ふたり回し

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刺激

やっちゃったアレク君。

書いた本人が言うのもなんだけど不用意なんてレベルじゃねーぞ


 その後もクロトは談笑を続けたが、一度病棟から出た際黄色いテープで封じられた研究棟を目にして、アレク達は遅ればせながら口をつぐんだ。

「熱交換機のポンプ場があるのは、ちょうどこの裏手です。建物自体に被害はなかったのですが、衝撃で制御系がやられてしまったみたいで」

 青空をわずかに映す大人しげな研究棟の右上は、不揃いな牙で荒々しく噛み千切られていた。焦げ付いた断面からは押しつぶされた中身が覗き、どす黒い火事の匂いがとめどなく流れ出している。青い制服の鑑識とタバコをくわえた刑事達が駆け回る、文字通りの犯行現場だ。

「その、申し訳ありません。分かっていたのに、気が利きませなんで……」

 アレクが目を伏せるのを見て、クロトは口元を隠しながら笑った。

「大丈夫ですよ。人が入る前だったので、かすり傷を負った人さえいません。もっとも、研究棟は一から立て直さざるを得ないでしょうが」

 笑い声を聞きつけ、山高帽を被った顰め面の刑事が近づいて来た。

「天使様もお気の毒でしたな。念のためお伺いしますが、事件の前後に連絡の取れなくなった関係者はいませんでしたか? テロリストに略取された恐れがあります」

 刑事はとび色の瞳でクロトの目を覗き込み、薄い唇を小さく噛んだ。

「おーい、ガヴ、弾の種類が分かったぞ!」

 精神開発センターと書かれた看板の脇で、別の刑事が手を振っている。

「ご協力どうもありがとうございました。誤解を避けるためにもくれぐれも現場には近づかないよう心がけて下さい」

 刑事はアレク達に釘を差し、そそくさと仲間の下へ戻って行った。天使を前に随分な態度だが、クロトは幸い笑顔のままだ。アレクはそっと胸をなで下ろし、クロトについて歩き出した。病棟と精神開発センターの間は薄いセミの声に浸かり、奥に色あせた庭をのぞかせている。三人は一列に並んで歩き、所々ペンキの落ちた水色の扉に辿り着いた。古い割に扉はすんなりと開いたが、中は薄暗く、痛んだ水の匂いがする。

「この下にポンプ場があります。ええと、電灯、電灯は……これか」

 黄ばんだ蛍光灯は眠たげに何度も瞬き、小さな音を立てて落ち着いた。三人は湿った階段を慎重に下り、砂利の混じった足音は突き当りに近づいてゆく。そしてクロトがドアノブの鍵を解き錆びついた扉を開けると、目の前に巨大な装置が現れた。

「こいつぁ立派なもんだ。流石に大学の備品だけありますね」

 導管の走る天井を見上げ、ユーゴが口笛を吹いた。どこのビルでも入っている地下水冷却式のヒートポンプだが、これだけの規模を持つものはそうない。十本以上の導管から流れてきたガスがポンプによって圧縮され、長大なグラハム冷却器に送り込まれた後、弁で圧力を割り引いてさらに多数の導管から地上に送り込まれる。圧力低下によって温度が下がったガスは病院の隅々まで張り巡らされた導管を通って熱を吸収し、またこの部屋に戻ってくるのだ。

「部屋が寒いということは、止まっているのはガス管のポンプですね」

 ポンプが正常に機能していれば、この部屋は蒸し風呂になっているはずだ。振り返ったアレクに、クロトは浮かない顔で答えた。

「ええ、爆発の衝撃で故障したのか、電源が入らなくなってしまって。あの時は病院のブレーカーみんなも落ちてしまって、それこそ大騒ぎでしたよ」

 アレクはポンプの側面に張り出した電源装置に近づき、手早くビスを外してカバーを取り除いた。外箱の中には鋭くざらついたハンダの匂いが充満し、ターミナルを挟んでいた端子が外れ、基盤の一部に触れている。元の取り付けが甘かったものが、事件の際に外れ、壊滅的にショートしたらしい。

「ユーゴ、全取っ替えだ」

 ユーゴがクロトに案内してもらい、ブレーカーを落として戻ってくると、懐中電灯を片手に交換作業が始まった。二人が焦げ付いた基盤を外し大きさの違うビスを整理する後ろでクロトはとめどなく二人の後ろを歩き回っていたが、そんなのはいつものことだ。正確な記録が建造科から回ってきたお陰で型番を調べる必要も無く、基盤の取り換えはあっという間に終わってしまった。

「じゃあ一旦ブレーカーを上げて、動くかテストしてみましょう。俺は工具をバンに戻しに行くから、アレク、ブレーカーの方は任したぞ」

 ユーゴは立ち上がり、アレクからドライバーを受け取った。

「ああ、分かった」

 工事は無事に終わったかのように思われたが、アレクは階段を上る途中、ポケットの中にビスが残っていることに気づいた。

「いけない、忘れ物がありました。先に行っててください」

 アレクは階段を引き返し、暗闇を懐中電灯で探った。このビスには段がついているから、恐らく基盤を固定していたものだ。カバーを開けてビスを一本閉めるだけなら然程時間はかからない。霧に移った光の筋は眠りについた地下室を掻き回し、そして一枚のアルミ板を刺し貫いた。アレクは脇に懐中電灯を挟み、電源装置のカバーを再び外して空いたねじ穴を見つけたが、湿ったゴム手袋が滑ってビスを上手く固定できない。アレクは乱暴にゴム手袋を剥ぎ取り、ビスを左手でつまみながら右手で締めた。

 漸くビスが堅くなり、ドライバーから手を放そうとしたその時、アレクは目の前に小さな火花が散ったような気がした。その火花は光の速さで広がり、アレクにはただ空白が自分を包み込んでゆくのを眺めていることしかできなかった。