キュウキュニョリツリーT! 1~7をまとめたものです。
「アリスで手札にアタック! ミモザをディアクティベートや!」
これで相手のフィールドはがら空きだ。
最初の手札を総動員した文字通り捨て身の速攻が、無防備な手札に襲い掛かる。
「もう一発、マーシュで手札にアタック!」
Kの咆哮が、店内を駆け巡った。
これが決まれば相手の手札は0、初勝利にリーチがかかる。
最後の手札が墓地に置かれるのを、俺はじっと見守った。
「カウンター、ありません。どうぞ」
Kに火単を持たせたのは正解だった。
運次第で判断力を誤魔化せる、速攻は初心者の味方だ。
こちらの手札は一枚残っているから、次のターン、ミモザの攻撃に耐えることが出来る。
空いた右手で拳を握り、Kは相手にターンを渡した。
「私のターン、ドロー。ミモザで手札をアタック」
相手のデッキは、間違いなく火金速攻。
昨年の全国大会で大流行した強デッキ中の強デッキだが、それも今となっては関係ない。
Kは手札を墓地に置き、小さくため息をついた。
着けまつげに囲まれた目は、八間の光を映して活き活きと輝いている。
初勝利、それも大会となれば、誰しも興奮してしまうものだ。
「ミモザの反応効果発動、山札の上から5枚を表向きにします」
観客の囁き声がぴたりと凪ぎ、カードの置かれる薄っぺらい音だけがテーブルの上に広がった。
この処理でこのターンは終わり、次のターンの攻撃でKの勝利が決まる。
場に出たばかりのイコンには、アタックすることが出来ないのだ。
クイック・レディが、ついていない限りは。
「カチューシャ、虹の絵筆、アリス、メグ……カンナ! エンボディ4でカンナをカーナします」
終わった。
どこからともなく、重い喚声が聞こえて来る。
「カンナのアタック、プレイヤーに直接攻撃」
相手は残ったカードをシャッフルしながら、淡々と宣言した。
アリスとマーシュの間をすり抜け、Kのにやけた顔を射抜く、冷酷無比な精密狙撃。
『弓使いのカンナ』とは、分かりやすくていい名前だ。
フォロアとミモザのクラック効果でこのカンナをばら撒くというのが、火金速攻の基本戦術だった。
「早く次のゲームを準備してください」
突然何が起こったのかKには分かる筈も無く、憐れっぽい視線を俺に寄越してきた。
「お前の負けだ。さっさとシャッフルしろ」
2ゲーム目には先攻虹の絵筆から小型イコンがばら撒かれ、ほぼ即死。
3ゲーム目では丁寧にイコンを潰され、安全確実な一斉攻撃に沈んだ。
Kを責めることはない。
デッキ、知識、経験、読みの深さ。
全てにおいて相手が上回っていた。
「パパー、勝ったー」
可愛らしい勝ち鬨を上げながら、小学生の女の子は父親の胸に飛び込んで行った。
父が娘を抱え上げ、きらきらした笑い声が零れる、正に理想的な光景だ。
「な、何やったん、今の……」
散らかったフィールドを前に、Kは呆然と呟いた。
「まぁ、そんなにガッカリすることもないさ。カードゲームで一番ヤバイのは、あの手の親子連れだからな……よくあるんだよ。親父がカードゲーマーで、子供にデッキを持たせるとこ」
俄かには信じ難いことだが、Kが『みすまる』に通うようになってからもう一週間が経つ。
いつも最後は機嫌を損ねて飛び出していくのだが、翌日店に入ると必ずコイツが座っているのだ。
三日坊主で止めてくれれば、俺としても気楽だったのだが。
俺は顎をしゃくり、細身のオッサンを指した。
「ほら、あの人、ファインマン3世っていってな。阪大の教授さんで、超有名なカードゲーマー」
ファインマンさんはともかく、京子ちゃんがcarnaを始めていたとは。
小学生に上がってからは父親の付き添いに来ることもなくなり、カードには興味がないと思っていた。
意外といえば意外だが、そんなことより、問題はライバルができたことだ。
これから先、どう考えてもあらゆる地区割りで当ってしまう。
萎びた溜め息を漏らしながら、俺はKにデッキを渡した。
これでは全国どころか、店舗大会で一番を取れるかどうかも怪しいものだ。
「マッシュ君、どうした。せっかく彼女が出来たのに」
ファインマンさんは京子ちゃんを降ろし、俺たちに笑顔で近づいて来た。
「どうもこうもないですよ。コイツ、いきなり全国行きたいとか言い出すんですよ」
俺の愚痴を遮ったのは、自分自身の悲鳴だった。
踝が重たい痛みに脈打っている。
Kのヤツに蹴り飛ばされたのだ。
「彼女の方に突っ込まんかい、ワレ!」
コブシの利いた巻き舌で、Kは思いきり怒鳴り散らした。
ただでさえガンガン痛むのに、空気を振動させやがって。
ファインマンさんは呑気に笑っているが、これがノロケに見えるなら、それは大らかさではない。
無神経というものだ。
「蛍言います。御影蛍」
Kが妙に畏まったお辞儀をすると、ファインマンさんもお辞儀を返した。
「初めまして。大蔵です。時々こうして若者に遊んでもらってるケッタイなオッサンですよ。こっちは娘の京子。ほら、京子、お姉さんに挨拶して」
大蔵京子です。
京子ちゃんが傷に響く声で自己紹介すると、Kは屈んで笑いかけた。
「京子ちゃん、えらい強いなぁ。一瞬目の前が真っ白になってしもた」
小学生にボロ負けしたというのに、殊勝なものだ。
辛うじてKが見せた年上の余裕は、しかし、無邪気な一言に粉砕された。
「お姉ちゃんも、今度は頑張ってね」
これはキツイ。
憐れ過ぎていつの間にか笑みが零れてしまう。
普段デカい顔をして歩いているDQNが、知性の庭に入った途端こうも格好がつかなくなるものだとは。
声を押し殺して笑っていると、もう一発蹴りが飛んできた。
Kめ。そんなにローキックの練習がしたければ電柱でも蹴っていろ。
「申し訳ない。生意気なもので、中々口が減らないんです」
ファインマンさんは苦笑を浮かべ、京子ちゃんをマスターのところに連れて行った。
相当早く決着がついたから、恐らくは1番乗りだろう。
アキノリは知らない萌え豚を追い詰め、パラガスはユキトと遊んでいる。
