ふたり回し

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つべこべ言わんと作れや!

通し。


 

 個性のある人間なんて、ホントは全然いないんじゃないのか?

 どいつもこいつも周りから浮くのを恐れてくだらないお喋りばかりに時間を費やし、自分の考えなんて持ってないから、口を開けば「分かる分かる」「だよねだよね」の繰り返し。

 興味がある事と言えば食い物と金とファッション、好いた惚れたにウザいと来てる。

 それも自分で料理をしたり、コーディネートを考えはせず、どこかで誰かの客になるだけ。

 そんなヤツ、夜が明けた時エンドウ人間と代わっていたって、誰も気づきはしないだろう。

 ボードリヤール風の言い回しをするなら、文字通りの交換可能というやつだ。

 例えば、向かいのクレープ屋の前でだべっているDQN共。

 似合ってもいないのに頭を黄色や茶色に染め、この暑いのに学ランの下にパーカーを着こんだり、セーラー服の上から黄ばんだカーディガンを羽織ったり。

 はみ出し者を決め込んだってテンプレな気崩ししかできない、ありふれた落ちこぼれだ。

 特にあのミニスカートでガードレールに足を乗せた糞ビッチ。

 ああいうロクデナシはファッションかダイエットでシャブにハマり、惨めったらしく金をむしられ、最後には無免許で車を乗り回して可憐な幼女を跳ね飛ばしたりするに違いない。

 連中と違ってまともな世界に生まれてきたことだけは、俺も両親に感謝している。

 そんなことを考えているうちに信号が変わり、俺は横断歩道の上を歩き出した。

 DQN共との間が詰まり、話声が聞こえてくる。

 なぜか俺を睨み付け、肩を寄せて何やら囁き合っているが、こんなゴミのような人間たちのひがみに付き合っている暇はない。

 気づいていないふりをして、素通りすることにした。


「なー、あのキノコ頭、さっきからめっさこっち見てるんやけど」

「ホンマ? マジキモくね?」

「なんか目つきやらしくない? ってか、蛍、あんたパンツ見えてるんじゃ――」

「ハァ? なん、それ、最っ低……ないわぁ。ガチで死んでくれんかな?」

「キモ過ぎっつーか、ひょっとしてアレちゃう? オタクさん」

「えー? それ、この間宝塚で小学生誘拐したんと同じ?」

「ヤバ。容疑者じゃん。写真撮って皆に知らせよ」

「ウソ……ガチで汚されたんですけど……ウチもう生きていかれへん……」

「道理で童貞臭ーと……なあ、あいつやっぱ、部屋にポスターとか貼ったりしてんのかな」

「ヨシ、お前ちょっと聞いてこいや。って、うわ、今こっち見たでアイツ!」


 ハエ共が何やら喚いているが、所詮は雑音だ。許してやれないこともない。

 連中は分かっていないだけなのだ、自分の前にいるのが一体どれほどの人物なのか。

 シンナーのせいで脳味噌が縮んでしまった憐れなDQN共に、俺程の人物を理解できるだけの知性を求める方が酷というものだ。

 見た目こそ平凡な高校生だが、俺をその辺の一般人ーと一緒にされては困る。

 何を隠そう、この俺は神戸、いや関西で唯一と言ってもいい、真の理論派デッキビルダーなのだから。


 駅前から少し離れたところに、俺の行きつけの店がある。

 黒い格子のかかった窓に、漆を塗った犬矢来。

 7階ほどあるマンションに寄生した町屋モドキは、大家が趣味で作ってしまった万年赤字のカードショップだ。

「みすまる」の名前が躍る分厚い楢の看板は静かな夕日を受けて輝き、いつも通りに俺たちを迎えてくれる。

 ただし、今日はいつも通りではない。

 身の程知らずなDQN共のことは、まあ、見逃してやるとして、パラガスたちにちょいとした朗報があるのだ。

「やあ。マッシュ君、いらっしゃい」

 人の良い笑顔を浮かべる坊主頭のマスターに向かい、俺は小さく頭を下げた。

「こんちわ」

 店の奥では、パラガスたちがフリーで戦っている。

 俺はテーブルに近づき、パラガスたちに声をかけた。

「よう、パラガス、相変わらず男ばかりでむさ苦しいことだねえ」

 パラガスは顔を上げ、実にリクエスト通りの質問をしてくれた。

 

「遅かったね、マッシュ。その顔だと、何かいいことでもあったの?」

 

 優しさだけが取り柄のような実に冴えない男だが、コイツはいろんな面で本当に期待を裏切らない。

「大したことじゃないけどな。実は今度、知り合いの女の子が来ることになったんだ」

 俺は可能な限りさりげなく答えたが、ユキトたちが話を聞きつけ、一斉にヤジを飛ばし始めた。

 所詮は女の子と遊ぶなんて格好悪いとか思っちゃっている小学生男子の戯言だ。

 いやぁ、実に微笑ましい限りと聞き流していたところ、聞き捨てならない一言があった。

「タケ兄のことだから、どうせまたネカマにひっかかったんだろ?」

 アキノリ、てめえ。

 これだから反抗期は嫌なんだ。

「違うし、ちゃんとしたJKだし。関西学院のお嬢様だし。ブログにタルトとかシュシュの写真とかうpしてたし!」

 俺がまくしたてると、テーブルの周りには錆びついた倦怠感が広がった。

 アキノリどころか、小学生たちまで目に憐れみの色を浮かべている。

「ま、まあ、まだ男と決まったわけでもないんだし、そうがっかりすることもないよ……それより、そのブログって、この間リンク張ってたところ? なんか、すごいマッシュのファンなんだって?」

 パラガスは話を強引に先取りしたが、声ばかりか視線まで上ずっている。

 俺をフォローしたつもりになっているらしいが、まあいい。

 その思い上がりも実物を見れば改めざるを得ないんだからな。

 

「まあな。トリシャさんつって、春先から時々コメント入れてくれてた人なんだけど、彼女、他の奴とは違ってさぁ。精神論とかデッキじゃなくて、こう、ちゃんとしたコラムが好きなんだよね」

 トリシャさんは、俺のコラムを十全に理解できる数少ない読者の一人だ。

 俺が戦術関係のコラムを書くと、割と名前の知れているパラガスでさえ表面的な話しか振れないのに、トリシャさんはむしろ自分から話を広げて来る。

 トリシャさんのブログ『夙川日記』もレベルが高く、先日上がっていたコラム『スペースの密度勾配』には思わずこちらからトラックバックをかけてしまったくらいだ。

「やっぱ、分かる人には分かるんだよね。俺ほどのセンスの持ち主ともなれば? 美少女が心惹かれてしまうのも無理はないっていうか……」

 真っ直ぐに切りそろえられた前髪をかきあげ、俺はニヒルな笑顔でキメたが、皆はあけすけに笑い出した。

 大方嫉妬の余り、受け入れることが出来なかったのだろう。

 JKが! 

