ふたり回し

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偵察

施設の設定が一番大変というオチ。

 翌日、アレクとイワンはニコライに呼び出された。アレクは内側から、イワンは外側から。施設の構造と警備態勢、周辺の地理を調査し、襲撃、逃走ルートと段取りを策定する。イワンは準備が整い次第、サハリンに発つ運びとなった。アレクも偵察に力を入れることが決まり、空いた時間のすべてを注ぎ込んだ。

「それで、毎日昼寝してるってワケ?」

 レフはコードのビニールを切り取り、段ボール箱に放り込んだ。

「ああ、休んでるわけじゃないぞ。念のため」

 ボルトに巻きつけた銅線をワッシャーで押さえ、6ミリのレンチでナットを締め上げる。アレクは額を手の甲で拭い、大きく息をついた。これで残るは4セットだ。油圧系統が複雑だということは、それだけバルブの制御が複雑だということでもある。この右前脚だけで、20基近くのサーボモーターをチェックしなくてはならない。

「しっかし、よくそんなに寝られるもんだねぇ」

 睡眠時間がアレクより長いのは、それこそ赤ん坊と病人くらいのものだ。

「最近コツがつかめてきたんだ。速く寝付く方法、コルレル先生に教わってさ」

 コンクリートの上に胡坐をかき、アレクは静かに目を閉じた。ハンガーに満ちた細かい金属の音、軽くて硬い、オイルの匂い。空気が沁みこむ度、体が膨らみ、また縮んでいくのが分かった。寄せては引き、寄せては引き、少しずつ眠りに沈んでゆく。

「おいおいおいおい、まだ寝ちゃ駄目だよ、アレクくぅん!」

 レフに揺すり起こされ、アレクはいつものハンガーへと浮かび上がった。

「とまあ、こんな感じだ」

 今日中に足を組まなければ、明後日の演習には間に合わない。欠伸を噛み殺し、アレクは作業に戻った。コードを接続し終わった後にも、まだカウルの取りつけが残っている。隙間から手を回し、裏側からボルトを差さなくてはならない難敵だ。案の定カウルの内側にボルトを落とし、他のペアに遅れること10分、二人は漸く脚を仕上げ、煤けたツナギを脱ぐことができた。

 以前は仕事があがるとその足で店に寄ったものだが、今のアレクにそんな暇はない。屋台で惣菜を買って帰り、部屋に戻ってかき込み、シャワーを浴びて横になる。エッシャーの城に、そして擁護センターに帰ることが、最優先になっていた。

 ニコライのリクエストは、施設内の見取り図だ。研究員を見張る中で、擁護センターの概形はある程度掴めていた。彼らが3,4階の個室から実験室のある1階に下りていくこと、廊下が緩やかに曲がり、部屋は皆その内側に並んでいるということ、正面入り口の直上が、ウッドデッキになっていること。ただ、肝心の子供たちは離れた病棟に捕らわれており、実験や診察のあるときしか研究棟にはやってこない。警備の交代する時間も研究員には無縁であり、彼らの扉を探しに行く必要があった。

 

「病棟への入り口は、やはり一か所だけのようですね」

 流れる雲を眺めながら、カルラは膝の上に頬杖をついた。研究室や会議室から見える、窓の小さな白い病棟。環状の研究棟にすっぽりと囲われているものの、二つの棟をつなぐのは窓のない廊下だけだ。

「それに外から見てるだけじゃ、中の様子がさっぱり分かりませんよ。やっぱり、看護師を探さないと」

 ベンチの縁を掴み、アレクはぐっとのけぞった。逆さの床は見慣れていても、頭に血が溜まり、頭上に髪が引かれるのは目新しい。

「ええ。そちらはアレクさんにお任せします。私は、警備の方を探りましょう」

 アレクを振り返ってから、カルラは弾みをつけて立ち上がった。兵員の扉が集まる広場が、螺旋階段を下ったところにあるのだという。歩き出したカルラの肩越しに白い広場が見え、アレクは思わず息をのんだ。アレクが訪れるまで、カルラは一人でどれだけの広間を、回廊を、扉を探ってきたのだろうか。何年にも渡って積み上げられた計り知れない歩みの前には、この宮殿などささやかな東屋に過ぎないのかもしれない。アレクはゆっくりと立ち上がり、反り返った吹き抜けに戻っていった。