試合が続く他のテーブルを見渡してから、俺はKを振り返った。
「慣れるどころか、一回戦落ちとはな。それもパーフェクト・マッチだ」
ぱーふぇくとまっち? 俺が肩をすくめると、Kは首を傾げた。
「ああ、ストレート勝ちのことだよ。公式試合は3ゲームで1マッチだから、取りこぼしがない時は特別にパーフェクト・マッチって言うんだ」
それもトーナメントの決勝など重要な試合になると、3ゲームが5ゲーム、7ゲームになり、パーフェクト・マッチなどというものはそうそうお目にかかれなくなる。
「なあ、終わってしもたけど、もう帰る?」
ハンドバッグを肩に引っかけ、溜息まじりにKが尋ねた。
信じられん。
ファインマンさん程とは言わないが、貴様にはスプーン一杯の向学心もないのか。
「アホか! 少しでもデッキとプレイングを覚えろよ、ド素人!」
俺はKの後頭部をしばき、奥の席に連行した。
念頭に置くのは火金速攻と水木除去コン、ビート同系戦では防御寄りに、火が見えたらブラフをかけ、伏せカードには常に警戒すること。
よくあるデッキタイプを一通り解説し、対策を教えてやると、Kは珍しく神妙に聞いていた。
トーナメントを勝ち上がったのはアキノリと京子ちゃんで、全員に冷やかされながらアキノリは辛勝し、ファインマン親子の電撃デビューを阻止。
大会が終わって参加者は三々五々に帰り出し、Kも帰るのかと思っていたが、俺がフリーで二、三度対戦しても、カードの交換会が始まっても、何故か今日は帰る様子がない。
「お前、何してるんだ? 練習するでもなく、そんなところでダラダラと」
左右を見渡してから、Kは俺の耳に囁いた。
「まだよー分からんけどな、最近……笑うなよ……ええな……」
いくらなんでも念を押し過ぎだ。
よっぽど格好のつかないことでもあるのだろうか。
にやついた俺の頭に、Kは容赦なく拳骨を落とした。
「笑うなゆーたやろ!」
パラガス達がこちらに気付いて、押し殺した声で笑っている。
なぜ俺まで巻き添えにされなければならないのだ。
「お、お前が変にもったいぶるからだろ!」
幸いKは、俺の弁明に反論する術を持たなかったらしい。
まるで呆れたかのように溜息をつき、コーラルピンクの爪で金髪を巻いた。
「もーえーわ……なんちゅーか、実はな、アレや、ストーカーが居るかも、しれん」
Kがそのことに気づいたのは、五日前のことだったという。
『みすまる』からの帰り道、背後から誰かの視線を感じる。
振り返っても怪しいものは見当たらず、そのときは気のせいだとも思ったが、その後も似たようなことが何度かあり、いよいよ薄気味悪くなってきたというわけだ。
「ストーカーねえ、物好きもいるもんだ」
自意識過剰というか、よくもまあこんなに図々しくなれるものだ。
鏡を見てから出直せと言ってやりたいところだが、俺はKに情けをかけてやった。
小学生に惨敗した後では、可愛い子アピールして面目を保ちたくなるのも無理はない。
「オラァ、Cタケ、お前疑っとるやろ……」
人がせっかく信じてやったというのにこれか。
俺たちがにらみ合いを始めると、すかさずパラガスが割って入ってきた。
「まあまあ。気のせいならそれが一番だけど、念のために駅まではマッシュが送ってあげたら?」
ふざけるな。俺は断じてアッシーなどではない。
なぜパラガスには俺の矜持が理解できなくなってしまったのだろう。
アキノリ共ならともかく、せめてパラガスにだけは、こんな呪わしい発想を口にして欲しくはなかった。
Kが出入りするようになってからというもの、パラガスは本当におかしくなる一方だ。
「ハァ? なんでウチがコイツと一緒なん?」
Kは眉をひそめて俺に一瞥をくれてから、パラガスに抗議した。
「俺だって願い下げだ! そんなことして、人に見られたらどうするんだ!」
こんなDQNとご一緒するなど、そんな屈辱は寧ろその物好きにくれてやる。
いや待て、そうだ、思いついたぞ。
「確かめればいいじゃないか、ストーカーが出てくるかどうか」
俺たちはKを『みすまる』に残し、向かいのカフェのテラス席で店の入り口を見張った。
今のところ、テラスにも、室内にも同業者はいない。
店の中にいるのは、オハバンとギャルと女連れだけだ。
俺は背中を丸め、音もなくウィンナーコーヒーのホイップクリームをかじった。
「マッシュ、やめなよ。行儀が悪いよ」
黙れ。俺はクリームソーダのメロンソーダとアイスクリームを別々に食べる派なのだ。
相手がウィンナーコーヒーになったからといって流儀を変える筋合いはない。
クリームをかき混ぜては、ドリンクの味が濁るではないか。
それでもホイップクリームが半分に減り、コーヒーが僅かに白濁し始めたころ、Kが『みすまる』の中から姿を現した。
「駅の反対側からは誰も来てないな。パラガス、そっちはどうだ?」
Kを見失わないように、間を空けて追わなくては。
カップを傾けて一気飲みしようとしたせいで、鼻にホイップクリームがついてしまった。
「いないよ。見張りに気付かれたかも?」
パラガスは僅かに身を乗り出して通りを見渡してから、小さく首を振った。
とにかく勘定だ。
鼻を拭いてから残ったコーヒーを飲み干し、席を立とうとしたそのとき、『みすまる』の真上からロープが垂れ下り、何かが滑り降りてきた。
くノ一だ。
俺はコーヒーをカップの中に吹き出し、パラガスのパーカーに染みが出来た。
「うわっ! どうしたのさ」
パラガスは顔をしかめてウェットティッシュでパーカーを叩いたが、俺の指さす先に気付いて、素っ頓狂な声を上げた。
まあ、取り乱してしまうのも無理はない。
アキバでもなく伊賀の里でもない地方都市の真ん中に、突如としてくノ一が現れたのだ。
それも真面目な黒装束ではなく、格ゲーやAVに出てくるエロくノ一の格好で。
冷静に対処できるのは、俺のように見慣れている者だけだろう。
「追うぞ、パラガス。アイツだ、絶対アイツが怪しい! 見るからに怪しい!」
大股で店内を通り抜け、俺は注文票に千円札を二枚挟んだ。
釣りはいらん!