 俺に!

 夢中だという!

 ゆるぎない!


 事実を!


「それよりタケ兄、今回してるデッキなんだけどさ。繭ロゼが止まらなくて……」

 ユキトは俺を見上げ、しれっとデッキの相談を持ち掛けた。

 フィールド上には土の中~軽量イコンが並び、トラッシュに卵が見える。

 

「土金のガードコンだろ? 土だけでも結構動かせるから、エンボディでコストを誤魔化すんじゃなくてさ。タッチ火にして、鐘とか目眩まし使えよ」

 繭ロゼのような高速召喚狙いのデッキは、張り合うより殴った方が早い。

 俺にとっては定番なのだが、パラガスは面食らったらしい。

「殴るの? コントロールだよ?」 

 これこれ。

 デッキを分類でしか理解できない症候群。

「早期段階の場アド強いんだから活かすんだって。水木ベースのデッキとは全然違うんだし……とりあえず、そっちで組みなおさねえ?」

 ユキトも初めは抵抗を見せたが、コイツも一応は俺をアテにしている。

 デッキをテーブルの上に並べて、楽しい構築の時間が始まった。


 翌日、俺はいつも通り、パラガス達とデッキを回していた。

 除去の強い木をベースにして対応力を上げた速攻だ。

 まだあまり綺麗に仕上がっていないが、まあ次に流行するのはこのデッキで間違いない。

 夏にもちゃんと大会があれば、必ずや俺が雪辱を果たすことだろう。

 あのシスコン皇子に土下座させ、『お許しくださいマッシュ様、もう二度と調子に乗って取り巻きの女の子を引き連れたりしません』と誓わせている俺の威厳に満ち溢れた姿を思い浮かべるだけで、自然と余裕の笑みが零れる。

「来てくれるといいね、マッシュ」

 対戦相手のパラガスが、妙に優しげに微笑んでいる。

「来る? 何? 俺の時代か?」

 俺が自分を指さすと、パラガスはなぜかたじろいだ。

「あ、ああ、いや、なんか凄いデレデレしてるから、トリシャさんが来るのを楽しみにしてるのかと思って……夏の大会に出られないのは、残念だけどさ」

 そうだ。若干一名ながら、ようやく俺にもファンがついたのだった。

 しかし、どうしたものか。

 この店の客の大半は憐れな独り者だから、いきなり告白されるような展開になっては皆も居心地が悪いだろう。

 今のうちに、何か断り文句を考えておかなければ。

『俺、ファンの女の子とは付き合わないことにしてるんだよね。そういうの不公平だからさ』。

 よし、これで行こう。セレブ感もあって中々に俺らしい台詞だ。

 俺が思案に耽っていると、自動ドアが開く音がした。

 噂をすればなんとやらだ。

「すみません、ここにマッシュゆう人がいるて聞いたんですけど……」

 イメージよりも声が低いが、まあリアルの女の子ならこんなものだ。

 おれは振り返り、渾身のイケボで名乗り出た。

「やあ、よく来てくれたね。俺が君の探していた、デッキクリエイターのマッシュだよ」

 この次にトリシャさんが俺に告白する。

 さらにその次が、『悪いけど、俺、ファンの女の子とは付き合わないことにしてるんだよね。そういうの不公平だからさ』だ。

 ところがそこにいたのは、関西学院のお嬢様などではなかった。

 交差点でたむろしていた、いつぞやのDQN共だったのだ。

「オェッ! この間のキモオタやん……マジもぅ無理やねんけど。よりにもよってこのキノコ頭とか、ありえんくない?」

 金髪の糞ビッチは背中を丸め、鳥肌の立った両腕をさすった。

 わざわざ店に上がり込んで、ご挨拶にもほどがある。

 

「それはこっちの台詞だ! 俺の顔を見たくなけりゃら、さっさとキャバクラに帰れよ! この厚化粧!」

 きっぱりと言い返すと、糞ビッチの後ろにいた大男が小さく舌打ちし、俺にメンチを切ってきた。

 他のDQN共も一斉に色めき立ち、いつの間にか俺を取り囲んでいる。

 どうやら連中は暴力で誰でも服従させられると思っているらしい。

 これだからDQNは嫌いなのだ。

 

「オイコラ、もう一遍言ってみい、ワレ」

 上等だ。世の中には暴力の通用しない近代理性の持ち主がいるということを教えてやる。

 例えば、この、俺のような。

「あの、僕が言いたいのは……ですね、その、人違いなら、他を……」

 少し物足りない気もするが、これだけガツンと言ってやれば十分だろう。

 俺が踵を返し颯爽と立ち去ろうとすると、ロン毛のデブが先回りして俺を大男の方へ突き飛ばした。

「聞こえねーな、オイ」

 ロン毛のデブはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら詰め寄ってきた。

「クソ、何なんだよお前ら!」

 まったくもって最悪の厄日だ。

 モテ期到来の筈が、一体なぜこんな連中に因縁を吹っかけられなければならないのか。

 俺が狭い輪の中でじりじりと後ずさっていると、人垣の向こうでパラガスの声がした。

「失礼ですが、マッシュに何か用事があったのではありませんか? 初対面でユーザーネームだけ知っているということは、少なくともカードのことですよね」

 パラガスに問い詰められて、糞ビッチはぎこちなく頷いた。

 

「ま、まあ……そやけど?」

 助かった。

 普段のパラガスはすっとろいが、こういう時だけは宇宙からの電波を受信するのか、宗教の逸話みたいな訳の分からない度胸を発揮するのだ。

「蛍、いいの? コイツ、この間アンタのスカート覗いてたヤツだよ」

 糞ビッチの反対側で、前髪にメッシュを入れた目つきの悪い女が顎をしゃくった。

 まるで俺が地面にはいつくばって覗こうとしたかのような口振りだ。

 こんなバンドマンのなり損ないみたいなヤツに、変態呼ばわりされてたまるか。

「見てねーよ、全っ然、見てねーから!」

 俺のまっとうな申し開きに、糞ビッチは言いがかりをつけてきた。

 

