ふたり回し

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水蛇の塔(一八六四年五月四日)

本編にはあまり関係ないのですが歴史の設定が大変でした。


 西暦一八六四年、五月四日。コンポンチアムを発ちメコン川を遡る事半日、我々を乗せた小舟は川沿ひの小さな村に辿り着いた。プノンペンで雇つた案内役の男が謂ふには、件の遺跡は此の近くに有るさうだ。見慣れぬ相貌の我々を村人は警戒したが、案内役が巧く取成して呉れたお蔭で、我々は思ひの外容易く村人から話を聞き出す事が出来た。曰く、ハツプと云ふ狩人の青年が狩りの最中に偶然発見したとの事。ハツプに従ひ、我々は鬱蒼たる密林に分入った。

 柬埔寨(カンプチア)が正式に我が祖国仏蘭西の保護下に置かれてからも、柬埔寨内地の地理的、或は文化的調査は此の密林と野獣、熱病に因つて妨げられてきた。一方戦乱と柬埔寨の縮小に因り喪われた都市や建造物の数々が今も此の樹海の何処かに眠つてゐる事は先ず間違い無く、私も世紀の大発見を夢見て斯くの如き未開の地に赴いた次第である。

 歩けど歩けど伽藍は見えず見えるは木々の幹ばかり、否待て、此れは担がれたかも知れぬと不安が差した其の時で在つた。密林の只中、突如として我々の前に一面の石壁が現れた。

「御目出度う御座います、先生。これはムオのアンコオル・ワツトに劣らぬ大発見に違い有りません」

 否、まだ慶ぶには早い。年代や状態を確かめ無ければ歴史的価値は分からぬ。歓声を上げる教え子たちを嗜め乍らも私はすつかり舞い上がつてゐた。廃仏毀釈で破棄されたクメエルの仏教寺院であらうか、其れとも古くは真臘のヒンドウ寺院であらうか。早速壁に取り付き、気根の隙間から見える壁面を検めたところ、砂岩で作られた壁には如何やら乳海撹拌の様子が彫り込まれているやうで在つた。

 その後日没間際まで我々は周囲を探索し、此の遺跡が陸真臘の物で在る事、ほゞ四百米四方の敷地を持つ比較的小さな寺院で在る事、南北千米、東西五百米程の貯水池に面していた事を突き止めた。寺院は荒れ果てて居り、ガジマルの木が蔓延り、屋根の上の尖塔だけが密林から突き出して見える。度重なる氾濫により川床が上昇した為であらうか、貯水池は土手を残して泥に埋まり一面に菖蒲の仲間が咲き乱れてゐる。初日の最も興味深い発見は年少のミシエルによりて成された。彼は寺院の基礎にラテライトで塞がれた箇所を発見し、明日から早速此の部分の掘削作業を開始しつゝ、村民にガジマル伐採の協力を仰ぐ事が決まつた。