注文票をレジに押し付け大通りに飛び出し、大急ぎでKに電話をかける。
早い。Kもちゃんとスタンバイしていたようだ。
「かかった! 女だ! ゆっくりと振り返らずに同じブロックを回れ!」
電話越しに、Kの押し殺した声が聞こえる。
「ハァ? 女? 何やそら」
説明してほしいのはこっちの方だ。
レズなのか怨みを買ったのか知らんないが、一体どこで目を付けられたのだろう。
「女だけど、ヤバい奴だぞ、色んな意味で」
説明は後回しだ。
とりあえず脅しをかけてアクオスをショルダーバッグのポケットに突っ込み、俺はパラガスと一緒にくノ一を追いかけた。
ポニーテールをなびかせながら、背の低いくノ一は素早く物陰を渡ってゆく。
出だしの懸垂降下といい、よくもまあこんな派手なストーキングを敢行できるものだ。
どこかでドッキリカメラが回っているんじゃないのか。
「マッシュ、青信号だ」
点滅する信号に滑り込み、反対側の歩道へ。
二筋先の交差点を、Kが右に曲がった所だ。
続いてくノ一が角に消え、俺たちも小走りで追いかけた。
「よし、ここから先は忍び足だ」
手を伸ばしてパラガスを制してから、俺はさりげなく角を曲った。
くノ一は数m先、スクーターの陰に屈みこんでKの様子を窺っている。
クリアリングを忘れているぜ、くノ一さんよ。
俺はKにもう一度電話をかけ、小声で素早く指示を出した。
「ここで捕まえるぞ。電話してる振りをしろ」
それホンマ? マジキモくね?
Kは大声で教師の悪口を始めた。
他人を騙そうとしている奴ほど簡単に引っかかるとは有名なDwDプレイヤーの言。
このノ一も聞き耳を立てるばかりで、全く振り返る気配がない。
俺はパラガスにアクオスを押し付け、通行人の振りをしてくノ一に後ろから近づいた。
間合いが詰まるにつれ、くノ一の正体が次第に明らかになってゆく。
背は俺やKより一回り低く、黒いタイツとラッシュガードで手足の色は見えないが、僅かに見えるうなじは妙に生白い。
今だ。俺は手を伸ばし、くノ一のポニーテールを捕まえた。
「忍者ごっこはお終いだ! 訳を話してもらおうか!」
決まった。本職の役者でも一発でこう上手くは行かないだろう。
もう少し背が高くて偏差値が低ければ、舞台俳優を目指してもよかったのだが。
「嫌ーっ! 手籠めにされるーっ!」
糞、人聞きの悪いことを抜かしやがって。
向うで子供連れのオバハンがこっちを見ているじゃないか。
俺はくノ一の口を塞ごうとして、思い切り噛みつかれた。
鋭い痛みが指に突き刺さり、今にも左手がバラバラになりそうだ。
大きな悲鳴にパラガスとKが駆け寄り、俺からくノ一を引きはがした。
「さっさと答えんかいワレ!」
気が付くと、Kがくノ一を後ろ手に捕まえ、関節を極めていた。
流石というか、こういうことだけは妙に手慣れている。
「マッシュ、それ、大丈夫?」
大丈夫なわけがあるか。
俺は熱に疼く傷跡を舐め、表面がへこんでいるのを確かめた。
剥き出しになった肉の縁は紫色に変色し、指全体が赤らんでいる。
自分で言い出したことはいえ、Kに付き合うと碌な目に遭わない。
「放すでオジャル、不埒者! ソナタが師匠をたぶらかそうとしていることはお見通しジャ!」
くノ一がもがくたびに、ヘアゴムについたガラスの蓮華が日の光を受けてきらめいた。
怪しげな発音のお公家言葉で喚く、コイツは一体何者だろう。
「師匠って、誰……」
覗いた拍子にくノ一と目が合い、俺は一瞬言葉を失った。
昼下がりの太陽に輝く、アクアマリンの大きな瞳。
それは絵に描いたような、金髪碧眼の美少女だったのだ。
「「K。コイツ、お前の知り合いじゃないよな?」
勿論そんなはずはない。
こんな奇天烈な外人、忘れる方が難しいだろう。
「アホか」
では一体、誰の知り合い、もとい弟子だというのだ。
パラガスを振り返って見たが、やはりこちらも心当たりはないらしい。
「一度『みすまる』に戻って聞いてみよう。マッシュの怪我も手当てした方がいいし――」
くノ一の師匠とやらは、常連客の可能性が高い。
俺の相槌は、しかし、くノ一の叫び声に遮られた。
「マッシュ……師匠でオジャルか? 師匠、マロでオジャル! トリシャにオジャル!」
まさか。俺は凍り付いた。
俺のことを師匠と呼ぶのは、知りうる限りトリシャさんだけだ。
美少女だといいなぁ程度には思っていたが、金髪碧眼はヒロインの鉄板だが、レイヤーまとめスレも決して嫌いではないが!
いつもブログにコメントをくれるあの知性的なトリシャさんが、白昼堂々忍者ごっこに興じる残念な人であるはずがない!