「ハァ? 何ゆうてるん、チラッチラ、チラッチラこっち見てた癖に」

 なんて自意識過剰な女だ。

 不潔でケバいヤリマンの癖に、じろじろ見られるだけの価値があるとでも思っているのか。

 しかるべき統計調査を行えば、痴漢の冤罪事件の87,5%はこういうパラノイア患者が引き起こしているということが判明するに違いない。

「あ、あれはお前が……自分で晒してたんだろ!」

 そう、俺は覗いてなどいない。偶然見てしまっただけなのだ。

 不潔なものを見せつけたことを、むしろこの恥知らずに謝ってほしいくらいだ。

 それなのに、今度はヘッドホンをかけたチビが悲鳴を上げた。

「えーっ! ガチで見てたってこと? 変態じゃん! ルミ、コイツ変態だよ!」

「そんなの最初から分かってるって」

 こいつらは何が何でもオタク=変態の定理を適用したいらしい。

 そんなものはテレビが始めた外人ネタのようなものに過ぎないというのに、馬鹿はあっさりメディアに洗脳され、鬼の首を取ったように変態変態と喚き散らす。

 おまけに馬鹿の信じたことが真実にされてしまうあたり、世も末といったところか。

 

「まあ、丁度ええわ」

 俺に関する揣摩臆測を交換する二人を黙らせ、糞ビッチは俺の胸ぐらをつかんだ。

「おい、変態。どっちか選べや。ここで土下座して『ごめんなさい、僕はド変態です。蛍さんのパンツをガン見していやらしいことを色々考えたり、家に帰ってオカズにしてしまいました。お詫びに何でもするから許して下さい!』ってゆうか、それとも黙ってウチのゆうことを聞くんか」 

 一体どこに選択の余地があるのか。

 ここで土下座して『ごめんなさい、僕はド変態です。蛍さんのパンツをガン見していやらしいことを色々考えたり、家に帰ってオカズにしてしまいました。お詫びに何でもするから許して下さい!』と宣誓するのは完全にオプションだ。

 相手はDQNだ。一体何を命令されるか分かったものではない。

 少なくとも、全員にアンプレションの特製フロマージュをご馳走するような生易しいことでは済まされないだろう。

 俺は覚悟を決め、最後の手段を決行した。

「ごめんなさい、僕はド変態です。蛍さんのパンツをガン見していやらしいことを色々考えたり、家に帰ってオカズにしてしまいました。もう二度としないのでどうか見逃してください!」


「却下!」

 糞ビッチは制服のネクタイをひっつかみ、力任せに俺を絞り上げた。

「そら往生際悪いで、キノコ頭ァ……観念せんかい。それともなんや、いたいけな女の子の頼みも聞けんのか?」

 糞ビッチはエジプトの壁画のような目を剥いて俺を睨み付け、ラメでギラギラ輝く唇の間からヤニに染まった前歯が見えた。

 この山姥の一体どこがいたいけな女の子だ。

 ハイセンスで頭脳明晰で品行方正な俺を辱める権利が、お前達のような野蛮人にあってたまるか。

 痛烈な批判はネクタイに絞められた首で止まってしまい、前後にがくがくと揺さぶられながら、俺は仕方なく首を縦に振った。

 

「その辺で勘弁してやってくれないかな? 彼はこれでもウチのお得意様でね。君たちはどう? ウチのお客様に勘定していい?」

 助かった。

 普段は放任主義のマスターも、さすがにコイツらを見過ごすことはできなかったようだ。

「オッサン、煩うして悪かったな。コイツがえらい強情なもんやさけ。他の人の迷惑にならんように、ちゃちゃっとかたしますわ」

 糞ビッチは俺を解放し、対戦コーナーのテーブルに黒革のバッグを置いた。

 中から聞こえてくるのは化粧道具のぶつかり合う音ばかりで、教科書が入っている気配など全くない。

 頭の中身が如実に反映されているという訳だ。

「したら本題といこか……用ゆうんは他でもない、お前の後生大事に持っとる、それや」

 よろめきながら立ち上がった俺に、糞ビッチは指を突きつけた。

 ターコイズブルーのネイルが伸びた先には、ベルトにかけたデッキケースがある。

「ウチのために作って貰お思てな。日本で一番強いデッキを」

 予想外の一言に、思わず声が裏返ってしまった。

「デッキ? デッキって何の?」

 これはcarnaのデッキだが、コイツはどのカードゲームの話をしているのか。

 Deal with Demonsか、carnaか、五行大戦か。

 よもやギャルゲ版権もののマジカルアリーナではあるまい。

 いや待て、そもそも連中は俺を探していたのではなかったか。

 俺の名前を聞いたとすれば、恐らくはcarnaがらみだ。

「なんや文句あるんかい、ワレ」

 俺が独り言をつぶやいていると、大男がメンチを切り、地獄の底より低い声で毒づいた。

 こんな腕力だけの男に負ける程弱くはないが、俺はインテリ肌の男だ。暴力は似合わない。

 ここは一つ、強者の余裕で見逃してやるとしよう。

「い、いいえ……でも、その、見た感じカードゲーマーじゃないし、とてもじゃないけどデッキがご入り用とは……」

 そうだ。こんな連中に俺のデッキの価値が分かってたまるか。

 俺がこのデッキにどれだけ熱意と努力を注いだと思っているのだ。

 それともなにか。猿どもが要らん知恵をつけたのだろうか。

 このデッキに入っているホイルだけで、5万は軽く超えてしまうということを、コイツらは分かってカツアゲしているのか。

「ああ、それか? それはな……」

 他の全員が固唾を呑んで見守る中、糞ビッチはバッグを漁り、闇の底からファッション誌を取り出した。

 カードがファッションアイテムになったのか、はたまた芸能人がプロモーションしているのか。

 いずれにせよ、とばっちりを食らう俺の身にもなってほしいものだ。

 無造作に雑誌をめくり糞ビッチが見つけた特集は、しかし、輪をかけてバカバカしい代物だった。

「これや、これ! carnaクインズカップ、入賞者には協賛ブランドのチーフデザイナーがオリジナルのカクテルドレスをプレゼント!」

 要綱をよく見てみると、参加できるのは女性のみとある。

 サマーグランプリがなくなるという話は聞いていたが、こんな血迷った企画を通すためだったとは。

 新規ユーザー開拓に奔り過ぎて、carnaの運営にもとうとう焼きが回ったらしい。

 餌で釣って男を締めだせば、今からcarnaを始めてみようかと考える女もいるかもしれないが、土台が女というものは純粋にカードゲームを楽しめるようにはできていないのだ。

