ふたり回し

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亡霊

まさかのお化け回。


 翌晩、アレクは中庭でカルラを待った。オハの研究所は、今までどうやって隠匿されてきただろうか。病院が閉鎖されたことになっているのか、それとも病院に偽装されているのか。カルラが前身の病院に見当を付けてくれれば、少なくとも場所は明らかになる。

「お待たせしました」

 扉の金具が石にぶつかる、ささくれだった音がした。カルラは振り向かず、小走りで駆け寄ってくる。

「何か、分かりましたか? 病院のこと」

 アレクが尋ねると、カルラは肩で息をしながらとぎれとぎれに答えていった。

「ええ。結論から言いますが……オハ国立擁護センター……表向きは、発達障害を持った子供達を静養させるための施設です」

 子供の家から被験者を引き抜くには、正にうってつけというわけだ。 

「この擁護センター自体も、半ば隠匿されていました。見つけられたのは、アレクさんの偵察のお陰です」

 オハ近辺の医療施設は5つほど見つかったが、擁護センターはその中に含まれていなかったという。矯正施設の類もなく、途方に暮れていたところで、カルラはあるものを思い出した。

「今から10年以上前、感染症の隔離政策が実施されたことがあったんです」

 その時作られた収容所の一つが、オハにあったのだという。そして収容所の記録を追った所、オハ国立擁護センターが浮上してきた。

感染症の収束と同時に、収容所の短い略歴は終っています。大幅な改修を受け、オハ国立擁護センターとして再開設。それを境に、リストや文献から擁護センターの名前は消えています」

 まずここと見て、間違いないでしょう。カルラは目を細め、向かいに生えた百日紅の木を見つめた。生白い皮が剥がれ、ところどころに灰色の斑が浮かんでいる。

「次はどうします? 前に話してた立ち入り調査ですか?」

 カルラは頭を振り、ベンチに手をついて立ち上がった。

「いえ。施設がここだけとは限りませんし、第一ユレシュが見つかっていません。下手に手を出して彼らの警戒が強まれば、阻止することが益々難しくなるでしょう」

 固く握った拳が、小さく震えている。日差しに焼き付いた白衣の影を見つめ、アレクは低く鼻を鳴らした。

「ここまで来てお預けか……でもまあ、オハにいるかもしれないんだし、そしたら一件落着でしょ?」

 たとえここがゴールでなくとも、ユレシュが大きく近づいたことは事実だ。アレクはカルラの背中を叩き、空きっぱなしの扉を指さした。

「ええ、まずは夕べ見つけた吹き抜けをさらいましょう」

 張り詰めていた顔つきが、少しだけ和らいだように見えた。確かめる間もなく、カルラは足早に歩き出している。仇敵に、手の届くところまで来たのだ。じっとしていられる訳がない。二人は黙々と螺旋階段を上り、白い宮殿を突き進んだ。

「でも、所長じゃないなら、ユレシュはどこにいるんですかね」

 狭い通路に問いかけが木霊し、寡黙な足音を掻き消した。研究が続いているなら、ユレシュはその中心にいる。二人とも口に出したことはないが、いつの間にかそれが大前提になっていた。

「アレクさんの言った通り一研究員に身を窶(やつ)しているか、そうでなければ、外部の人間として視察や指導をしているのでしょう。ユーリや所長を監視していれば、じきに接触があるはずです」

 カルラの推測から、ユレシュが外れることはないらしい。

「それでも見つからなかった時は?」

 アレクがあえて食い下がると、カルラの声に火の気がにじみ出た。

「本当に死んでいるというなら、その方が助かります……が」

 カルラは眉間を押さえ、時間をかけて息を鎮めた。向う8年、粘り続けてきたカルラにとって、それがどれほど手痛い肩透かしなのか。アレクは目を伏せ、次の一言を待った。

「研究の実態が判明しつつある今、逆にユレシュの不在が確認される可能性が生じているのですね」

 今はまだ、何も断定できない。二人には確証が必要だった。曲がり角の先、狭い吹き抜けのどこかに隠れている、証拠。互いに頷き合ってから、アレクたちは通路から飛び出した。

