世界一嫌味な女、現る。
そろそろ5時になろうというのに、随分と表が明るい。
時間が経つのも早いもので、『みすまる』にKが来てからもう3週間になる。
まだまだ読みは浅いが、セオリー通りのプレイは出来るようになってきた。
俺の方でも水木が仕上がりつつあり、GW明けの大会にもいい成績が期待できそうだ。
「carnaガールズトーナメント」。
クインズカップのための実験として開催される、初めての公式女子大会。
開発元のapostolosが直々に運営し、全国各地の中核都市を北から順に巡っている。
平積みのチラシを手に取り、俺は低い声でうなった。
こちらにとってもこの大会は、夏を占い、経験を積む重要な機会だ。
が、会場にワールド記念ホールは愚行としか思えない。
兵庫・大阪圏内のプレイヤー人口など、男を数えたとしてもたかが知れている。
あの巨大なホールの真ん中で参加者十数人の大会とは、一体どんな罰ゲームだ。
企画した人間の無計画さが窺い知れるというものである。
「なんや、アキノリ、お前ヨシの弟やったんか」
人の気も知らないで、当のKは子供たちとだべっている。
あと1週間半で大勝負だというのに、貴様にはプレイヤーとしての自覚がないのか。
「K、再開だ。次は土木でいくぞ」
テーブル上のデッキケースを手に取り、俺はシャッフルを始めた。
「K、お前、アキノリの兄貴と知り合いなのか?」
デッキを交換するとき、俺は何気なく尋ねてみた。
ここの面子は、世間話をあまりしない。
兄弟がいたことさえ、俺にとっては初耳である。
「知り合いも何も、いつもの仲間やったわ。ヨシノリて、ロン毛で茶髪の……」
ロン毛の一言で思い出した。
俺を散々バカにしてくれた、小太りの男である。
「あのロン毛デブか! そういえば、あいつも口が悪かったな」
しきりに頷く俺の後頭部に、丸めた雑誌が襲い掛かった。
「タケ兄も大概だろ。俺は口悪くねーし」
アキノリめ、問題は自分のことだけか。
こんな弟がいることだけは、ロン毛デブに同情してやらないこともない。
アキノリと遊んでいる間にシャッフルが終わったらしい。
Kはデッキを返すついでに、余計なことを聞いて来た。
「そういうCタケには、おらんの? 兄弟」
オタクにリアルの話を聞くなど、無粋の極みである。
高尚な知的遊戯の世界に、家庭だの学校だの、俗世を持ち込まれてたまるものか。
「あれ? 話したことなかったっけ……確か今月号にも――」
余計なことを。
俺はパラガスに飛びつき、店の端まで寄り切ってやった。
普段はいらないことに気が回るくせに、なぜこういうときだけ適当なのだ。
「どうでもいいだろ、そんなこと。それより、スパーだ、スパー」
俺が戻ってくると、Kは不意に立ち上がった。
視線の先に立っているのは、リア、もといDQNのカップルである。
極稀にアニメイトでいちゃつく忌々しいカップルがいるが、連中のせいでどれだけ店の空気が悪くなることか。
土台、他人に誇示することで幸福を確認しようという発想が浅薄なのであって、そんなまやかしの幸福など、俺は願い下げである。
「K! お前またいらん奴等を連れてきたな!」
Kは阿呆のようにあんぐり口を開けたまま、俺の抗議に答えない。
DQN共に至っては、俺を無視してずかずかと上がり込んでくる始末だ。
二人の後ろでガラス戸が閉まり、静かな雨音が途絶えた。
「お姉ちゃん、何してるの? こんな所で」
軽く鼻を押さえながら、女は店内を見渡した。
Kめ、他人の詮索はするくせに、妹を隠してやがったな。
それもこんな胸糞悪い美人だったとは。
いかにもお上品なアイドル面で、開幕早々俺のホームをゴミ溜め扱いしやがった。
『みすまる』は神戸、いや関西圏内のカードゲーマーにとっても、二つとない聖地なのだ。
貴様などには、足を踏み入れる資格もない。
俺は拳を握り、全身全霊で女を睨み付けた。
「そんなっ! 私の知らない間に、こんなことになってたなんて……」
さっくりと俺を無視して、女はいきなり泣き出した。
訳が分からない。
分からないが、DQNの彼氏は女の肩を抱き、耳元で甘ったるい台詞を吹き込んでいる。
余りのインチキ臭さに、吐き気がするくらいだ。
「ああ、なんて可哀相なの! 家畜臭いキモオタや小学生にしか遊んでもらえないなんて……お姉ちゃん、なんて可哀相なのかしら!」
可哀相?
