えー、早くもサブタイトルがパロネタでごめんよ。
ハクシナはこのノリで通す。アナーキーが信条だから。
翌朝、私たちは巨人の目撃情報があったという、三角域の西端、かつてボグイルと呼ばれていた街に向かいました。見渡す限り建物も畑もなく、朝日を受けて輝く氷原をオムライス号の影だけが滑ってゆくのを見ていると、この世界でまだ生きているのは私たちしかいないような、そんな気分にさせられます。
「見えました! ボグイルです!」
甲板のハッチにつながる梯子に足をかけたまま、私は船の中に向かって叫びました。
「ワノン、レーダーに反応は?」
ワノンちゃんがルイエちゃんに答える、硬い声が聞こえました。
「野良ギアはいーひんみたい。映ってんのは氷体発生器やろな。等間隔でならんだる」
私はもう一度ハッチから顔を出して、双眼鏡を覗き込みました。噂通り霧は出ていますが、廃墟の中に巨人の姿はありません。ワノンちゃんのアテが外れたのが分かって、私たちがめいめいに感謝の祈りをつぶやく中、ワノンちゃんだけが小さく謝りました。
「みんな、ごめんな。無駄足踏ませてしもて……ん?」
何か見つかったのでしょうか。たるんだキャビンに、再び緊張が走ります。
「おった……発生器と重なってたんや! 10時の方向距離700!」
双眼鏡を左に向けましたが、それらしい影はありません。
「うーん、巨人は見えません」
私が伝えると、ルイエちゃんは手を叩いて音頭を取りました。
「追加収入ができたんだ、上出来じゃない。いつも通り300まで近づいて、そこからは徒歩で包囲。三角域の内側に相手が逃げないように、東に向かって追い込む感じで」
私たちはインカムとレーダーを身に着け、オムライス号を降りました。フィンカちゃんとルイエちゃんは先発として左右から回り込み、私とワノンちゃんが後続です。
「各自レーダーはしっかり見ておくこと。他の野良ギアが来たときは、絶対見逃さないようにね」
了解! フィンカちゃんがギアにまたがって飛び出したのを見てから、ルイエちゃんは近くのビルにワイヤーを打ち込みました。両手のワイヤーを手繰り寄せてビルの間をすりぬけるルイエちゃんの背中を見ていると、ときどき羨ましくなることがあります。あんな風に空を飛び回れたら、きっと気持ちいいだろうなあ。
全員が配置につくと、野良ギア狩りが始まりました。物陰に隠れながら、少しずつ網を絞っていきます。手筈通り閃光弾を構えながら、レーダーに映った的へと音を立てずに一歩、一歩。レーダーに映った5つの点が近づき、野良ギアは目と鼻の先です。私が息を止め、裏路地からこっそり通りを覗き込むと、向う側できょとんとしている、フィンカちゃんの顔が見えました。
「どゆこと?」
私たちが顔を見合わせていると、ワノンちゃんも脇道から姿を現しました。
「レーダーの故障とちゃう?」
フィンカちゃんはレーダーにかじりついて、設定をいじっています。
「まさか。お互いのことは映ってるし、4台が一斉に壊れるのも変じゃね?」
今もレーダーにしっかり映っている正体不明のトランスコアは、一体どこにあるのでしょうか。まさかと思って空を見上げてみましたが、うっすらとすじ雲がたなびいているだけです。
「よくない状況だね……敵の間合いの中で、敵を見失ってる」
ルイエちゃんのハードボイルドなセリフを聞きながら、私はぼんやりと考えました。上はさっき確かめたけど、そういえば、下は見ていません。下といっても、私たちの足元に広がっているのは、厚さ30mの氷の板だけなのですが。
30m。30mのもっと下は、なんでしたっけ。私がふと足元を覗き込み、ようやく答えに気づきました。
「ルイエちゃん」
私は足元を指して、訊ねました。
「これ、野良ギアじゃありませんか?」
氷の下には、髑髏の形をした大きな仮面が浮かんでいます。黄色く光る二つの目は、初めから私たちを見つめていたようです。私の言葉に凍り付き、みんなが恐る恐る足元を覗き込んだそのとき、仮面の両目が赤く輝きました。
「散開! 散開!」
ルイエちゃんの合図より早く、私は駆け出していましたが、逃げ切ることはできませんでした。後ろ大きな音がしたかと思うと、すさまじい勢いで蒸気が襲い掛かり、私たちは軽々吹き飛ばされてしまったのです。堅い氷に打ち付けられ、二、三回転がって這いつくばった私の体に、蒸気の中から飛んできた氷の破片が降りかかるのを感じました。
「止まるな、走れ、走れ!」
