大男、もといヒロキは結構気に入ってる。
ギャグと勝ち負けでやってるところに、突発的に違うノリを持ち込んでくれるので。
外から可哀相女の居場所を確かめ、試合が始まってから近づく。
後は大会の日時と場所、そしてKが参加する旨を伝えるだけでいい。
奴は薄っぺらいプライドが積層した、いわばグラファイトの塊だ。
勝負とあらば、絶対に乗ってくる。
トーストをかじりながら、俺は段取りを確かめた。
要は喧嘩を売ってくればいいのだ。
何の造作もない。
「じゃあ、着替えてくる。俺がいなくても、ちゃんと復習しとけよ」
俺は番茶で軽く口をゆすぎ、それから自分の部屋に戻った。
財布と定期とハンカチ、そしてアクオス。
行って帰ってくるだけなら、こんなもので十分だろう。
平服に着替え、俺は駅に向かった。
連休初日とあって、駅はかなり込み合っていた。
愚かな家族連れやデリカシーのないカップルたちが、地元民の迷惑も考えずに騒いでいる。
鯉のぼり如きで、よくもまあ幼児のように興奮できるものだ。
俺も子供の頃は壮観に思えたものだが、疾うの昔に見飽きている。
そもそも鯉のぼりは未就学児のためのものである。
齢16になろうという青少年が、そんなものに一喜一憂してたまるものか。
「カクモ多くの見物人が集うトハ! 夙川にひしめく鯉のぼりの大群、見ずにおらデカ、見ずにおらデカ!」
新撰組が見えたような気がしたが、きっと今のは気のせいだろう。
アニメのイベントでもないのに、レイヤーがうろついているはずがない。
足止めを食らわぬよう、俺はしれっと改札をくぐった。
幸い下りと違い、上りのホームは比較的空いている。
電車の中も御同様で、北口で座ることができた。
目的地はもう、目と鼻の先だ。
駅を出て通りを下ってゆくと、すぐに背の高い金網が現れた。
すべてが余りに順調過ぎて、まだ1時にもなっていない。
「早く出てき過ぎたかな……まあいい、少し覗いてみるか」
フェンスを掴んでよじ登り、俺はグラウンドを覗いてみた。
サッカーコートは手前側にあり、奥には野球用のバックネットが見える。
コート脇では、もう選手たちがアップを始めていた。
ユニフォームは緑と白だが、どちらがDQNのチームかは分からない。
可哀相女の姿も見当たらず、俺はもう少し金網を上ろうとした。
「オイ、お前何しとん」
不味い、見つかった。
教師か、それとも生徒か。
あのDQNでも入れるマイナーなヤンキー校だ。
いずれにしても、理性的な対話が可能な生命体とは思えない。
このままでは接触するどころか、敷地にも入れなくなる。
俺は即座に金網から飛び降り交差点へ逃げようとしたが、あえなく捉えられてしまった。
「お前、この間のキノコ頭やろ」
ドスの聞いた声で、男は俺に尋ねた。
「お、お前はKの!」
荒っぽく突き放され、俺はフェンスにしがみついた。
コイツは確かにKの仲間だ。
口数が少なく、あの中で一番狂暴そうな大男。
よりにもよってこんな時に、態々邪魔しに来やがって。
俺が睨み付けると、大男は眉間に皺を寄せた。
「何でや」
聞きたいのはこっちの方だ。
どうせ建設的な目的もなく刹那の快楽を求めて彷徨っているのだろうが、それならせめて他所を当たってもらいたいものである。
俺が勇ましく進み出ると、大男は妙な言葉を口にした。
「加勢しろゆうから来たったのに、何コソコソしとる。喧嘩売るんやったら、正面から行かんかい」
信号が変わり、タイヤがアスファルトをなじる粗い音が幾つか通りすぎた。
「加勢? お前が俺にか? どこでそんな――」
Kに決まっている。
あの馬鹿は、俺が殴り込みに行くものとでも勘違いしたのだろう。
あいつはこの大男に一体何を吹き込んだのだ。
俺は深いため息をつき、それから同行を断った。
「宣戦布告といってもだな。DQNやらサッカー部を相手にするわけじゃない。Kの妹を大会に呼び出せればいいんだ」
俺はインテリなのだ。
お前たち野蛮人と違って、事態を暴力で解決しようなどという発想はない。
大方、生まれて初めて理性の光を目の当たりにしたのであろう。
お男は目を見開いて、俺に尋ねた。
「大会ゆうんは、カードん大会やろ。お前、勝負さす気なんか? 御影に」
