわけではないのだから。」

 院主は少しずつ言葉を絞り出したが、シャビィはゆっくりと首を横に振った。

「世にあってはそうかもしれません。ですが、私にとっては同じことです。」

 シャビィの微笑みは、澱むことなく、風にざわめくこともない。院主はシャビィの眼をじっと見つめ、それから静かに言い渡した。

「分かった。シャビィよ。今日をもって、お前を破門に処する。」

 シャビィが静かに額づくのを、院主はじっと見つめた。

「長い間、本当にお世話になりました。」

 部屋に満ちた静けさを、小鳥の羽音が横切った。伏せたままシャビィは返事を待ったが、院主は何も応えない。やがてシャビィが面を上げると、院主は苦笑してみせた。

「あんなことがあった後では、さして未練も感じぬか……何、お前だけではない。この一週間、何人もの仲間が山を下りていった。この寺も……見ての通りだ。引き払う手はずも整えてある。」

 笑顔で外を見やる院主に、シャビィは思いを打ち明けた。

「私も、わからなくなりました……私が今まで学んできたことは、正しかったのか、それとも、間違っていたのか。」

 言葉とは裏腹に、シャビィの顔つきから迷いやあきらめは伺えない。

「だから、旅に出ようと思います。旅をして、世界を見て回りたい……思えば私は、ほかの先輩方と違って、浮世のことさえまるで知らない。真理に至るためにはまず、自分の目で五色の世界を見つめなければならないのだと、思い至りました。達磨大師が、そうしたように。釈尊が、そうしたように。」

 シャビィの眼差しをよくよく確かめ、院主は小さく頷いた。

「その旨は、リシュンという占い師からも聞かされたよ……人によって、悟りに至るきっかけは様々だ。存外、お前にとって、その旅は寄り道ではないかもしれぬ。」

 旅か――院主は小さくつぶやき、窓越しの空を眺めた。鐘の形にくり抜かれた黄色い空から、淡い陰が部屋に差し込んでいる。

「ところでシャビィ、行き先はもう決まっているのか?」

 院主の何気ない問いかけに、シャビィはさらりと白状した。

「いえ。今のところは、何も。」

 リシュンの前ではバムパなどと口にしてしまったが、いざ旅に出るとなると、いかにも夢物語である。シャビィが後ろ頭をさすると、院主は晴れやかな笑顔を見せた。

「そうか。ならばちょうど良い。ついでに一つ、使いを頼まれてはくれぬか。」

 院主にも、寺院にも、返しきれない大恩がある。シャビィは迷わず頼みを聞き入れた。

「私に出来ることがあるなら、是非。」

 届け物か、人探しか。いずれにしても、旅をすることに変わりない。訪れた先で、よい師に巡り合うこともあろう。シャビィは院主の言葉を待ったが、院主が呼んだのは、全く別人の名前だった。

「……ということです。リシュン殿。」

 シャビィの上を素通りした眼差しの先にいたのは、果たしてリシュンその人だった。いつの間にか、リシュンが戸口で立ち聞きしていたのだ。


その63へ続く


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