ふたり回し

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水蛇の塔(一八六四年五月十日)

次第に怪奇小説味が出てきました。


 七日目。トーマに同行したアランの復帰を待ち件の墓の発掘に出発。遺跡由り北へ約二粁石の地点、墓石を中心に三米四方の穴を掘始めた處、深さ三十糎にして人骨が出土。遺跡と同時代の物を期待したが遺骸は比較的新しく、体格からして顕かに児童の物で在り、副葬品の類も無く石室の遺体との関連性は見受けられない。辛うじて興味をそゝるのは着用してゐる首飾りに用いられた巨大な和邇の鱗位の物で在る。念の為深さ五米迄竪穴を掘り進めたが他の出土品は一切無く、再び調査の手掛かりを見失う次第と成つた。

 其の後探索を続行するも石材の一切れだに発見されず七日目の調査は終了。此の日の収穫は足元に大規模な集落の痕跡が埋没してゐる事は確かなるも、発掘するにも密林の開拓から始める他無い。我々は祠の捜索を一時断念し、寺院及び石室の再調査を行ふ事とした。


 追記。夜半、学生の鼾に目が覚め再び横になるも寝付けず。疲労の程にも関わらず眠りが浅いのは年の所為か。只横たわる時間も惜しく資料置き場の天幕に赴き、先日出土した副葬品を再び検分した。極めて丁重な埋葬の状態は、此れ等の生贄が当時の社会に於いて非常に重要な人物で在つた事を示唆してゐる。彼らは同じ生贄でも神の花嫁として位置づけられてゐたのでは在るまいか。然らば副葬品の数々は単なる神への供物では無く生贄達の嫁入り道具と捉える可きで在らうが、対を為す道具が出土してゐない現状とは矛盾する。加へて鏡は裏面に八頭の蛇を負う女神が描かれ、此れも神と生贄との関係を不明瞭にしてゐる。

 此の時、予期せぬ訪問者が在つた。何時の間に入り込んだのか、気が附くと村の子供が出土品を見物してゐるではないか。貴重な資料の集まる天幕に関係者以外が出入りする事は避けねばならぬ。年の頃も然程違はぬ自分の娘を思い出し邪険に成り切れぬものゝ、私は比較的穏便に追い返そうとした。すると一体如何した事か、此の少女は驚く可き事に仏蘭西語で返事を寄越したので在る。

 彼女は――ラアヤと名乗つた――バギラの行方を私に問ふた。当然知る由もなく何者か訊ねた處、同じ位の背格好の少年だと云ふ。彼女が長らく森に留まり彼の少年を探し続けど未だ彼は見附からぬ、と物憂げに訴ゑられたが、恐らく彼が早世した事を家人が誤魔化してゐるか、或は左様な筋書の遊びに興じてゐるのだらう。見掛けたら知らせやうと安請け合いし、ラアヤを送り届ける可く家の所在を訊ねると、山の上の祠だと云うふではないか。此の付近は丘陵こそ有れ、山らしき山など皆無に等しい。寺院の上より確認した限りでは最も近い山でさえ数十粁は離れていた。此れは一体如何した物かとアランに助けを求めたものゝ、彼を引き連れ戻つた時にはラアヤは何処にか消えていた