コイツは今更、何を聞いているのだ。
あれだけコケにされて、リターンマッチ以外の何がある。
「そうだ。あの性悪女だけは許しておけん。正式な試合で、Kが奴を討つ! カードゲームが単なる――」
子供の遊びではなく、研究と鍛錬を積み重ねて初めて高みへと辿りつくことが許される高度な知的競技であるということを思い知らせてやろうというのだ。
本題の後半部は、しかし、大男に遮られてしまった。
「そうか……結局、そうせなあかんかったんやろな」
大違いや。
途中で口をはさんだくせに、大男は自分一人で黄昏ている。
こういう手前勝手な輩こそ、俺の最も嫌いな人種だ。
「分かったら、とっとと帰ってくれ」
片手を振って、俺は大男を追い払った。
連中と揉めたり、話をややこしくされては敵わない。
「分かったわ。連中の相手は、俺がしたる。お前はその間に性悪と話つけて来いや」
退くどころか、校門目指して歩きだす大男。
最悪だ。
俺はこの一か月、幾度となく体験してきた。
これはもう、何を言っても止まらないパターンだ。
「待て! 早まるな」
大男のベルトをつかみ、俺は引き戻そうとした。
かくなる上は実力行使だ。
物理的に特攻を阻止する他ない。
「ホンマは知っとった。ずっと前から、性悪んことも、両親のことも……」
なんという馬鹿力だ。
いくら踏ん張っても、こちらが引きずられてしまう。
引きちぎられそうな指、靴底が削られる振動、なおも前進する大男。
このままでは、武力衝突は避けられない。
「せやけど、俺らには……いや、俺には、何もでけんかった! 俺らがやったんは、アイツを逃がすことだけやった!」
いつの間にか、自分語りが始まっていたようだ。
俺を引きずりながら、大男はなおも話し続けた。
「チャラ男のことかってそうや。中学ん時から、いくらでもチャンスあったのに……御影が好きなんはチャラ男やからゆうて、ずっと黙っとった」
そんな馬鹿な。
校門前で、思わず俺はベルトを放してしまった。
この変人は、よりにもよってあの阿呆に恋していたというのか。
Kめ、一体いつの間にそんなに偉くなったのだ。
蓼食う虫も好き好きとはよく言ったものだが、これは完全に好き嫌いの範疇を越えている。
人間という種族の生得的な嗜好の限界を逸脱してしまった以上、倒錯という症名を充てなければなるまい。
俺を本当に驚愕させた妄想は、しかし、それではなかった。
「それがフラれたかと思たら、すぐにお前みたいなんが出てきよるしな」
かけ離れた誤解を、男はさも事実のように言いきった。
これではまるで、俺がKと付き合っているかのようではないか。
「待て! お前と一緒にするな!」
俺はそんな物好きでも、ましてやメスなら何でもいいという節操なしでもない。
貴様のようなケダモノならばいざ知らず、俺は人並みに判断しているつもりだ。
目の前にいる相手が交際するに値する女か否かを。
「ああ、俺は思えば、小心者やった。始めから、上手くいかん決めつけて」
この馬鹿には、まるで分かっていない。
俺にはちゃんとした理想の女性像があるのだ。
俺と交際できる女の条件といっても差し支えはない。
すなわち、清楚で、知的で、繊細で、思慮分別があり、慈愛に満ち溢れ、ほっそりとした……
断じて、Kのようにガサツな野蛮人などではない。
まずもって、アイツには肉が多すぎるのだ。
「だから、なんでそうなるんだ!」
指摘すべき問題が多すぎて、渋滞を起こしている。
口から言葉が出てくる前に、俺は決定打を打ち込まれてしまった。
「そう言ってくれるんは嬉しいけどな。今分かったわ……コイツに任せとったら間違いないて」
俺の両肩を鷲掴みにして、大男は凄んだ。
「せやから、Kのことは頼んだで! キノコ頭!」
絶対、勝たせたってくれ。
大男が頭を下げたことで、漸く正しい上下関係が回復された。
体力しか取柄のないDQNと、人理社会を導くべきインテリ。
どちらが偉いか、明々白々ではないか。
「それとこれとは話が別だが、俺たちの勝利は絶対だ!」
俺が胸を張って答えると、大男は見当外れの信念を強化し、そして敵地に乗り込んでいった。
「オラオラ! こっち見んかお前ら! こっちから挨拶に来たったぞ!」