ふたり回し

小説投稿サイトとは別に連絡や報告、画像の管理などを行います

水蛇の塔(一八六四年五月十六日)

茶番になりやすい際どいシーンだった……


 発掘十三日目。仰向けに眠る事叶わず多少睡眠の不足を感ずる。境内や回廊の大部分は未だ密林の下に埋没してゐるものゝ本殿周りの伐採作業は終はりに近づきつゝ在る。本日は比較的状態の良い北側の壁面並びに石室の調査以来後回しにされてゐた第二層内部の調査を行つた。北側の壁面は羊歯を払うだけで露出し、南側とほぼ同様の浮彫が確認された。一方第二層内部からは保存状態は劣悪乍らも壁画を発見。ガジマルの気根と黒黴により痛め付けられてはゐるものゝ、洪水の様子や川を鎮める女性神官の姿を見て取る事が出来る。女性の装身具は石室の遺骸と共通して居り、生前の彼女達を描いた物で在ると我々は推察した。不可解なのは生贄、或は婚姻の場面で在るにも関はらず竜蛇が描かれてゐない点。村落に伝わる伝承や塔全体の意匠を踏まえれば、此の壁画に取りて竜蛇は正に欠く可からざる物で在る。白い竜の由来が判明する事を期待してゐただけに、益々謎が深まる事態に困惑を隠し得ぬ。

 夕食後、私は資料置き場に赴き石室で発見された装身具を壁画の素描と見比べた。祭りの、そして神話の真相は、儀式が時を経て風化する以前、寺院が建立された当初の信仰に有る筈だ。私が資料を前に思索を巡らせてゐると、又もラアヤが天幕に転がり込んでゐた。彼女は再びバギラの行方を訊ねたが、其れ處かラアヤの存在さへ長老は隠したがつてゐるやうで在つた。文化人類学者は現地の文化に敬意を払はねばならぬと頻りに主張するが、蒙昧な宗教の為斯様な子供が虐待されてゐると思ふと居たゝまれぬ心持がする。食事や寝床は与へられてゐるのか、助けが必要ならば謂つてくれと申し出た處、昔は虐められてゐたがバギラの嫁に来てからは村の者も親切に成つたと云ふ。其のバギラと云ふ子供は矢張り村長、或は霊媒師の子息なので在らう。当然さう考える可き處で在るが、ラアヤの話を真に受けるならば、豈に計らんや、此のバギラこそが村人の崇める川の神なのだと云ふ。生贄の風習が、形を変へ存続してゐるので在らうか。今迄全く左様な気配を感じなかつたのは、村民がラアヤごと此の風習を厳重に隠蔽した為に違ひ無い。私は暫く沈思に耽つたが此処で思はぬ邪魔が入った。話声を聞きつけたアランが天幕を訪れ、先生、誰と話してゐたのですかと問ふたのだ。

 考古学者は亡霊を信じぬ。学級の徒で在る以上に、我々が墓荒しで在る為に。私はラアヤをアランの前に突き出し幾つも鎌を掛けて見たが、如何やらアランには真実ラアヤが見えぬ模様。長老が悪霊と呼んだは間違ひに非ずや。ハツプの謂つた森の悪霊と云ふ者も、此の娘の事やも知れぬ。森で出土した遺骸と引き合はせどもラアヤは気味悪がるばかりで少しも見覚えが無いかの如く見えたが、首飾りを見咎め酷く狼狽し出した。曰く、バギラが自らの鱗を手折りお守りに持たせたのだと云ふ。儀式に用ひられた麻薬の後遺症だと云ふアランの推察は実に現実的な物だが、我々は既に一度ラアヤの証言に依り祠堂の発掘を行つてゐる。考古学者は亡霊を信じぬが、己の霊感は信じねば成らぬ。彼女が生きてゐたのはどの時代か、何故彼女だけが森に埋葬されたのか、祭りに登場する白い竜は黒い竜と別にゐたか、生贄には如何様な娘が選ばれたのか、ウイシヤと云ふ娘は何物か。私はあらゆる疑問をぶつけたが大した答えは得られず、彼女はウイシヤの名前が出た時初めて興味を示した。

 ウィシヤは年の離れたラアヤの従姉にして、其れは美しく優しい女性だつたと云ふ。父親が神罰を受けた為に村人達から虐げられ母親とも死に別れたラアヤを、只一人ウイシヤだけが村の者から庇つて呉れたのだが、軈(やが)てウイシヤが神に供される日がやつて来た。ラアヤの話が決定的に伝承と異なる点は此処で在る。ウイシヤは隠れて村の若者と交際してゐた為に神の怒りを買い、嵐は止む処か一層激しさを増し天からは常に幾筋もの雷が降り注ぎ夜も真昼の如き明るさが途絶える事は無かつた、とラアヤは語つた。直ちに次の生贄が必要と成り、年端も行かぬラアヤに白羽の矢が立つた。長の一族でただ一人、要らない子供だつたからだと云ふ。生贄に血筋が求められる事は然して珍しくもないが、聞くだに不憫な話で在る。何とならば、バギラに気に入られなければ、ラアヤも祠堂の娘達と同じく八つ裂きにされたやも知れぬのだ。ラアヤも初めの内は怖ろしくて仕方無かつたそうだが、次第に可愛げが有るやうに思へたのだと謂ふから女は恐ろしい。さう言へば今頃家内達は息災にしてゐるだらうか。私はバギラの行方を探る事を彼女に誓い、自分の天幕に戻つて家族への手紙を認(したた)めた。