蒸気の中には、いつの間にか大きな影が伸びています。影は不思議なくらいにゆっくりと傾き、よろよろと立ち上がろうとする私に雲を引きながら倒れ掛かってきました。あらゆる音が遠のき、時間が止まって見えるのに、肝心の神様とか、死んだお父ちゃんとか、私の中に眠っているもう一つの邪悪な存在なんかは、全然私に語り掛けてはくれません。大根農家の娘ごどぎに、出生の秘密などありはすねえ。私は静かに目を閉じ、ため息をつきました。
私の体をとらえたのは、しかし、野良ギアの青黒い腕ではなくて、フィンカちゃんの左手でした。堅い筋肉がお腹にめり込んで、一瞬目の前が暗くなります。
「つかまってろ!」
分厚い氷の板が真っ二つに割れ、水しぶきを上げてひっくり返ります。私はフィンカちゃんの腰にしがみついて、浮き上がった氷塊にギアが乗り上げ、大きく跳ね上がるのに耐えました。私がいた場所にできた大きな穴の中からは野良ギアが兜のような頭をのぞかせ、私たちを黄色い目で追っています。ルイエちゃんはともかく、ワノンちゃんは無事でしょうか。
「みんなは?」
私がフィンカちゃんの後ろに陣取ると、フィンカちゃんはさらにスピードを上げました。
「そんなことより、続きが来るぜ」
フィンカちゃんは大きくギアを寝かせて、私たちの目の前に浮き上がった長い影を間一髪でかわしました。フィンカちゃんの背中越しに、野良ギアの巨大な胴体が見えます。フィンカちゃんは野良ギアの脇の下をくぐって背中側に抜け出しましたが、振り返った私の目に飛び込んできたものは、一度にいくつものビルを薙ぎ払い、私たちをすくい上げようとする巨人の三本目の腕でした。フィンカちゃんはガラスの砕ける音に気づき、ギアのノーズを右に向けましたが、横道には入りきれず、シリコンの壁が目の前に迫ってきます。
「頭を下げろ!」
少しだけ間をあけて、ギアに着いた巨大なラムがビルの壁を突き破る、大きな衝撃が二回襲い掛かりました。頭を打ったりはしていませんが、思いきり揺さぶられたせいで頭が少しくらくらします。
「フィンカ!」
ビルの向こう側には、ワノンちゃんが立っていました。
「ワノンちゃん! よかった!」
うまく逃げられたのでしょう。ワノンちゃんは無傷です。
「こっち来んな!」
フィンカちゃんは慌ててギアを横に向けたものの、ビルをぶち抜いた勢いは殺しきれず、跳ね飛ばされたワノンちゃんは思いきり背中を打ち付け、ひっくり返って仰向けのまま4、5メートル氷の上を滑りました。
「悪ぃ悪ぃ、んなところにいると思わなくてよ」
フィンカちゃんがギアを降りて近づくと、ワノンちゃんはなんとか自力で立ち上がり、私たちを睨み返しました。パラオから突き出た足は、擦りむいて血まみれです。
「まあ、これくらいなんともないわ……フィンカ、どうや。あれがうちらのステーキや」
鼻から顎までまっすぐ伸びた赤い血をぬぐいながら、ワノンちゃんは不敵な笑顔で野良ギアを見上げました。野良ギアは氷体に足をかけ、海から這い上がろうとしています。大きな地鳴りと同時に、向かいのビルからオレンジの看板が落ちました。
「腕が4本生えてるってことは、残り4本は足か……なるほど、ぎりぎり巨人だな」
野良ギアから白いヴェールが勢いよく滴り落ちる、遠い夕立の音が廃墟に広がりました。氷体の上に立ち上がった野良ギアには、イヒチカの駅ビルと同じくらいの高さがあります。
「みんな、大丈夫?」
ワイヤーを伸ばしながら、ルイエちゃんは音もなくビルから降りてきました。これで全員集合です。
「ワノンがあたしに轢かれただけ……それより、あのでかいステーキの話をしようぜ」
フィンカちゃんとワノンちゃんには、あの野良ギアがステーキに見えるみたいです。ステーキというものには、そんなにすさまじい魅力があるのでしょうか。
「それよりとはご挨拶やな……アレが全部ステーキやったと考えてみい。10センチに切り分けても、ざっと1000万食はいけるえ」
自分の肩に自動回復のカードを貼り付け、ワノンちゃんはドスの利いた声で答えました。聞いているうちに、だんだんあの巨体にステーキが詰まっているような気がしてきます。ステーキがどんなものかは、見当もつきませんが。
「それで、フィンカ。あの、なんだ、ステーキは、串刺しにできそう?」
ステーキは私たちを見つけて、ゆっくりと歩き出しました。あの巨大なステーキからは、この街が歴史博物館のジオラマに見えていることでしょう。踏み出した一歩目が目の前のビルを踏みつぶし、鋭い音を立てて氷体に蜘蛛の巣を刻みました。
「まあ、あたしの実力を考えればこの程度は全然……無理かな」
フィンカちゃんの敗北宣言を合図に、私たちはオムライス号へと走り出しました。