俺は一度深呼吸してから、恐る恐るくノ一に尋ねた。
「と、トリシャさん? トリシャさんなのか? 『夙川日記』の?」
脇ではパラガスとKが訝しげな顔で俺と自称トリシャさんを見比べている。
一台のミニバンがべたついた音を引きずり、束の間の静けさを横切った。
「師匠、助けタモ……」
トリシャさんは目に涙を浮かべ、俺に助けを求めている。
金髪碧眼の美少女に哀願されてはどうにも断りようがない。
俺は肩を落として溜息をつき、事実を認めることにした。
「け、K……俺の知り合いだった。トリシャさんを放してくれ……」
Kが手を放すや否や、トリシャさんは素早く飛び退り、生米をKに投げつけた。
「キュウキュウニョツリーッ!」
いきなりのお祓い殺法に、俺たちは言葉を失った。
パラガスはともかく、無教養なKには何をされたかも分かるまい。
ニットワンピについた生米を払い落とすことも忘れ、呆然と立ち尽くしている。
「師匠、この女に近づいてはなりマセヌ! 今は人の形をしてオジャルが、ソノ正体は賀茂派の陰陽師が放った式神でオジャル!」
忍者の次は陰陽師か。
新たな設定が追加されるたび、心の中に収蔵された『美しきトリシャの肖像』が次々虐殺されてゆく。
「トリシャさん、何だ、その、コイツは百害あって一利なく、忌々しいのも確かですけど、流石に刺客ということは……」
ここは俺もトリシャさんの設定に乗るべきなのか、それとも妄想を解くところから始めるべきなのか。
俺が説明しかねていると、パラガスが手を打った。
「それで、Kさんを差し向けた陰陽師の居場所を探ってたんですね」
乗ったなパラガス。
余計にややこしくなっても、俺は絶対に責任を持たんぞ。
Kは掌を投げ出して無言で何やら訴えているが、今更俺に振られてもどうしようもない。
つやつやとしたポニーテールが躍り、空色の瞳が爛々と輝いた。
浮世は馬鹿ばかりで話の分かる者が少ないから困るとでも言わんばかりの笑顔だ。
確かに浮世は馬鹿ばかりだが、トリシャさんは思い至らなかったのだろう。
同じ分からないのでもレベルが高すぎて分からない場合と、そもそもの前提が隔絶しているので分からない場合があるという可能性に。
「Kさんは、マッシュを騙そうとしていた式神じゃありませんよ。carnaの極意を授かるべく『みずまる』を訪ねてきた、マッシュの一番弟子なんです」
いくらなんでも都合よく脚色し過ぎだ。
これではまるでKが真面目に修行しているみたいではないか。
パラガスの出任せは、やはりというかあっという間に見破られた。
「一番弟子? カヨウに頭の悪そうな女が……聞き捨てナラヌ! マッシュ流構築術の真理に開眼せし者はこのパトリシア・ポンバドゥールをおいて他にナシ! 一番弟子の座、貴様ナゾに譲るものカハ!」
新興宗教臭い言い回しに、パラガスは何か言いたげな視線をよこした。
何やら邪推しているようだが、俺は何も間違ったことは吹き込んでいない。
俺の議論について来られる人間は、今の日本には実際数人しかいないのだから。
「何やワレ、黙って聞いとれば好き勝手抜かしくさって! Cタケ、なんなんやコイツ!」
理解力の乏しいKにも、流石に自分の悪口は聞き取れるようだ。
Kはパラガスを押しのけ、トリシャさんの襟を締めた。
「『第五実験区画』……じゃなかった、俺のブログの常連さんでさ。トリシャさんていうんだけど、近々『みすまる』に遊びに来ることになってたんだ」
代わりにKをつけまわしていたとは、夢にも思わなかったが。
遠慮がちな執り成しはKには全く効果がなく、つま先立ちで耐えながら、トリシャさんは啖呵を切った。
「エエイ、そのケバケバしい手を放すでオジャル! 貴様もカードゲーマーなら、カードで勝負するがヨイ。一体どちらが一番弟子に相応しいか、目に物見せてくれヨウゾ!」
それとも何か、マロに勝つ自信がないとでも?
冷笑を浮かべたトリシャさんを、Kは乱暴に突き放した。
「ええやろ! 吠え面かかせたるわ!」
しめた。
時代遅れの決闘騒ぎも、キャットファイトよりはマシだ。
Kに場数を踏ませるにも、丁度良い機会だろう。
「それならとりあえず、『みすまる』に戻らないか? あそこなら対戦用のテーブルもあるし、多少騒いでも構わないだろう」
二人は顔を見合わせてから、別々に頷いた。
トリシャさんにとっては勝てる勝負、Kにとっては売られた喧嘩か。
『みすまる』に引返す道すがら、二人の後ろを歩きながらトリシャさんの背中を見つめた。
眠たげな春の日差しを受けて、ポニーテールが白金色に輝いている。
この勝負、順当にいけばトリシャさんが勝つだろう。
先日『夙川日記』に載せていた火水ロックなど、相当の出来だった。
carnaを始めたばかりのKとは、キャリアも才能も違い過ぎる。
「トリシャさんって、本名だったんだね」
俺の隣を歩きながら、パラガスがこっそり囁いた。
そういえば、さっきはパトリシアと名乗りを上げていた。
ひょっとすると、住んでいるのも本当に夙川かもしれない。
頭がいい割には迂闊というか、お馬鹿というか、評価のつけにくい人だ。
カードゲーマーをやっている以上、人よりも奇人変人に明るいつもりでいたが、ここまでの傑物には今までお目にかかったことがない。
「さあな。それよりパラガス――」
言いかけて、俺は溜め息をついた。
「どうしたの?」
そこはかとない喪失感に、その声はやたらと温かく染み込んできた。
ヤバい。
こういう風に話すとき、パラガスの優しさには底知れぬ破壊力がある。
村上春樹的に表現すると、それは吹雪の中で立ち寄った丸太小屋で供された、生クリームたっぷりのホットチョコレートに浮かんだマシュマロのような優しさなのだ。
「なんというかこの状況は、アレだ。ある意味、女の子たちが俺という天才を巡り戦おうとしているわけだ。00年代後半の、ご都合主義的なラブコメみたいに」
それは、大衆的な萌え豚どもにとって永遠の憧れである。
そして、洗練と知性によって選ばれたエリートオタクにとって、堕落したバビロン、忌むべき欲望であった。
真のオタクたるもの、その精神も童貞でなくてはならない。
いや、別に妻帯してもいいのだが、決して情欲に孤高の心を失ってはならない。
美少女を遠目に眺め、目で愛する、その萌えという抽象観念だけを愛すること。
それがオタクにとっての、正当なる愛の形なのだ。
「夢が壊されちゃったって? ハーレムの? それともトリシャさんの?」
真実ハーレムとは神経をすり減らせることであり、トリシャさんは奇天烈な日本かぶれの中二病外国人であった。
だが、問題はそこではない。
ハーレムはともかくとして、トリシャさんは一応美人の上、しかもフランス人ときている。
重篤のレイヤーだから、頼んだらメイドや巫女さんの格好だってしてくれるかもしれない。
これ以上望みようがないくらい、想像を絶していたせりつくせりなのだ。
「……さあな」
俺が愛していたのは人間ではなく、トリシャさんという一つの抽象観念、存在の可能性に過ぎなかった。
俺はその事実、即ち己のインテリ性に幻滅したのかもしれない。
止せ。これは世俗に染まる 前兆だ。
まやかしに流されぬよう、心を強くしなければ。
『みすまる』の看板を見上げながら、俺はパラガスに聞こえないよう、小さな声で呟いた。
「タノモー!」
トリシャさんは一番乗りで『みすまる』に突入してしまった。
色々な意味で、想定外の事態だったに違いない。
中からはみんなのざわめきが聞こえて来る。
続いて俺たちが顔を見せると、アキノリが駆け寄ってきた。
「タケ兄! どうしたんだよ、このレイヤーさん?」
