なんか、真面目な部活ものっぽくなって来たぞ!
雨に打たれるKの姿は、度座衛門を思わせた。
濡れた髪が額に張り付き、その毛先からはとめどなく水が流れ落ちる。
制服の肩には、見覚えのないエナメルを担いでいる。
少なくとも一度は帰った筈なのだが、見た目は敗走したあの時のまま。
まるであれからずっと雨の中を彷徨い続けていたかのように。
俺の声に気づくと、Kは髪の間から俺を伺い、項垂れたまま門を開けて入って来た。
「まだ上がるなよ。とりあえず、バスタオル取ってくるからな」
やはり返事はない。
いつものように喚いていてくれれば、いっそ気が楽になるものを。
バスタオルで頭と足だけ拭かせたが、まだKは水死体のままだ。
俺は風呂場の暖房を全開にして、Kを放り込むことにした。
それにしても、一体どうしたものか。
これがフィクションなら着替えか毛布とセットで、温かいコンソメスープでも出て来るところなのだが。
生憎鍋の中身は、6人前のカレーである。
俺が用意できたのは、黒いTシャツと短パンだけだった。
「とりあえず、座れ」
さっきから、とりあえずを連呼してばかりだ。
とりあえず家に上げたK。
とりあえず取って来たバスタオル。
とりあえず用意した着替え。
とりあえずつかせたテーブル。
気に食わない。
俺程の策略家が、なぜ後手後手で翻弄されなければならんのだ。
両親の旅行中に女が転がり込んでくるというギャルゲ顔負けの展開だというのに、それがKでは楽しみようもない。
店から。
「金持ちやろとは思うとったけど……開業医のボンボンやったとはな」
なんやねん、この城。
テーブルに突っ伏したまま、Kは俺に文句を垂れた。
「俺の建てたもんじゃねーよ。苦情ならお袋に言ってくれ」
Kの奴、まさかこれが全て家だと思っているわけではあるまいな。
この現代建築を気取ったコンクリのうち、我が家などほんの一部分だ。
「お袋? オトンと違て?」
他人には、それが珍しいらしい。
子供の頃から、それこそうんざりするほど聞き返された。
「ああ。表にあるのはお袋の病院だ。あそこで顔を弄ったり脂肪吸引したりして、人様から金を毟ってるのさ」
俺は鼻を鳴らし、それから天井を見上げた。
俺の家の話ばかり聞いているが、当面の問題はお前の家族ではないのか。
妹はまあ最悪に毛の生えたようなものとして、母親は何者なのだろう。
妹そっくりの厭味ったらしい偽善者なのか、それとも陰気なヒステリー女なのか。
いずれにせよ、上手くいっていないことは間違いない。
帰って早々、喧嘩して飛び出してくるくらいには。
「カレーがあるけど、食べるか?」
Kは顔を伏せたまま、鼻で返事をした。
これは腹が膨れた位で復活してくれそうにはないな。
立ち上がって鍋を火にかけカウンター越しにダイニングを見やるが、やはりKはぐったりと萎びたまま、起き上がる気配はない。
このまま居眠られても面倒だ。
青い火が鍋の底を舐めるのを眺めながら、俺は力任せに息を吸い込んだ。
「家族か! 俺の兄貴も、昔から出来がよくてな!」
ホットプルームが、カレーの上に丸く浮かび上がる。
Kめ、俺にこんな話をさせやがって。
この貸しは、絶対取り立ててやるからな。
カウンター越しに、俺は怒鳴り続けた。
「全くもって、嫌味な男だった!」
模試は常に全国100位以内だし、スポーツだって何でもこなす。
そしてこれが当然のごとくモテる。
苦もなく慶応に入り、学生ベンチャーを立ち上げ、今では都内の高層ビルにオフィスを構える若社長だ。
教わったことも多く、一緒に遊びもしたが、生まれてこの方、俺には正直目の上のタンコブだった。
「その男が作ったのが、お前もよく知るcarnaだ!」
このオチは、流石に予想外だったようだ。
Kは起き上がり、テーブルの上に身を乗り出した。
「ハア!? 何やソレ!」
ルウが溶けきり、重たい泡がふつふつとはじけだす。
「メッチャええやん! タダでカード貰えるんとちゃうん?」
兄貴からのカンパだと?
何というセコイ発想だ。
俺はテーブルに組み付き、Kに反撃した。
「貰えるかそんなもん! 逆にランキング工作させられた位だ!」
ver.0.1の発売日、兄貴の頼みで箱買いしまくったことがあった。
怪しまれぬようアキノリ達を引き連れ、ヨドバシやらトイザらスやらで1人につき2カートン。
支度金が出るどころか、ガキ共の分まで俺が負担する羽目になった。
思えばcarnaとの付き合いは、その船出からして大荒れだったのである。
「とにかく、最大の敵は兄貴だ! 源などは前座に過ぎん!」
デザイナーである兄をcarnaの研究で上回り、環境とデッキビルディングの第一人者となること。
それが俺の野望であり、『第五実験区画』の存在理由なのだ。
「何や、お前にも色々あるんやな」
Kは頭の後ろで手を組み、背もたれに体を預けた。
だが、コイツにはまだ残っているだろうか。
戦う理由はあっても、雨に火が消えてはいないだろうか。
俺は腕を組み、Kを真っ直ぐ見据えた。
「それで、お前はどうなんだ?」
見つめていなければ、きっと見逃してしまっただろう。
小さく引きつった指の先、付け爪の上でラメが光を撫ぜたのを。
「ウチ? どうって、何の?」
いや、心配する必要などない。
打ちのめされたフリをして、しらばっくれたところで無駄だ。
分かってなければ、望んでなければ、お前はここに来なかった。
「妹だよ。お前は凹ましたくないのか? あの偉そうな可哀相女を」
ちなみに俺の所感は「アイツだけは生かしておけん」だ。
オタク文化を愚弄した罪は、貴様がその足下に跪くまで決して濯がれることはない。
「ウチは……ウチは……」
鍋の中では泡が吠え盛り、激しくルウが飛び散っている。
さあ、頃合いだ。
これ以上、火にかける必要はあるまい。
テーブルの上で拳を固く結び、Kは俯いたまま思いの丈を搾り出した。
「……勝ちたい」
憐に勝ちたい。
Kは顔を上げ、俺をにらみ返した。
勝つことを、決意した者の目だ。
「ああ、俺も勝ちたい……奴に勝つためなら、いくらでも加勢してやる」
玉じゃくしの柄を握りしめ、俺はKの闘争心に応えた。