 ごく一部の例外を除いて。

「カードなんてやったことないけど、調べてみたら関西大会二位のヤツが隣町の店に出入りしてるゆうやんか。女ばっかの大会やったら皆初心者やろうし、コイツに協力させたらウチでも優勝あり得る思てな」

 糞ビッチの話が終わりもしないうちに、俺は早くも腹を抱えて笑い出していた。

 自分では名案を思い付いたつもりなのだろうが、傑作にもほどがある。

 そんな風に考えられるのは、それこそカードをやったことがないからだ。

 このドヤ顔だけでも持ち帰ってブログにup出来ないだろうか。

 俺は尻ポケットのアクオスに手を伸ばしたが、大男に睨まれていることに気がついて止めた。

「無理無理、強いデッキ使ったら勝てるとか、小学生かよ。carnaは子供向けの出したら勝てるゲームじゃないから。お前にマスター出来るほど簡単じゃないから」

 それに、女王なら紗恵さんがいるではないか。

 正真正銘、carnaプレイヤーの頂に君臨する女が。

 女性限定大会などというのは、あの人がいる時点で最初から詐欺みたいなものだ。

「ハァ? そんなん、やってみんと分からんし。つべこべ言わんと作れや!」

 呆れ顔の俺に、糞ビッチはムキになって食いついて来た。

 人が親切に道理を教えてやったというのに、これだからバカは困る。

 carnaがどれだけ繊細で高度なプレイングを要求すると思っているのだ。

 俺は言い返そうとして、寸前で考え直した。

 いや待て、これはチャンスだ。

 奴らに投げさせれば、これから先付きまとわれることもあるまい。

「それもそうだな。一度プレイしてみれば分かるだろ。デッキ貸してやるから、そっちで1ゲームやろうぜ」

 俺がcarnaの難しさを、たっぷりと教えてやる。


 一番手前の席を使って、俺は最難関現役突破コースの授業を始めた。

 勿論糞ビッチにに理解して頂くのはcarnaの極意などではない。

 所詮DQNの海綿脳では、俺たちの営為など理解できるはずもないという、たった一つの真実だ。

「ええと、実際にcarnaをプレイしたことは?」

 いつの間にか、騒ぎを聞きつけた連中が見物に集まってきている。

 DQN共め、せいぜい醜態をさらしてギャラリーの目の前で恥をかくがいい。

 俺が質問すると、糞ビッチは金髪を指で巻きながら目を泳がせた。

「なんや、その……カード買うにも、ちゃんと教えてもろてからにしよ思て」

 やれやれ。俺はこれ見よがしにため息をつき、肩をすくめて見せた。

 態度のデカい奴に限ってこれだ。他力本願にも程がある。

 そんなことだから順当に落ちぶれて、現にお前はDQNをやっているじゃないか。

「やる気の程が窺えるねえ。大会に参加するプレイヤーは、みんな少なくともお前よりは真面目だろうな」

 この一言にはそこそこ効果があったらしい。

 糞ビッチは肩をいからせ、無駄にすごんで見せた。

「もう一遍言ってみんかいワレ! ウチかてこれでも必死なんや!」

 黙れ。お前のような怠惰な女には必死という言葉を使う資格などない。

 夏の大会に、源との雪辱戦に向けて、俺がcarnaに一体どれだけの情熱を注いできたことか。

 それを賞品目当てで群がってきたこんな豚共のために、不意にされてしまったのだ。

 餌で釣って無理やりカードをやらせたところで、こんなDQNにカードの醍醐味など分かる筈がない。

 それなのに、なぜ運営にはそんな簡単な事実も分からないのだろう。

 俺は怒りを噛み潰し、手を左右に振りながら糞ビッチの言い分を認めてやった。

「分かった分かった。俺が責任を持って教えてやる」

 ただし、お前が勝手にやめるというなら話は別だ。

 クラブハウスでも廃工場でも好きなところに逃げ帰り、クスリをキメて野良犬とファックでもしていろ。

 それがお前達のようなクズにふさわしい喜びというものだ。

 俺は自分のデッキをシャッフルし、テーブルの上に置いた。

「ゲームが始まったら、まず手札を5枚ドローする」

 まだ何もしていないのに、糞ビッチはいきなり目を白黒させた。

「ドロー? 手札?」

 コイツは何を言っているんだろう。

 まさかドローが分からないということはあるまい。

 ドローも山札も、小学生が知っているフツーの日本語の筈だ。

 それとも何か、これは俺に外国語で話せということか。

 

「今蛍さんの目の前にある、デッキの本体の方。それを山札って言います。その上から5枚を手にとって下さいね……、そうそう、そうやって持ってる分のカードが手札です」

 俺の懸念は間違いではなかったらしい。

 パラガスに言われて、糞ビッチは慣れない手つきで平積みされた水着姿のチナポンをドローした。

 糞ビッチの手札を目の当たりにしてパラガスは俺に一瞥をくれたが、チナポンのどこが悪い。

 俺だって人に貸す羽目になるとは思っていなかったのだ。

 どんな柄のカバーを使おうが、俺の自由というものではないか。

 俺は気を取り直して、カードを指さしながら序盤の動きを説明してやった。

「じゃあ手札を確認な。『風来坊のコメット』『浅葱色のシュシュ』『まんまる尻尾のナージャ』『肉球アニス』『罪の天秤』。罪の天秤はスペル、それ以外のカードはイコン、つまりキャラだな。左上に書いてあるのがカードのコスト、右下の数字はパワーとアニムだ。コストってのはカードを使うために必要なエネルギーで、手札を捨てるか、イコンにアニメイトさせることで支払うことが出来る。イコンがアニメイトできるコストはアニムと同じだ。ただし、コストの支払いは同じ色のカードか相生色のカードにしか出来ないから注意しろ。相生色は属性ごとに決まっていて、このデッキの場合、水色のカードから紫のカードにコストを支払うことはできるが、紫のカードから水色のカードはダメだ。このデッキの基本的な作戦はコメットで殴ってフォロアでアニスをカーナ、コメットでステファニーを探してきて次のターンにステファニーをカーナしていくというものであるからして、まずはコメットをスタンバイ、次のターン確実にクラックを狙うためにも、天秤をスタンバイして相手のイコンを焼けるようにしておく必要があるだろう。問題はコメットのコストに何を捨てるかだが……有事の保険としてシュシュを残しておかないと危険だな。ナージャを捨てる方が賢明だろう。分かったか?」