おそらく美少女というものに免疫がないのだろう。
鼻の下が伸びきった一々癇に障る顔を、俺は憐れを込めて見つめた。
「さっき話とったストーカーや。式神がどうこう……」
Kめ、余計なことを。
俺は咄嗟に手を伸ばし、無理矢理Kの口を塞いだ。
断じてこいつらに羨ましがらせるためではない。
トリシャさんの名誉の為だ。
「この前話しただろ、俺のファンのトリシャさんだ。ついさっき、そこで出くわしてな。まだ日も高いことだし? 店までご案内して差し上げることにしたのだ……ネカマに引っかかったのだろうなどと言って現実派ぶっていたようだが、間違っていたのはお前の方だったな」
俺は切りそろえた髪をかき上げ、溜息まじりに勝利を宣言した。
Kの舌打ちが聞こえたような気がするが、俺の知ったことではない。
「まあ女に縁のない憐れなお前からすれば、正真正銘にして金髪碧眼の美少女が俺に夢中だというこの紛れもない現実から目を背けたくなってしまうのも致し方のない事だ。今すぐ土下座して『馬鹿にしてすみませんでしたマッシュ様一生下僕としてお仕え致します』と言えばお下がりの一人や二人お前に回してやれないこともないぞ」
例えばKとか。
アキノリは跪き、屈辱に打ち震えながら上目遣いに俺を睨んだ。
俺がKになめさせられた辛酸、お前も味わってみるがいい。
睨み合いはしばらく続くかと思われたが、ここで横やりが入ってしまった。
「師匠、この者達もマッシュ流の徒弟にオジャルか?」
残念、邪魔が入ってしまったか。
だがまあ、これでアキノリも口を慎むことを覚えるだろう。
「この店の常連は皆、俺の門下です。流石にトリシャさんほどの才能を持つビルダーはいませんが」
おまけにアキノリのような、生意気な奴ばかりだ。
少しはトリシャさんを見習って、俺の才能に敬意を払ってはどうか。
「しかし皆、良い顔つきでオジャル。この店もいたく気に入りモウシタ。この格子窓といい、土壁といい、佇まいといい、禅の精神が満ちてオジャル。若者が切磋琢磨する場はヤハリこうでなくては」
和風の内装を見渡し、トリシャさんは目を輝かせている。
蕎麦屋のようで地味な『みすまる』も、青い目にはエキゾチックに映るのだろう。
自分の趣味をべた褒めされ、マスターも相好を崩した。
「ありがとう。多少の無理をしてでも和風に拘った甲斐があったよ……お嬢さん、和食や着物にも興味があったりするのかい?」
こんなにハイになったマスターは、今まで見たことがない。
声が弾み過ぎて、年甲斐もなくスキップし始めるのではないかと不安になってしまう。
もともと自慢にしていたのか、トリシャさんは腰に手を当ててふんぞり返った。
「着物にまでは手を出せなんだが、浴衣は一式揃えてオジャル!」
そのとき、マスターの目がヘアゴムの蓮華に止まった。
「それ、ハスの花? ハスはね、実はウチにも置いてあるんだ」
まさか。俺たちの視線は、一斉にショウケースへと注がれた。
マスターのお宝、超高級加賀友禅プレイマット。
あれは飾っておくだけの非売品ではなかったのか。
どよめきを気にもせず、マスターはショウケースをの鍵を開け、プレイマットを取り出した。
「これも何かの縁だ。良かったら、これを使っておくれ」
薄紫の地に咲いた蓮の花は、角度が変わる度に甘い光を放つ。
太っ腹と言えば聞こえはいいが、老舗に特注した一品ものを手放すのはやりすぎだ。
日本人はどうも日本文化に興味を示した外国人に甘すぎるきらいがある。
「タケ兄、その外人さん誰?」
「すげー、閃光カグラみてー!」
「コウイチ君、なんでそんな古い……」
「お姉ちゃんなんで忍者の格好してるの?」
マスターの太っ腹に謎の歓声が沸き立ち、対戦していたユキトたちもぞろぞろと集まってきた。
「これはもしや、浮世の穢れを祓い、神々に戦いを奉じる為に禁裏で用いられたという、『浄蓮池津五尺織(きよはのいけついさかおり)』! ……これを勝負に使えとナ?」
細やかな染付を食い入るように見つめながら、トリシャさんは恐る恐る訊ねた。
神通力があるとは思えないが、普通に売ったら生地だけで十数万はするだろう。
「プレイマットとはいえ染物だからね。僕みたいなオジサンが飾って喜んでいるより、女の子に使ってもらった方が作った人も嬉しいんじゃないかな」
マスターは、最後の一言以外を華麗に聞き流すことに決めたらしい。
トリシャさんは神妙に頷き、加賀友禅を掲げて大見得を切った。
「Ahhh~これにて舞台は~、ア、整いタリyhhh~! 小娘! いざ尋常に勝負でAihhh~オジャル!」
フジサン・ゲイシャ・スモウ・カブキはジャパンの仇花。
やたらとコブシを利かせてわざとらしく首を回すあたり、トリシャさんも伊達に日本かぶれをやってはいない。
俺たちなどより、余程造詣が深そうだ。
「オラァ! どっからでもかかってこいや! ドサンピンが!」
Kも負けじと巻き舌で怒鳴り返し、親指で対戦テーブルを指した。
威勢がいいのは結構だが、ついさっき小学生相手に一回戦負けしたのを忘れた訳ではあるまいな。
「『ドサンピン』! 人が言うところは初めて聞いたでオジャル!」
ヤクザネタに反応し、Kの挑発に目を輝かせるトリシャさん。
何というツボの分かりやすい人だろう。
容赦のないボケに出鼻をくじかれ、Kは調子が狂ったままトリシャさんに引っぱられる格好になってしまった。
テーブルに授かったばかりの加賀友禅を敷き、早くもトリシャさんペースだ。
「新作『怨霊畑(おんりょうばた)』の力、とくと思い知るでオジャル」
トリシャさんは右足のホルスターからデッキを取り出し、厳かにシャッフルし始めた。
赤い五芒星の描かれたカバーが、禍々しい名前に説得力を与えている。
「二本先取け?」
Kが訊ねると、トリシャさんは鼻で笑った。
「命を懸けた決闘に二本目三本目など無用。一本勝負でノウテハ」
デッキを交換して、お互いもう一度シャッフル。
真剣勝負にイカサマは許されない。
「事故って負けても言い訳すんなや」
蓮華咲き乱れる薄紫マットの上で、二つのデッキが向かい合った。
一番弟子の座をかけた、女同士の果し合いが始まろうとしている。
モテる男は今のところ、体感として辛いというより面倒くさい。
コイントスの結果先攻はトリシャさんに決まり、Kとしては幸先の悪いスタートだ。
「なあ、どっちが勝つと思う?」
俺の質問に、パラガスはそのまま聞き返した。
「マッシュはどっちに勝って欲しい?」
痛いところを突かれた。
結局のところ、一番困るのはそこなのだ。
「トリシャさんが勝って、Kを破門……無理だろうな。弱み握られてるし」
それにKは、俺の教え方が悪かったなどと文句を言うに決まっている。
いっそKが勝ってくれた方が、何事も無くて良いのかもしれない。
「タケ兄、トリシャさんが動いた!」
世間話をする間に、2枚のカードが出ていた。
順当に行くなら、イコン一枚、スペル一枚、Kのターンにスペルを使ってくるだろう。
怨霊の正体や如何に。
俺たちが見守る中、トリシャさんは手札を一枚捨て、右側のカードを裏返した。
「式神ちとせ、出で来て汝の同胞を養え! キュウキュウニョリツリーッ!」
その凛々しい詠唱に、ギャラリーは騒然となった。
「そんな馬鹿な!」
「マジかよ!」
「今のはもしや……」
「これが本物だっていうのか!」
クソ、とんだ誤算だ。
連れてきて早々、コイツらにトリシャさんの正体が知れ渡ってしまうとは。
せっかくのチャンスが、これでは水の泡だ。
カリスマデッキビルダーには完璧な美少女こそふさわしいという真理を知らしめる好機が!
