体力勝負の第二審査、よーい、どん!
ステージから逃げ出した私たちを待っていたのは、こっそり応援に来ていたイェリックさんでした。
ほとぼりが冷めるまで、知っている人のいないところでワノンちゃんをかくまった方がよさそうです。
イェリックさんの勧めでメルヘンゾーンに避難し、私たちは親子連れに紛れて水晶の湯で体を温めました。
「ここなら大丈夫でしょう。独身男性は入ってきづらいところですから」
イェリックさんの言う通り、鮮やかな光を含んだガラスの浴槽につかっているのは、私たちと年の変わらない女の子のグループだけです。
私はワノンちゃんを抱き寄せ、少しだけくすんだお湯を細い肩にかけてあげました。
「イェリックさん、ありがとうございました。私ひとりじゃ、ワノンちゃんを庇いきれなかったかもしれません」
豪華で明るいばかりだと思っていましたが、こんなに綺麗なところもあったなんて、ナガラマガランドも底がしれません。
温泉を囲む鏡の中で、水晶の置物がライトと共に色を変えています。
「なんの、ユニス君のためとあらばお安い御用だよ」
イェリックさんが湯船のお湯を掬って顔を洗うと、女の子たちがひそひそ話をしながら逃げていきました。
合わせ鏡にずらりと並んだオレンジ色の滝だけが、どこまでも続く部屋の中で寝息を立てています。
「悪いことしてもーたな、ユニス。続き出られんようにしてしもて」
私にぐったりと体を預けたまま、あのワノンちゃんがしおらしく謝りました。
これは重症です。
「いいえ。私、ホントはこういうの苦手だし……ちょっぴり後悔してたんです。付き合いで出ちゃったの」
打ち明けてしまうと、胸が軽くなりました。
楽屋で騒いでいる間は楽しかったけれど、やっぱり私には、ああいう都会っぽいというか、ハイカラなことは向いていないのかもしれません。
「それより、フィンカちゃんが心配です。決選でひどいことされたらと思うと……」
ワノンちゃんにいたずらした変態は追い出されたようですが、あの会場にはまだシタチチエロイさんが残っています。
フィンカちゃんの身に何が起こっても不思議ではありません。
口をつぐんだ私に、ワノンちゃんは恐る恐る訊ねました。
「エロ同人みたいな?」
「エロ同人みたいな……」
同じ口に出すのでも、こちらはますます不安にさせる響きです。
私が目を伏せたのを見て、イェリックさんは顎ひげをくりくりと巻きました。
「それなら、様子を見に行ってみようか。ちょうどあのステージを見下ろせるところがあるんだ」
私たちが乗り込むと、半重力ゴンドラ風呂は柔らかい動きで浮かび上がり、ステージの傍で静かに止まりました。
桟敷席から舞台を見下ろすなんて、豪華すぎてバチが当たりそうです。
「それにしても、よーとれましたね、イベントの最中に桟敷席なんて」
お湯に顎までつかりながら、ワノンちゃんが尋ねました。
ステージの縁を半周する、大きなベルトコンベアが見えます。
決選に使われるものなのでしょうか。
「いや、一年前から予約を入れていたんだ。何せ……せ、せっかくだから、みんなの応援がしたくて」
イェリックさんはお風呂のへりにもたれ、タオルを目にかけたまま黙り込んでしまいました。
おじさんになっても、打ち明け話は照れくさいみたいです。
「一年も前から? わざわざそこまでして頂いて、本当にありがとうございました」
せっかく良くして頂いているのに、ワノンちゃんはなぜかイェリックさんを訝しげに見つめています。
イェリックさんが気付いていないとはいえ、広いお風呂が狭くなったような気がしました。
「さあ、いよいよお待ちかねの決勝がスタート! ここで各選手のグリッドを確認してみましょう!」
スポットライトの鋭い光がステージの上を駆け回り、噴き出すドライアイスの中からフィンカちゃんたちが現れました。
水着審査が厳しかったのか、あれだけいた参加者も10人くらいしか残っていません。
みんなはステージからベルトコンベアに跳び乗り、列を作って並びました。
