開催するまでもなくチャット会が役に立っている。
次第にペースが上がってきた。
「リシュンさん、何が起こったんですか?」
シャビィの手からランプを取り返し、リシュンはゆっくりと地面に下ろした。
「ただの近道ですよ……ほら、そこにもさっきの印があるでしょう?」
リシュンが目配せした先に書かれた印を、シャビィは食い入るように見つめた。これは十字路になったものと同じだ。三日月の子から中に向かって矢印が引いてある。
「こんなもので……本当に行き来できるものなのですか?その、離れたところを。」
シャビィは難しい顔を印に近づけてよくよく検めたが、普通のチョークで印が書いてあるだけで、他に仕掛けがあるわけでもなさそうだ。
「もう一度通って見せましょうか?」
リシュンはその場で出入りを繰り返して見せた。シャビィは始め身構えたものの、じきに肩から力が抜け、むしろリシュンが浮き沈みする様子を唸りながらしげしげと眺めだし、しまいには自ら向こう側を覗きこむに至った。
「リシュンさん、これは、両側に跨っているとき反対側からどう見えるものなんですか?」
呑気な質問に、リシュンは適当な返事をよこした。
「見たことはありませんが、陰が当たっていないから白く見えるでしょうね。」
「ここに立ったまま印を消したら?」
「千切れます。」
「私にもできますか?」
「印を正しく書けば。」
「そうだ!……何だったかな?気になることがあった筈なんですが……」
「無理に思い出さなくても結構です。」
印を消すから、早く出てきてください。リシュンが印に近づくと、シャビィは血相を変えて飛びのいた。が、作業が始まる気配がない。懐を探る仕種に気がついて、シャビィは手拭いを差し出した。
「これですよね?お返しします。おかげさまで、血もすっかり止まったようですから。」
「え、ええ。ありがとうございます。」
うっかり礼を述べてしまったリシュンに、シャビィは不器用に微笑みかけた。
「こちらこそ、どうもありがとうございました。」
手拭いを受け取ると、リシュンは何も言わずにチョークを拭き取り、ランプを手に立ちあがった。
「さあ、これで一まずは安心です。念のために窺いますが、シャビィさん、寺院から匿ってもらえそうなあてはありますか?」
シャビィは苦笑して、後頭部をさすった。
「いえ、寺院の頼みとあらば匿って来れそうなところしかありません。私の知り合いは、殆どが寺院の人間ですから。」
それも、初めて訪れたナルガとなると絶望的である。リシュンは淡々と相槌を打ち、それから、シャビィに取引を持ちかけた。
「では、私が匿うことにいたしましょう。そのつもりでここまで連れてきてしまいましたからね。少々手狭なのは我慢して頂くとして――その代わりに、一つ手伝って頂きたいことがあります。」
遠くで水の滴る音がした。二人を包む薄い霧がかすかに震え、再びゆっくりと静まってゆく。
「何をすればよろしいのですか?」
シャビィは努めて平静に聞き返した。堅く、まっすぐな、そして張りつめた声だった。
「シャビィさんにとっては、寺院の不正を暴き、これを止めさせることです。」
リシュンの声にためらいはなかった。ただ、字義の上に含みがあるだけだ。シャビィは静かに目を瞑り、そして最後の退路を打ち捨てた。
「お手伝いさせてください――」
リシュンさんの目的が、何であっても。
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