 これだけ一度に話されて、平気でいられるだけの脳味噌など持ち合わせてはいまい。

 我が勝利を確かめようと糞ビッチを窺ったそのとき、目の前に拳骨が広がった。

「分かるか!」

 俺はギャラリーを巻き込んで転倒し、安物のスツールは乾いた音を立ててひっくり返った。

 上唇と鼻の痛みは血が巡る度燃え上がり、口の中が血の匂いで満たされる。

 後ろ頭は妙に重たいし、メガネもどこかに行ってしまった。

 クソ、絶対今ので脳細胞が10個くらい死んだ。

 よくも俺の、俺の聡明な脳味噌に傷を付けてくれたな。

 貴様のようなクズとでは脳細胞一つ一つの単価が違うというのに。

 俺は鼻を押さえながら、それでも余裕の笑みを見せつけてやった。

「へっ、この程度のことが分からないとか、お前、カード向いてないんじゃないの? なあ、ユキト、お前は分かったよな?」

 ユキトは俺の下から這い出し、俺たちを見比べてからおずおずと答えた。

「うん、まあ……何も難しいことは言ってなかったかな……」

 ユキトに聞いたのは大正解だった。

 6つ以上年下の小学生に分かると言われては、糞ビッチも立つ瀬がなかろう。

 小学生でも分かることが理解できないお粗末な高校生諸君は、口々に恨み言をつぶやきこそすれ誰も俺に口応えできない。

 突っ込んだつもりで俺を殴った糞ビッチでさえ、今や間抜けな顔で凍り付くばかりだ。

 分かる。手に取るように分かるぞ。

 コイツの神戸限定キャラメルコーン本格レアチーズケーキ味な脳味噌が、一体何を考えているのか。

 自分に人並みの知性が備わっていないことを悟り、今すぐ土下座して『調子に乗ってすみませんでした。私にはあなた様の足を洗うだけの値打ちもありません』と許しを請うしかないと理解した、これは正にそういう顔だ。

 

「今の聞いたか? 全国大会どころか、小学生に負けてるようじゃな……悪いこと言わないから、似合わないことは今のうちに止めておけ」

 床についた手がフレームレスのメガネに触れ、俺はメガネをかけなおしてゆっくりと立ち上がった。

 殴られたときに広がったのだろう、鼻あてが馬鹿になり、メガネがすぐにずり落ちて来る。

 踏んだり蹴ったりの一日だったが、これで俺も晴れて自由の身だ。

 さあ、ひれ伏して謝るがいい、能足りんのDQN共め。

 俺が悠然と糞ビッチを見下ろしたそのとき、テーブルの向かい側でパラガスが立ち上がった。

「マッシュ、前提が間違ってるよ。ユキト君はベテランじゃないか」

 パラガスめ。お前は一体どっちの味方だ。

 俺は目元に皺を寄せてパラガスを睨み付けた。

 今追い返さなければ、俺たちのオアシスはコイツらに征服されてしまうかもしれないのだ。

 ここはお世話になっているマスターのためにも、俺に味方するのが筋というものだろう。

「細かいことはおいておいて、とりあえず試合を通しでやってみましょう。試しにキャラを出してみてください。裏向きにカードを出して、同じ色の手札を捨てて……そう、それで表向きにすると、出したことになります」

 いつの間にかパラガスがティーチングを始めている。

 糞ビッチが慣れる前に、何とかして止めなければ


「マッシュ、前提が間違ってるよ。ユキト君はベテランじゃないか」

 パラガスめ。お前は一体どっちの味方だ。

 俺は目元に力を込めてパラガスを睨み付けた。

 今コイツらを追い返さなければ、俺たちのオアシスは征服されてしまうかもしれないのだ。

 ここはお世話になっているマスターのためにも、俺に味方するのが筋ではないのか。

「細かいことはおいておいて、とりあえず試合を通しでやってみましょう。試しにキャラを出してみてください。裏向きにカードを出して、同じ色の手札を捨てて……そう、それで表向きにすると、出したことになります」

 不味い。いつの間にかパラガスがティーチングを始めている。

 本人はお人好しでやっているつもりだろうが、いい迷惑どころか俺は大ピンチだ。

 攻撃するでも展開するでもなく、パラガスは呪文の的にするためわざと小さいイコンを並べたり、ガードさせるためだけにか弱いイコンに攻撃させたりした。

 こんなものは本当の試合ではない。形だけのおままごとだ。

 見ているだけで吐き気がこみ上げ、頭がキリキリと締め付けられる。

 何とかしてこの茶番を止めさせなければ、こっちがおかしくなってしまう。

 俺が拷問に耐えながら突破口を探っていると、糞ビッチがとうとう自滅プレイをしでかした。

 パラガスのイコンが三匹も並んでいるのに、場をがら空きにして大型イコンを出そうとしたのだ。

「違う! なんでそこでステファニーを出すんだ! アニメイトに二匹もイコンを使ったら、次のターン守り切れなくてアウトだろ!」

 俺は糞ビッチからステファニーを取り上げ、ありったけの声でどなり散らした。

 この場での正解は「赤羽白の巴を使って先ほど捨てたミステルの枝を手札に戻し、相手に攻撃を躊躇わせて次のターンステファニーをカーナ」だ。

 これなら除去以外での横やりは入ってこないし、パラガスが出したイコンに後出しで対処できる。

 流石にそこまで的確な処置をこの能足りんに求めるのは酷というものだが、守り手が足りていないことくらいは幼稚園児にだって分かりそうなものではないか。

 現にユキト達も声を押し殺して笑っている。

 こんなバカに使われた俺のデッキが不憫でならない。

「そ、そんなん分かってるし」

 糞ビッチは言い訳しながら巴をカーナしたものの、手札に戻したのは肉球アニスだった。

 

「違ーう! お前攻めることしか考えてないだろ! 守らなかったら敵の攻撃で死ぬの! あっという間に負けるんだよ!」

 