「私も一度、所長を見ておいた方がいいですね。アレクさんはその間、吹き抜けを調べて下さい」

 お任せあれ。アレクは手をかかげ、通路の奥に向かった。探索も二か月目になると、次第に手順が分かってくる。まずは階段。それから城外への出口。幸い探すまでもなく突き当りが階段になっており、アレクはさっそく最上階を目指した。吹き抜けは全体が手前側にのけ反っており、階段の踊り場からは上下のテラスが傾いて見える。

 丁度4階上ったところで最上階に行きつき、ついでアレクは扉の数を数えた。一回につき扉は5つ。どの階も作りは同じで、それが6段積み重なっている。向かい側はテラスの間隔が倍近くあり、裏側からも入れるドアがあった。ただ、吹き抜けの底までは階段が繋がっておらず、反対側のテラスに渡る渡り廊下もない。調べるにはどこか別の入り口を探す必要があるようだ。

 アレクは例に一番左下のドアを開けたが、そこの住人は書斎で学会誌を読んでいるだけだった。それも医学や生物学ではなく、人工知能の記事である。研究者は学会誌への書き込みに専念し、同僚のことを考える余地はない。

 隣の扉も同様で、こちらは被験者の証言を分析しているようだった。被験者が霧の海に潜った深さと、三角部の萎縮の進行具合、睡眠時の活性部位。ずらりと並んだ画像を眺め、自分のCT画像と比べてみたが、アレクほど溝の広がった被験者は一人もいない。ただ、実験の規模とスタッフの才知にも関わらず、問題の核心、被験者を鏡へと近づける方法が未だに明らかにされていないことだけが、唯一の朗報だった。

 二つ目の扉を出ると、アレクはカルラの様子を見に戻った。今のところは調子が良くても、万が一ということはある。何より鏡に映った姿が、アレクの目には焼き付いていた。カルラはまだ、中にいるらしい。モルタルで塗りつぶされた灰色の廊下は冷たく、淀んだしじまを湛えている。相変わらず骨に響く風の音に耐えながら、アレクはじっとカルラを待った。

「駄目です。イポリート以外から指示が出ている様子はありません」

 粘った割に、大きな成果はなかったらしい。アレクが労うと、カルラはぽつぽつと所長の様子を教えた。

「擁護センターで行われているのは、まず間違いなく私の知っている実験ですね。ただ、外部の指示を受けている様子も他の研究者が実権を握っている様子もありません。名実ともに、所長がこの収容所の責任者だと思われます」

 カルラは手すりに肘をつき、両腕の間に顔をうずめた。ここまで来ても、未だにユレシュは亡霊のまま。カルラの頭は見るからに重そうだ。

「ほら、まだあれがありますよ。他にユレシュのいる研究所があるかもしれないし」

 アレクは励ましてみたが、カルラの返事には間があった。

「……否定する材料はありませんが、職員の話題には出てきませんね。その点に関しては、ユーリを調べるべきでしょう。直接接触しているのは彼ですから」

 カルラは項垂れたまま、浅い息を繰り返している。とりあえず階段にでも座らせようと、アレクが手を引いたとき、吹き抜けの下からまたあのうめき声が這い上がって来た。

「しっかし、相変わらず不気味な音ですよね。ここだけはホントに幽霊が出そうだ」

 幽霊どころか、人っ子一人いないのだ。そもそも恐れる理由がない。アレクは苦笑いを浮かべてみせたが、カルラは気づかず横を向いている。何か気になるものでも見つけたのだろうか。それとなく視線を辿ると、果たしてそこには誰もいなかった。燭台の火が、頼りない光を放っているだけだ。そうして光を放ちながら、ゆらゆらと廊下を滑ってゆく。