「タケ兄、トリシャさんって……」
立ち尽くす俺の袖を、ユキトが軽く引っ張った。
訊くなユキトよ、いや、全て聞かなかったことにしてくれ。
「いや、これはその、何というか、つまりだな……」
ダメだ。何も浮かんでこない。
今まで数々の電撃的インスピレーションを授かってきたこの明晰な頭脳が、こんな時に限って沈黙を貫いている。
小学生の無慈悲な好奇心は、凍り付いた俺の心にピッケルを突き立てた。
「ホントにイコンを召喚できるの!?」
小学生万歳。
「お前達には黙っておこうと思っていたんだがな……トリシャさんだけには、禁断の召喚呪文を伝授することにしたのだ」
あんな子供だましに引っかかってしまうとは、ユキトもまだまだ青いな。
選ばれし者にだけ妖精さんの姿が見えているとか、本当に思っているのだろうか。
俺はこみ上げる笑いを抑え込み、がけっぷちの真顔で盤面を見つめた。
「スゲー、RPGみてー!」
「ずるいよ、僕にも教えてよ」
「タケ兄、ホントはすごい人だったの?」
気が付けば、トリシャさんに向けられていた憧れに輝く瞳は俺の方を向いている。
見たまえ蛍君。これが俺の実力、いや人望というものだ。
俺が目配せすと、気づいたKはトリシャさんを指さした。
「お前何吹いとんねん! 何も起こってへんやろ。コイツがカッコつけてケッタイな台詞言っただけや!」
Kめ、余計なことを。
試合中くらい少しは集中したらどうなのだ。
お前のせいで小学生たちの視線が心なしか薄ら寒くなったではないか。
ここで取り乱しては面子が丸つぶれだ。
俺はカードゲーマーらしく、余裕のポーカーフェイスで応えた。
「ま、まあKみたいなバカには、見えなくても仕方ないかもな……本物のイコンは」
蓮華の間に召喚されたちとせは、青いフレームの中で後ろ宙返りをきめている。
トリシャさんの設定では、あの上にとんぼ返りのちとせ(霊的存在)が浮かんでいるということになっているのだろう。
「諦めるがヨイ! 開眼者になる資格を持つのは、マロや師匠のような選ばれたごく一部の人間のみ。貴様は生まれた時から、マロ達とは住んでいる世界が違うのでオジャル!」
トリシャさんは左手で金髪を払い、憐れみのこもった冷笑を浮かべた。
選ばれし開眼者、違う世界の住人。
俺のプロフィールに、中二ワードが次々と積み重なってゆく。
たまらずパラガスに目配せしてみたが、返ってきたのは苦笑いだけだった。
「タケ兄、俺、ちょっと安心したわ……タケ兄なんかがいきなりいい女連れてきたら、やっぱショックでかいしな」
アキノリはわざとらしく、ユキト達に聞こえない程度の小声でささやいた。
何も言い返せないと思って、好き勝手抜かしやがって。
アキノリを横目に睨んでいると、Kのだみ声が聞こえてきた。
「舐めよってからに……カーナ! 『底力のマーシュ』、『リンゴほっぺのメグ』!」
Kはセオリー通りに展開し、攻撃の準備に入った。
問題は、トリシャさんのスペルだ。
「オンアミリティウンハッタ、オンアミリティウンハッタ! 定めを告げよ、夢占い!」
トリシャさんはサーチを使い、山札から『猛毒コーニー』を取り出した。
死に際に毒を撒き散らし、敵味方を皆殺しにする陰険なトリカブト。
Kも流石にコーニーの名前は憶えていたらしく、ターンエンドを告げる声にはさっきまでの威勢がない。
「式神コーニー、その呪いをもって敵を滅ぼせ! キュウキュウニョリツリーッ!」
これでもう、マーシュとメグは死んだも同然。
俺の目の前にいるのは、恥ずかしいだけの中二病患者ではない。
トリシャさんは紛れもなく、俺が知っているあのビルダーなのだ。
「フハハハハ! 千年にわたって朝敵から禁裏を守り続けてきた呪詛と猛毒の結界、貴様の剣では破ること叶わヌ! これが年貢の納め時でオジャル!」
バトル漫画に出て来る使い捨ての悪役が口にする自画自賛のようなものが聞こえたような気がするが、多分気のせいだ。
俺の構築理論を十全に理解し、鋭い洞察を見せる論客。
独創的なデッキを次々に発表する『夙川日記』の管理人。
柔軟で迅速な対応によって、盤面を華麗にコントロールする優秀なプレイヤー。
フランスからやってきた金髪碧眼の美少女留学生。
それがトリシャさんという天才なのだから。
「カードを二枚スタンバイして終いや……」
対してKのターンは、何の動きもないままに終わった。
伏せたカードのうち一枚は恐らく、スペル『目眩まし』。
『目眩まし』でトリシャさんのイコンを転ばせ、一斉攻撃で仕留める。
普段のKを思えば、攻撃を我慢できことだけでも上出来というところか。
「マロのターン、ドロー! カードを一枚スタンバイするでオジャル」
コーニーは諸刃の剣だ。
コーニーの自爆に耐えられるパワー5以上のイコンがいなくては、単なる仕切り直しで終わってしまう。
ちとせのアニメイトに加え、追加で手札を使わなければならないのだ。
そしてそれは、トリシャさんがKの射程圏内に入ることを意味している。
「チャンスかな?」
俺はフィールドから目を離さず、パラガスに答えた。
「ああ、多分な」
後一枚。後一枚で、Kのパンチがトリシャさんに届く。
月並みな予想は、逆方向から覆された。
トリシャさんが、守りにあてるはずのコーニーをあっさりと寝かせたのだ。
「魂を商うもの、屍をかしずかせるもの、式神ソーダよ、我が求めに応じて彷徨う霊を甦らせタマエ! キュウキュウニョリツリーッ!」
『死霊使いのソーダ』から濃密な死臭が吹き出し、コーニーとちとせを飲み込んでゆく。
こんなに早いタイミングで、7コストのイコンが登場するとは。
突然現れた大型イコンに、ギャラリーがざわめき出した。