 糞ビッチは盛大に舌打ちしてアニスを墓地に叩きつけた。

 効いている。アドバイスがこの上なく効いている。

 しかしこの絶好のチャンスにも、パラガスは結局攻撃せずにターンを終えてしまった。

 この勝負、何が何でも負けるつもりらしい。

 対する糞ビッチも期待を裏切らない。

 休む間もなく、次のターンでまたポカをやらかした。

「お前さあ、何でそこでアニスを伏せるんだ? 手札が減ったら殴り切られるって、さっき言ったばっかりだろ? 鶏でも3歩歩くまでは覚えてるっていうのに」

 そもそもアニスは、ステファニーに連続攻撃させるために入れたのだ。

 初心者は片っ端から無軌道にカードを出そうとするから困る。

 俺は肩をすくめたついでに、鶏が羽ばたく真似をした。

 

「オイワレ、立場分かっとんのか? ホンマに絞めたってもええんやで。このチキン野郎」

 

 突然大男が俺の襟首を締め上げ、俺はなすすべもなく宙で足をばたつかせた。

 喉元で息がせき止められ、天井の八間は黒いノイズがかかって見える。

 ギャラリーの悲鳴が遠のく中、俺はプライドをシャワー室に送り込み、大男に平謝りした。

「言い過ぎました、言い過ぎました。すんません、ホント反省してます……でも、危なかったのは本当なんですよ。安全を確保するのは」

 どうだ。つま先さえも地面についていないが、間違いなく平謝りだ。

 俺の大人な対応に好きなだけ恐れ入るがいい。

 

「ヒロキ、降ろしなよ、オッサンに口挟まれると面倒でしょ?」

 ロッカーもどきに諭されて、大男は漸く俺を解放した。

 感情的になったのは失敗だったようだ。

 理不尽な扱いを許すつもりは毛頭ないが、とにかく今は冷静になるしかない。

 糞ビッチがどんなに墓穴を掘ろうとどうせパラガスは見逃すだろうし、そもそも糞ビッチが勝とうが負けようが俺には関係ないではないか。

 横やりが入らぬよう、いかにもアドバイスっぽい言い方で糞ビッチを惑わせるのだ。

「したら、アニスでガード」 

 俺が死にかけていた間に、ゲームが進んでいたらしい。

 盤面を見渡して、俺は早速ため息をついた。

 糞ビッチの手札には、カウンター付の「黒い羽」がある。

 カウンターが決まれば逆転できる場面、この鶏女は、まさかあれをガードしたというのだろうか。

 俺のデッキに、俺のデッキにこんな無様な戦いをさせるとは。

 俺の努力と才能の結晶を汚した罪、その手を切り落とした程度で償えると思うなよ。

 思わず口出ししかけて、しかし、俺はプライドを飲みこんだ。

 そう、糞ビッチが負けたところで、俺の失態ではない。

 どんなにデッキが強くとも、プレイヤーがヘボでは勝てぬ。

 それを証明するのが当初の目的だったはずだ。

 俺は震える指で糞ビッチの手札を指さし、親切そうにアドバイスしてやった。

「お前さあ、黒い羽を殴らせたら逆転できるの、分かってる?」

 糞ビッチは黒い羽のテキストを読み直し、小さく声を上げた。

 

「え? あ、マジ? ……ホンマやん!」

 やっぱり分かっていなかった。

 この愚かさ加減で、よく大会に出ようなどと思えたものだ。

 一回戦敗退をキメて猿のようにキレ出すところがありありと目に浮かぶ。

「しかも、次のターンで一気に決められる可能性がある。ただそのためにはレーヌをどかさないとダメだ」

 言われて、糞ビッチはパラガスのカードに目をやった。

 木目の浮かんだテーブルの上で、「除霊師レーヌ」は厳かな虹色の光を放っている。

「レーヌは黒い羽の射程圏外だからな。パラガスが単体除去を警戒して先にレーヌを殴ってくれれば何とかなるが、問題は取り巻き二匹が先に攻撃してきた場合だ――」

 俺はわざと話を切り、レーヌの隣に並んでいる、ジャスミンとカチューシャを指さした。

 糞ビッチは食いついてきている。ちっぽけな脳味噌をパンクさせるチャンスだ。

「そのときはどーしたらええん?」

 糞ビッチの質問に、俺は懇切丁寧に答えてやった。

 今この瞬間にどれだけの手筋が生まれているか、その奥深さを思い知るがいい。

「アタックを通すと、ナージャが残って手札が一枚になる。このままでは黒い羽が残っても意味がない。何でか分かるか?」

 聞き返されて、糞ビッチはテーブルの上に視線を巡らせた。

 憐れなDQNよ、今までロクに頭を使ってこなかったツケが回ってきたな。

 カードゲームはインテリの嗜みだ。お前には門を叩く資格すらない。

 せいぜい浅知恵を晒して俺のダメ出しを食らうがいい。

「ええと、殴り切れんから?」

 瞳を僅かに揺らしながら、糞ビッチはかすれた声で答えた。

 クソ、だからお前は糞ビッチなんだ。こんなときだけマグレで当てやがって。

 今ので間違いなく毛細血管が二、三本やられたが、まあいい。

 糞ビッチの脳味噌がオーバーフロー寸前なことに変わりはないのだ。

 

「あー、はいはい、そうですよ。で、何が邪魔なのかというと、この場合はナージャなわけだ。ナージャが起きてるとお前は命拾いする。逆にナージャが寝ていれば……」

 死に底なった糞ビッチに止めを刺すため、俺は矢継ぎ早に質問を繰り出した。

 手こずらせやがって。これで終わりだ、忌々しいDQN共め。

ナージャがガードできひんかったら、そのままやられてしまうん? あれ? ……ちゃう、黒い羽が出るから……でも、ナージャを退かすなんてどないしたら……」

 俺は笑いをかみ殺しながら、冷ややかに糞ビッチを見下ろした。

 入ってきたときの威勢はどこへやら、今や糞ビッチはおたおたと無様に目を回すばかりだ。

 そのアホ面をUストで流してやっても俺を殴った積荷はまだまだ足りないところ、これだけで見逃してやる俺の寛大さに感謝するがいい。

「お前さあ、頭大丈夫? ナージャでガードするだけじゃん。ちゃんと話聞いてた?」

 糞ビッチの顔は真っ赤になり、流れ落ちる汗にアイシャドウが溶けてシュールレアリズムの様相を呈している。

 見たかDQN共、これが知性の勝利だ。

 まあ、こんな当然の結果、誇る程のものでもない。 

 俺の作戦が成功することは、立てた時から保証されているのだから。

「……ええっと、いいかな? 除霊師レーヌで手札にアタック」

 実に涙ぐましい努力だ。パラガス様のお優しいことよ。

 これでは読み合いもクソもない。

 あっけない幕切れに俺は小さく鼻を鳴らした、筈だった。

「え? え? ナージャ? ナージャでガード!」

 糞ビッチは真っ赤な顔で自らの勝利を迎撃した。

 黙っていれば勝てたものを、何故こんな器用な真似が出来るのか。

 ポンコツぶりが深刻過ぎて最早素直に嘲笑うことさえ出来ず、それどころか気の毒になってきた。

 パラガスもこれには度肝を抜かれたらしく、笑顔を忘れて凍り付いている。

 