何が可哀相だ。
Kのことならいざ知らず、どこまでもコケにしてくれる。
可哀相とつけておけば、偽善者に見えるとでも思ったか。
初々しい制服とストレートの黒髪で誤魔化したところで、一言話せばお里が知れる。
糞ビッチなど生温い、貴様は本物の淫売だ。
俺は大きく進み出て、淫売に啖呵を切ってやった。
「おいK! 舐められたぞ! 何か言い返せよ!」
ところが、肝心のKが動かない。
最初に立ち上がったきり、阿呆のように立ち尽くしている。
いつもの調子で、ローキックの一つでも食らわせてやったらどうなのだ。
「ショーマ君? なんで……なんで……レンが」
先にKが口にしたのは、彼氏の方の名前だった。
このDQNも知り合いなのだろうが、なぜそっちが先に出る。
突っ込もうとしたその時、俺の精密な記憶力が発揮された。
このDQN、SOGOで見かけたソシャゲの男か。
「蛍さー、この辺にしとこうぜ? 憐にあんまり心配かけんなよ」
それまで淫売のお守りに徹していたDQNが、Kに馴れ馴れしく話しかけた。
やはりそうか。
あの時のデートの相手が、このDQNだったのだ。
俺が今遭遇しているのは、他人の修羅場だったということか。
考えろ、天才ビルダーマッシュ。
初見を器用に切り抜けるのが、優秀なカードゲーマーだ。
「憐……おのれ……」
俺が応手を考えている間に、Kが勝手に動いてしまった。
一度淫売の名前を読んだきり、俯いて押し黙っている。
それ見たことか。
俺が巧妙にして大胆な作戦を思いつくまで、大人しく待っているべきだったのだ。
「お姉ちゃん、こんな可哀相な人たちと遊んでないで、私たちと一緒に帰ろう? お母さん、心配してるよ」
可哀相可哀相と、一々癪に障る女だ。
そんなに他人を憐れみたければ、24時間テレビでも見ていろ。
お前よりも下劣な人間など、そうそう出ては来ないだろうがな。
「そうだ、私がお姉ちゃんに、友達紹介してあげるね」
淫売はKの手を取り、ここぞとばかりに煽りを入れた。
DQNは何やら目を細めているが、コイツは一体何を見ているのだ。
こんな安っぽい淫売にコロリと騙されやがって。
どう考えてもさっきの一言で、コイツは世界嫌な奴アワード堂々のトップ10入りではないか。
底抜けに間抜けなDQNに対し、戦意喪失していたKがここで粗暴さを取り戻した。
「憐、何でおのれがショーマ君連れとんのや!」
そうだ、やってしまえ。
掴みかかったKは、しかし、いとも簡単に引き剥がされてしまった。
振り払われて、後ろに倒れるK。
俺は咄嗟に受け止めようとしたが、Kめ、一体何を食ったらこんなに重くなるのだ。
勢いを殺しきれず、見事にKの下敷きにされてしまった。
肘が燃えるように熱い。
財布が尻にめり込んで、明日まで痕が残りそうだ。
許さん、絶対に許さん。
人の店で好き勝手しやがって。
俺たちを、ゴミのように扱いやがって。
インテリこそ真の優性種だということを、後になって思い知るがいい。
俺たちを見下す両目が、Kの肩の向うに見えた。
「お前さぁ……人の彼女に、何してくれちゃってんの?」