「あ、やっぱり残ってるやん」
ワノンちゃんはゴンドラのへりから身を乗り出してステージを見下ろしました。
フィンカちゃんはニホチマさんの後ろに立っています。
「選手、って、予選の時は参加者って言ってましたよね?」
私はあごを手すりにのせて、人差し指でとんとんと手すりを叩きました。
「ああ、それはね、決選がレースだからなんだ。レースが始まるとルームランナーが回り出して、最後まで残った選手が次のミス・ナガラマガというわけだよ」
イェリックさんは立ち上がり、レースの見えるところに座り直しました。
ミスコンらしくない決着のつけ方ですが、これならフィンカちゃんの独壇場です。
ステージ上では、司会のおじさんが予選の映像を使って、選手の紹介を始めています。
フィンカちゃんもニホチマさんも残っていましたが、私の前の人はいなくなっていました。
「大臣はん、その『残ったら』ゆーんはどーゆー意味なんですか?」
ワノンちゃんは振り返ると、イェリックさんはオペラグラスを下してルームランナーの端を指さしました。
レースが見づらいはずなのに、なぜか人だかりができています。
「ルームランナーが段々速くなって、遅れた選手からプールに落とされるのさ。ほら、ルームランナーの端でみんな待機しているだろう?」
落ちた選手を待ち受ける運命に、私の身体は震え上がりました。
「ひどい……で、出なくてよかった……」
「……最低や」
果たしてフィンカちゃんは、無事に生き残ることが出来るのでしょうか。
司会のおじさんによる選手の紹介が終わると、いよいよ赤いシグナルに火が灯りました。
ざわついていた会場を、静けさが伝わっていきます。
シグナルが下からひとつづつ消え、残るはあと一つ。
観客と選手たちが息をのんで見守る中、最後の一つが消えました。
「サウナマラソン、スタート!」
焦げ臭い電子音が青いシグナルに火を灯し、大きなルームランナーがゆっくりと回り出しました。
フィンカちゃんはスムーズに走り出し、表情にも余裕があります。
考えてみれば、体力勝負でフィンカちゃんに勝てる人なんてそうはいません。
私たちが気をもまなくても、すんなり勝ってしまいそうです。
ところが、私が小さく息をついている間に、観客席から大きな声が上がりました。
後ろの方を走っている人が、何かを飛び越えています。
「おーっと! ここでアクシデント発生! 転倒したのは、ナンバー18、シャクナ選手でしょうか! スタートに失敗したシャクナ選手を、非情にもルームランナーが押し流していく!」
後ろの方で誰かがシャクナさんにつまづき、どす黒い歓声が燃え上がりました。
スクリーンに映ったシャクナさんは、手をついて必死に立ち上がろうとしています。
「あかん!」
ワノンちゃんが叫んだその時、後ろを走っていた人がシャクナさんの背中を踏み越え、シャクナさんは間に合わず、人だかりの中に転がり落ちていきました。
スクリーンの外側で何が起こったのか、私の口から申し上げることはできません。
そのとき私たちにできたのは、お互いしがみ付き合ってがたがたと震えることだけでした。
「シャクナ選手、ナンバー24、マフマニ選手を巻き込んでクラッシュ! これは序盤から大変なことになっています!」
震える左手で顔を覆い、イェリックさんは首を振りました。
「いつものことながら何とうら、ウォホン、痛ましい……見給え、救護班が出動したようだ」
赤いライフジャケットを身に着けた救護班が、ゴムボートを引いて現れました。
高らかにショットガンを鳴らして、シャクナさんたちに群がる観客を追い払っています。
「よ、よかった……」
あと少しでも救護班が遅れていたなら、二人とも危ないところでした。
ヤジを飛ばすおじさんたちをかき分け、帰っていく救護班は、正真正銘のイケメンです。
私たちは事態が無事に収束するのを見届け、お湯の中にへたり込みました。
「開始10分が経過! ここでミストサウナが入ります! 文字通りのサウナマラソン、いよいよ本番です!」
