ふたり回し

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みそかのたより vol. 11

新弾の騒ぎもおさまって、今月は記事が少なめでした。

人がツイッターに流れているのかもしれません。

10月の星間受信機より


オルテギア銀河剣 (WHITE&GODDM 様)

ひろちちさんの転プロオルテギアです。

超次元呪文のおかげで環境全体の軽量化が目立っていますが、超大型獣も転プロやミラミスを使えば活躍できますね。

山札の呪文比率が効果に絡んでくるカードは、もう一度洗ってみてもいいかもしれません。


「ありがとう」とTCG (一城なつきのJUNK!×3 様)

ハグの習慣は、相手が武器を隠し持っているかどうかを確かめるために生まれたという話をどこかで聞いたことがあります。

知らない人は基本的にみんな敵同士で、だから敵でないことを伝えるために挨拶をする。

対戦前の挨拶も同じで、「この試合はイカサマをぜずに紳士的に行います」という意味を持っています。

愛想良く振舞うべしとは申しませんが、挨拶をしないということは、それ自体が「俺はクロだ!」と宣言しているも同じなのです。


デッキの“理論”と“実践” (Bell of law 様)

combatirさんの「脱理論」論。

ぷらむさんもそうでしたが、最近は脱理論の風潮が強まっているのでしょうか。

理論が軽視される傾向には危機感を覚えますが、(DMプレイヤーの知的好奇心が低下してるんじゃないかという意味で)

理論が実践の後追いだということは間違いありません。

たとえば、観測点が移動しても光の相対速度が変わらないことも、相対速度が変わることを確かめるための実験が失敗して分かったことです。

それから、「なぜそうなるのか」を考えて、理論が組み立てられ、「そうだったのか!」と解決する。


でも、それで理論の意義が失われることはないと思います。

役に立たなくても、「そうだったのか!」というのは一つの解決の形ですし、何より人間にとって最も大きな喜びでもあるからです。

世の中には、身を削って砂漠を掘り続ける人もいれば、熱病や猛獣と戦いながらハエを追いかけている人もいるかもしれません。

それでも彼らは決して不幸ではないし、人は「道楽者」だという表現を用いるでしょう。

理論にとってホントに大切なのは成果ではなく、むしろトリビアルな楽しみなのです。


>>combatirさんの記事に続きがあります

参考になる記事ですので、是非こちらも合わせてご覧ください。


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