「……つ、続けてカチューシャで手札にアタックします……」

 しばらくして、パラガスは自滅のための攻撃を再開した。

 その上一発目は見事に外れ、二発目で漸く黒い羽を引き当てた時には動けるイコンなど一匹も残っていない。

 何のための黒い羽だ。既に糞ビッチの攻撃は素通りではないか。

「しまった、ガードできるイコンが残ってない」

 小型イコンを一掃されてパラガスは白々しいリアクションを見せたが、そんなものは元々いない。

 次のターン、最高に疑心暗鬼な糞ビッチの攻撃が決まり、新喜劇は幕を閉じた。

 ティーチングとはいえ、ここまで壮絶な譲り合いを俺は今まで一度も見たことがない。

「なんてゆーか、まあ、お疲れ」

 俺が軽く肩を叩き用済みのデッキを回収すると、DQN達は糞ビッチに駆け寄った。

 糞ビッチはすっかり燃え尽き、仲間たちの声に応えることもなく時空の彼方を見つめている。

「ドレスのことは残念だったけどさ、元々全国大会とか無茶苦茶な話だったんだし、このことはすっぱり忘れよ? 無理してこんな奴らと付き合うことないって」

「そうそう、キモオタの遊びに必死になるなんて、蛍には似合わないってゆーか」

「そーだ、この後皆でカラオケ行かね?」

「それや!」

 DQN共は自分たちで話をまとめ、そそくさと逃げ帰って行った。

 聞き捨てならない台詞がいくつかあったが、俺は大人だ。忘れてやる。

 これだけコテンパンに恥をかかされては、奴らも簡単に戻っては来れまい。


 かくして俺の英雄的行為により、カードショップ「みすまる」の平和は守られたのだった。



 翌日学校が終わると、俺はいつも通り途中下車して「みすまる」に向かった。

 昨日は色々とアクシデントがあったが、俺の活躍のお陰で今日も「みすまる」は平常運転だ。

 あのDQN共がこの店を襲う事ももうないだろう。

 いや、トリシャさんのことを忘れていた。

 今日こそトリシャさんが来てくれるかもしれない。

 招かれざる客が来たからといって、招いた客が来ない道理はないのだ。 

 念のため、トリシャさんが既に来ていた時の応対を考えておくべきだろうか。

 店に入る。トリシャさんが対戦コーナーにいる。

『やあ、待った? ごめんね、小テストが長引いちゃって』

 そしてトリシャさんが告白する。

『俺、ファンの女の子とは付き合わないことにしてるんだよね。そういうの不公平だからさ』

 よし。我ながら完璧。

 夕日を受けて輝く楢の看板を見上げて深呼吸すると、俺は髪を整えてから「みすまる」の暖簾をくぐった。

「やあ、待った? ごめんね、小テストが長引いちゃって」

 俺は最高に清々しい笑顔で突入し、そして金髪の少女が振り返った。

 やはり神は俺の味方だ。おれはやはり選ばれた男なのだ。

「よお、えらい遅かったやんけ、キノコ頭」

 違う。少女だけど、女子高生だけど、コイツは断じて乙女ではない。

 俺は波打つ床の上で足を踏ん張り、血反吐の混じったうわ言を吐き出した。

「馬鹿な……俺はちゃんと追い払った筈だ! こんな、こんなことが…」

 そうだ、俺を待っているのは天使であるべきなのだ。

 天使というのは即ち、セレブで、知的で、教養があって、料理が上手くて。

 要するに、美少女ってことだ。

 あり得ない。こんな理不尽な結末が赦される筈がない。

 これが俺の英雄的大活躍への報いだというなら、神は万死に値する。

「追い払った? やっぱりわざとやったんか――舐めた真似しくさって、一遍ガチでヤキ入れたろか!」

 糞ビッチは俺のネクタイに掴みかかり、勢いよく前後に揺さぶった。

 ユキトたちは逃げ惑って部屋の隅に集まり、俺が助けを求めても情けなく震えるばかり。

 薄情者め。羊でさえもお前達よりは勇敢だ。

 身体が次第に遠さざり目の前が暗くなったそのとき、しかし、不意に糞ビッチは手を止めた。

 駄目だ。世界が暗い。

 ネクタイの滑る音がして、俺は膝から崩れ落ちた。

 

「えー、何々? 西宮高校一年三組 出席番号16 三田武志……あ、コイツ救命カード書いとる。くはっ、真面目キャラか――」

 何だ。何が起こった。

 俺は床にうずくまって咳き込み、それから糞ビッチを見上げ愕然とした。

 生徒手帳、奴の手には俺の生徒手帳が握られている。

 朦朧としている間に抜かれたに違いない。

 俺はよろめきながら立ち上がり生徒手帳を取り返そうとしたが、難なく躱されてしまった。

「――西宮市雲井町! 3の32。舐めとんのかボンボンが!」

 糞ビッチは俺のやんごとなき身分に嫉妬し、俺に生徒手帳を投げ返した。

 人の住所を勝手に見るた癖に、コイツに逆上する権利があってたまるか。

「文句があるのはこっちの方だ! お前よくも俺のプライバシーを……」

 俺のプライバシー。

 その言葉の冷たい感触に、背筋が凍った。

 

「どーしよ、今度、みんな誘って遊びに行ったろか? 何人まで集まれるやろー。さぞご立派なお屋敷やろなー」

 糞ビッチはニヤニヤしながらスマホをいじり、明るい声でうそぶいた。

 それで脅しのつもりか。

 そんなことで俺を従わせられると思ったのなら大間違いだ。

 生徒手帳を拾い上げ、俺は顎をしゃくった。

「へっ、そんなことしたって無駄だからな。お前だって思い知ったろ? 強いデッキを奪ったって、お前には使いこなせない」

 俺が余裕の笑みを浮かべて勝ち誇ると、糞ビッチは歯を食いしばって項垂れた。

 素直で結構、元々お前のようなクズにはカードゲームを極められる筈などないのだ。

 