アナウンスが入ると同時にステージの屋根からスプリンクラーがせり出しました。
降りかかる熱い霧に、選手たちがおおわれていきます。
「こらきっついわ。見てみ、みんな顔真っ赤や」
ワノンちゃんが顔をしかめたとき、私はフィンカちゃんではなく、ニホチマさんを見ていました。
この拷問に耐え抜いたばかりでなく、再び舞台に上がることを選んだ闘士。
ニホチマさんは、決して嫌味ったらしくて見栄っ張りで胸が大きいだけの人ではなかったのです。
「選手たちの表情がみるみる厳しくなっていきます! おおっと! 6番カラビア選手、ここでギブアップか? 涎を垂らしながら喘いでいます!」
私はこの見えない裏切りに気づき、必死にかぶりを振りました。
ゴンドラ風呂に落ちた小さな影には、オレンジ色の瞳が写っています。
ワノンちゃんを蔑み、私たちを嘲笑った人が輝いて見える目。
こんな目をこれ以上私の身体に留めていてよいはずがありません。
「ユニス君、どうしたのかね!」
私はいつの間にか、自分の顔に手を伸ばしていました。
ワノンちゃんが慌てて手首を捕まえなければ、私の両目は残っていなかったことでしょう。
「カラビア選手、遥かな天国を眺めながら、恍惚とした表情で走っています! これはそそる!」
スクリーンにふと目を向けると、髪の長い選手が少しずつ動きを鈍らせ、他の選手に追い抜かれていくところでした。
汗とミストでてらてらと光る身体に、細い水着を編み上げる細い紐が食い込んでいます。
カラビアさんが倒れ伏し、廃人の生産ラインに運ばれてゆくのを、私はゴンドラの手すりにもたれ、ぼうっと見届ました。
「ユニス、あんたまでハイになってどないするん!」
ゴンドラから落ちかかっていたところを、私はワノンちゃんに引き戻されました。
ロリペドスキーさんのことがなければ、私たちもああして疲れを知らない飢えに追い回されていたのでしょうか。
私たちが見守る中、選手たちは次々熱に倒れ、息が切れ、あるいは足を滑らせてピラニアの群れの中へと脱落していきました。
残った選手も水と熱にお化粧が崩れ出し、ミスコンとは思えない地獄絵図です。
「10人いた選手も残すところあと4人、ここでルームランナーのスピードが上がります! この中で最後まで走っていられるのは、果たしてどの選手になるのでしょうか!」
ニホチマさんの歪んだ唇からも、ラメの混じった赤いグロスがしたたっています。
これまで様子を見ていたフィンカちゃんが歯を食いしばり、一気にスパートをかけてニホチマさんの横に並びました。
重そうな乳房が激しく暴れ出し、水着どころか、フィンカちゃんの身体から飛び出していきそうな勢いです。
「おお……フィンカ君はここで勝負を決めるつもりだな。前に出ればもらい事故も防げる」
オペラグラスを覗きながら、イェリックさんは早口に説明してくれました。
あと少し、あと少しでフィンカちゃんは生き延びることが出来ます。
私は声を張り上げ、フィンカちゃんに声援を送りました。
「フィンカちゃん、頑張って!」
フィンカちゃんは答える代りに、小さくジャンプして見せました。
価値が見えると調子に乗るのは、フィンカちゃんの悪い癖です。
バウンドした乳房に会場が沸きあがり、フィンカちゃんはさらに調子に乗ってジャンプを繰り返しました。
「もう、フィンカちゃんったら」
私が気色ばむ傍らで、ワノンちゃんが小さく声を上げました。
「ユニス、あれ!」
お仕事モードの声です。
私は思わずワノンちゃんに振り向きました。
「どうしました? 何かまずいことが?」
ワノンちゃんはフィンカちゃんから目を離さず、険しい顔つきをしています。
私はワノンちゃんの真似をして、もう一度フィンカちゃんをじっと見つめました。
「ほれ、ルームランナーの上に何か転がりよる! 何や白い……」
二人の足元に目を凝らして、私は思わず叫んでしまいました。
「石鹸です! ルームランナーに、石鹸が!」