「スペルなし」
Kの宣言と同時に、トリシャさんが左手をつき出す。
とうとうコンボが始まってしまった。
「ちとせとコーニーの命を糧とし、ソーダに捧げん! ちとせは変わり身の術で手札へ、コーニーの呪いによりマーシュとメグも道連れでオジャル!」
Kは渋々従ったが、何が起こったのか分かるはずもない。
目を見開いたまま、フィールドに残った一枚のカードを見つめている。
見かねた俺は、横から口を挟むことにした。
「K、トリシャさんは初めからこれを狙ってたんだ。ソーダでコーニーの効果を無理やり発動させるコンボを!」
能動的に効果を発揮しづらいコーニーやちとせを使っていたのは、ソーダが生贄にしてくれるから。
防御に穴を開けずにハイペースでソーダを出せたのは、コーニーが敵を吹き飛ばしてくれるから。
全て理に適っている。
おまけにソーダの能力は、これで終わりという訳ではない。
「式神ソーダヨ、巴とラムネッタを甦らせタマエ! そして式神巴、山札から『ゴスロリのポピー』を呼び出すでオジャル!」
墓地から新品のイコンが補充され、形勢はあっという間に3対0だ。
手札も4枚に増え、攻撃も通りそうにない。
トリシャさんのテクニカルなデッキに、小学生たちがはしゃぎまくっている。
「おっかねぇ……馬鹿丸出しだと思ってたけど、こんなに強かったのかよ……タケ兄、ホントは分かってたのか?」
アキノリも、ついにトリシャさんの素晴らしさを認めざるを得なくなったようだ。
この程度で驚くと思ってもらっては困る。
俺は腰に手をあて、冷静にトリシャさんを称えた。
「ふむ。流石に俺の一番弟子を自称するだけのことはあるな」
土台が「待て」を覚えたばかりのKには無理のある相手だったのだ。
少々あっけないが、次のトリシャさんのターンでこの試合もお終いだろう。
「ウチのターン、ドロー、カードを一枚スタンバイ、エンド」
Kのデッキには、中型以上のイコンは入っていない。
今出しても、ラムネッタが死んだときの効果で倒されてしまう。
「小娘。これで分かったでアロウ。マロこそが師匠に相応しい弟子であると……マロのターン、ドローでオジャル」
伏せカードは二枚。
フォロアでも狙っているのだろうか。
俺の疑問をよそに、トリシャさんはラムネッタをアニメイトに使ってしまった。
「式神ポピー、滅びの時を手繰り寄せタマエ! キュウキュウニョリツリーッ!」
トリシャさんは続けて、先ほど手札に戻した巴をカーナ。
これはもう完全に、アレを狙っているとしか思えない。
殴りに行けば終わるところを、しかし、一体何故こんなまどろっこしい手に出たのだろうか。
腕を組んで唸っていると、隣でパラガスが小さく呟いた。
「山札切れ?」
ライブラリーアウト。
それは男のロマンである。
コントロール同士が事なかれ主義で攻撃を見送ったり、泥仕合の末の粘り勝ちのことを言っているのではない。
コンボやループを駆使して、あっという間に相手の山札を削り切る驚き。
それがライブラリーアウトの面目なのである。
「なんでこの場面でLO狙いなんだ?」
俺は誰に尋ねるでもなく、問いだけを放り出した。
「きっと――いや、やっぱり好きだからじゃないかな」
きっとの続きが猛烈に気になるが、俺にはそれ以外の理由は思いつかなかった。
何と言っても、利益が全くないのだから。
「このまま止めを刺してもらえると思ったら、大間違いでオジャル! マロに一番弟子の座を返し、師匠に二度と近づかぬと誓え! 誓わぬなら……」
案の定トリシャさんは、悪代官ごっこを満喫しているようだ。
敵に捕まって攻め問いはくノ一AVの定番だが、くノ一が拷問役に回るのというのは中々斬新なアイデアである。
グラドル崩れとは比較にならないトリシャさん渾身の演技にのせられ、とうとうKまで必死に抵抗し出した。
「舐めんなやワレ! 誰が諦めるかい! こんなところで、こんなところで……」
そういえば、これは一応、JK同士による第一回俺・争奪戦なのだった。
俺の弱みを握っている以上、Kが必死になる理由はないのだが。
溜息をつきかけたとき、しかし、ある推測が天から舞い降りてきた。
もしや。
トリシャさんは知っているのではないか。
俺がKに脅されていることを。
無理やり協力させられていることを。
たとえ俺一人を言いなりに出来たとしても、人前で近づかないと宣言してしまっては俺を常に拘束することはできない。
それを全て分かった上で、トリシャさんは恥を忍び、残念極まりない中二病日本カブレを演じているのだ。
「卑怯だぞ!」
「鬼! 悪魔!」
「Kちゃんをいじめるな!」
「らめぇぇ! そこらけは許しれぇぇ!」
黙れお前ら、トリシャさんが俺のために戦っているのが分からないのか。
リクエスト通りのブーイングが飛び交う中、俺は独り声援を送った。
「頑張れトリシャさん! あと少しだ!」
トリシャさんの味方は俺だけだ。
俺の味方はトリシャさんだけだ。
トリシャさんだけが、俺をKという怨霊から解放してくれるのだ。
「オラ、Cタケ! 裏切りよったな!」
裏切ったとは人聞きの悪い。
もとよりお前は俺の敵ではないか。
「師匠、ゴ覧下サレ、これがマロの編み出した新奥義、『怨十貫痩菓子(うらみじっかんやつれがし)』でaiiiii、オジャル!」
トリシャさんは俺の声援にこたえて立ち上がり、ギャラリーに向かって大見得を切った。
「ちとせと巴の命を糧とし、式神ソーダに捧げん! さあポピー、今宵も一つ同胞の命が消えたでオジャル! 余命を数える時の灯、容赦なく吹き消すがヨイ!」
トリシャさんは自分の山札を5枚墓地に送り、Kにも山札を捨てさせた。