「せや。よー分かったわ。ウチが一朝一夕で勝てるようになるわけないて……」

 そこまで分かっているなら話は早い。

 俺に自由と平和を返し、尻尾を巻いて逃げ帰れ。昨日のように。

 糞ビッチの隣を通り抜けようとすると、先のとがった着け爪が俺の袖に食い込んだ。

「せやから、毎日来ることにした。まだ予選まで3か月あるし」

 振り返った俺の目を、マスカラに縁どられたけばけばしい眼差しが捉えた。

 もうダメだ。文字通り奴隷の如く酷使されるに決まっている。

 このインテリジェントでクリエイティブなカリスマデッキビルダーであるところの俺が脅迫によって精神の自由を奪われ、あまつさえ、こんな、こんな化粧をした猿のような女にかしずかなければならないとは。

 文明は、俺の信じていた文明は、野蛮の前にあえなく滅び去った。

 シェークスピア、いや、ヘシオドスでさえ、これほどの悲劇を想像し得なかったであろう。

 

「お終いだ……俺の自由が、生き甲斐が……」

 両手で顔を覆い、壁にもたれて運命の残酷を嘆いていると、いつの間に入ってきたのか、パラガスの声が聞こえた。

「ああ、よかった。もう来てくれないかと思っていたから……マッシュが卑劣な真似をしたこと、僕からもお詫びします」

 よかったというのは、俺がコイツに脅されてデッキを貢がされることか。

 将来BIGになってもお前だけには友人Aのポストを与えてやろうと思っていたのに、あっさり掌を返しやがって。

「パラガス! お前どっちの味方だ! あと卑劣って何だよ、狡猾と言え、狡猾と」

 俺が唾を飛ばしながら捲し立てると、パラガスは顔を背けながら言い訳をした。

「どっちもあんまり変わらないような……それにほら、あれだよ。大会に出られないの、マッシュは悔しがってたじゃないか」

 当たり前だ。

 俺の厳粛な大会は、無駄に金ばかりかかった茶番にとってかわられてしまったのだ。

 よりにもよって、こんなちゃらちゃらしたクズ共の為の。

 俺は糞ビッチを指さし、パラガスに無念をぶちまけた。

 

「ああ、そうだよ! 考えても見ろ、知識と経験と志と感性と発想力と判断力と精神力と人間性と博愛と審美眼と見識と包容力と教養と大局観と勇気と道徳観と大器と柔軟性と慈悲と……謙虚さ! 謙虚さをを兼ね備えた俺が出られないのに、こんなクズがなんで大会に出られるんだ! 女だって、女だってだけの、理由で……」

 俺の叫び声が店内に響き渡り、対戦コーナーにいたチビ達が思わず腰を上げた。

 皆にも俺の無念が痛いほど伝わったに違いない。

「えー? それ自分で言う?」

「さすがにタケ兄の性格は……ちょっとな」

「勉強にはなるけど、尊敬とかそういうのはないよね」

「だってよ、謙虚なマッシュさん」

 アキノリめ、最後のは絶対アキノリの声だったろ。

 俺が言い返す前に糞ビッチの蹴りが向う脛に命中し、俺はその場に蹲った。

「誰がクズやて? この腐れキノコが……」

 真実を指摘されて興奮した糞ビッチは無抵抗な俺に容赦のない蹴りを浴びせようとした。

 パラガスが割って入ったのは、もはや幸運としか言いようがない。

 必死で糞ビッチの肩を押さえながら、パラガスは振り返った。

「そうそう、それで、蛍さんは大会に出られるわけでしょ? 蛍さんに協力したら、間接的にでも大会に参加できるんじゃないかと思って……」

 そうか。その手があったか。

 俺のデッキが完璧であることを示すのに、何も俺自身が戦う必要はない。

 現場は下っ端に任せ、将官として、仕掛け人として、プロデューサーとしてTCG業界を牛耳ればいいのだ。

 凡庸なパラガスにも、神が降りて来ることがたまにはあるということか。

 問題はこの馬鹿がプレイヤーとしてどこまで頑張れるかだが、俺のデッキならまだ勝機はある。

「全く、しょうがないヤツだな。懲りずにやって来た諦めの悪さだけは買ってやろう……俺をマッシュ先生と呼びいかなる時も付き従うというのなら、手を貸してやらないこともない」

 

 ジンジンと脈打つ足をゆっくりとさすりながら、俺は糞ビッチの横暴を許した。

 ああ、しまった。俺を称えるのに寛大という言葉を忘れるとは。

 まあいい、寛大は糞ビッチに譲ってやろう。

 さあ糞ビッチ、跪いて教えを乞うがいい。 

 俺は糞ビッチを見上げたが、教えを乞うどころか、糞ビッチは俺を鼻で笑った。

「マッシュ先生? ああ、そのキノコ頭のことかいな。まあ武志と比べたら何ぼか分かりやすーてえーわ……それにしても武志て、お前似合わん名前もろたもんやな。いっそのことシイタケ名乗ったらどーや?」

 なあ、Cタケ。糞ビッチはショッキングピンクの唇をゆがめ、俺のことを見下ろした。

 何がCタケだ。そんな安っぽい蔑称をつけられる謂われはない。

 俺は立ち上がり、パラガスを押しのけて糞ビッチと額でかち合った。

「Cタケ? 俺がCタケなら、お前なんか、ケイで十分だ。やいK、『向上心のないものは、駄目だ!』ホレ、何か言い返してみろよ、K」

 どうだ。上手い返しどころか元ネタさえ分かるまい。

 俺が腰に手を当てて勝ち誇ると、Kが額をぶつけ返してきた。

「黙れやCタケ! とっとと練習始めんかい! 昨日みたいな真似したらホンマにカチコミ行ったるからな!」

 何という尊大な女だ。これが人にものを教わる態度か。

 俺を師と仰いだ以上、俺に仕切らせるのが道理だろう。

 こんな猿を調教して全国を目指さなければならないと思うと、頭が痛くなってくる。

 言い返す間もなく襟首をつかんで引きずり回され、俺は席まで連れて行かれた。