 看護師の扉は、下層のバルコニーにあった。二つ目に選んだ扉が運よく新米の看護師に当たり、アレクは夕食の配膳に便乗することができたのだ。窓がない廊下の奥、鉄の扉の先には寮の半分ほどの食堂があり、壁一面に広がった緑とピンクのマーブル模様を、蛍光灯が煌々と照らしている。テーブルを拭いていた看護師がこちらに気づき、フォンで上階の監視室を呼び出した。

「マイ、夕食の準備が整ったよ」

 向うからの返事があり、ほどなくして看護師が子供たちを連れて降りてきた。何もない研究所で、数少ない楽しみの一つだというのに、スリッパの足音は生温い。これではまるで本物の病人か、そうでなければ死人の行列だ。並んだ子供たちの青い顔を眺め、アレクは密かにため息をついた。

「お腹……減ってない」

 ロイズは首を振り、アレクが差し出した皿を拒んだ。手術を受けた上に、こんな所で暮らしていては、体が弱るのも無理はない。戻そうとした手がトレーに皿を載せてしまい、アレクはそれが自分の体ではないことに気づいた。

「ほらほら、ちゃんと食べないと、元気になれないよ」

 明るい言葉を塗ったところで病院ごっこに変わりはないと、お互いに分かっている。唇を固く結んでロイズが先に進もうとしたとき、近くのテーブルで悲鳴が上がった。頬のこけたカールが、テーブルクロスにポタージュスープを塗りたくっている。看護師が目配せすると、マイがすぐさまカールを取り押さえた。

「止めなさい! スープは絵具じゃありません!」

 カールは必死にもがいたが、マイを振りほどくような力はもうどこにも残っていない。取り上げられたカンバスに向かって首を伸ばし、言葉にならない叫びを上げるのがせいぜいだ。嘗てはおとなしかったカールの奇行を、子供たちは遠巻きに、震えながら見守っている。

「リンダ、鎮静剤を」

 名前を呼ばれて、看護師はトングを大皿の縁にかけた。ワゴンの一番下の段に、注射器のケースがある。注射器に針を取り付けてフラスコから薬を吸い上げ、看護師はマイに駆け寄った。鎮静剤を射つとカールはたちまち大人しくなり、離れていた子供たちが戻ってくる。

 後片付けもさることながら、何より面倒なのは怖気づいた子供たちだ。年少組は理解できずに恐れ、年長組は理解しているので恐れる。全く恐れないのは、既に正気を失った者だけだ。食事が終わった子供たちを病室に帰すのは、いつにもまして骨が折れた。

 ここからは、マイと入れ替わりで見張り役だ。病院だったころの名残で3階と2階が吹き抜けになっており、四方に伸びた廊下は監視室からもれなく見渡せる。黒ずんだカウンターに肘をつき、看護師は大きく背伸びをした。

 病棟の内部を、ついに捉えることができた。カルラの言う通り、入り口は鉄の扉に閉ざされた一本の廊下だけ。特に一階には、外が見えるような窓も見当たらない。その代わりに塗りたくられた緑とピンクのマーブル模様を、子供たちは見続けていなければならないのだ。精神が擦り切れ、死が迎えに来る、その時まで。アレクは額を押さえてため息をつき、対岸の扉を眺めた。惨たらしい最後を待ちながら、子供たち震えている。カルラが囚われていたのも、あんな場所だったのだろうか。

 その後アレクは一旦城に戻り他の扉を調べてみたが、研究棟で医師への報告書を書いていたり、食堂で遅い夕食を摂っていたりと大した収穫は得られなかった。カルラも出ていったきり戻ってくる様子はなく、報告を諦めてアレクは自分の扉に戻った。