恐らく本来はソーダ以外の4枠をスイーツで固め、一気に爆破して山札を削り込むデッキなのだろう。
今の盤面でも、ラムネッタとポピー自身を自爆コンボに巻き込むことで最大15枚削り込むことが可能だった。
「貴様の命運は山札と共に、後三回で尽き果てるでオジャル……今ならまだ間に合うでオジャルよ?」
だがこれでも、Kはトリシャさんの説得に応じない。
「誰が! はよソーダの効果を終わらせんかい!」
トリシャさんはさらに二匹目のラムネッタとちとせを墓地から呼び出し、ターンを終えた。
トリシャさんの防衛ラインは、堅固になる一方だ。
「ウチのターン、ドロー! うさみみアリスをカーナ!」
無駄なあがきを。
ラムネッタの餌食になることくらい、Kにも分かっている筈だ。
「ラムネッタの命を糧に、呪いでアリスを道連れにするでオジャル……もう後がないノウ、小娘。素直になれば見逃してやるでオジャルよ?」
もう一度ポピーの効果が入れば、このゲームは終わってしまう。
歯を食いしばるKを見つめながら、パラガスは小さく首を振った。
「僕のせいだ……一番弟子なんて言わなければ、こんなことにはならなかったのに」
何を残念がることがあるだろう。
明日からはKの代わりに、トリシャさんが来てくれるだけのことではないか。
いや、せっかく隣り同士なのだから、校門前で待ち合わせて一緒に帰ってくればいいのだ。
知らないヤツが見れば、お似合いのカップルに見えないことも無いだろう。
「感謝するよ、パラガス。お前のお陰で厄介払いが出来たんだからな」
そうとも、いつぞやKに肩入れした罪を、これで帳消しにしてやってもいい。
「ウチのターン、ドロー! カードを一枚スタンバイ、メグをカーナ!」
さらばだ、K。
俺はトリシャさんと一緒に全一を目指す。
「……強情な。呆れてものも言えないでオジャル。ヨイヨイ。降参せずともマロが直々に引導を渡してくれヨウ。マロが勝ったら、最初の約束通り師匠から身を引いてもらうが、ヨイな?」
トリシャさん最後の警告。
多勢に無勢のフィールドを見下ろし、Kはかすれた声で答えた。
「好きにせえ……」
これで本当に終わりだ。
Kによる支配も、灰色の高校生活も。
俺は長いため息をつき、トリシャさんを見守った。
「ラムネッタの命を糧に捧げん!」
いや、待て。
何かあと一つ必要なものがなかったか。
二人の山札に目をやり、俺は恐るべき事実に気付いた。
「ラムネッタよ、メグを呪い殺せ! さあポピー、この愚か者に止めを……」
トリシャさんの山札が、残り3枚しかない。
途中で山札回復するのを、完全に忘れていたのだ。
「両者ライブラリーアウトにより、試合続行不可能! トリシャさんのターンなので、Kさんの勝ちです!」
パラガスがちゃっかりと宣言すると、拍子抜けしたギャラリーは互いに顔を見合わせた。
「え? 終わり?」
「……多分。LOでしょ?」
「マジかよ」
さっきまでの熱気はどこへやら。
聞こえてくるのは戸惑いの声ばかりだ。
「何? 勝ったん? ウチ」
当のKは、自分の顎を指さしながら、答えてくれる人を探している。
訊きたいのはこっちの方だ。
あの一方的なゲームで、なぜトリシャさんが自滅するのだ。
こんなことがあってたまるものか。
「口惜しや……メインさえ、メインさえ召喚していれば」
対するトリシャさんは頭からテーブルに崩れ落ち、蓮華咲き乱れる泥沼に沈んだ。
髪留めの蓮華が絹の蓮華と並び、ピンク色の輝きを放っている。
ちゃんと山札回復は入れていたようだが、それを忘れるあたりがこの人らしいというべきか。
出鱈目な幕切れを誰もが扱いかねている中、パラガスが静かに歩み出た。
「ところでトリシャさん、『みすまる』に入ってみようと思わなかったのは、何故?」
それは俺も気になっていた。
Kをつけ回したりせず果し合い来ていれば、俺たちも張り込みなどせずに済んだだろう。
テーブルに顎を乗せてパラガスが待っていると、トリシャさんは突っ伏したまま、顔だけをこちらに向けた。
「ふぎゃっ!」
間近にパラガスの顔を認めて、トリシャさんは椅子をひっくり返した。
どうもパラガスには、人を驚かせるのを楽しんでいる節がある。
お人好しの癖に、全く人の悪い男だ。
「ああ、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんだけど」
尻もちをついたトリシャさんに手を貸し、パラガスはしれっと謝った。
この好々爺め、よくもぬけぬけとそんなことが言えたものだな。
「実は……」
訊ねれて、トリシャさんは何故か少しだけむくれた。
「実は先週、顔を出すつもりだったでオジャル……しかれど、しかれどこの女が……」
頬杖をついて欠伸をかくKの横顔に、恨めし気な視線を注ぐトリシャさん。
呪いだの怨念だの言っていた割に、拗ねた子供にしか見えない。
睨まれていることに気付いて、Kは肩をすくめた。
「どーせウチが通うようんなって、出て来るタイミングが分からんくなってしもたとか、そんなトコやろ?」
溜息まじりに言ってみたところで、所詮はただの当てずっぽうだ。
バカに限って賢そうに振舞いたがるから、本当に始末に負えない。
「アホか。お前と一緒にするな。いいか、人間という生き物はだな、いろいろ事情を抱えて生きてるもんなんだよ……トリシャさん、デリケートな問題なら話すことありませんよ、こんな無神経な奴の前で」
俺とKは互いに一瞥をくれた後、顔を背けて鼻を鳴らした。
Kめ。少しは自分の間違いを認めたらどうなのだ。
俺がトリシャさんを応援した事を、まだ根に持っているに違いない。
「そ、その、デリケートな問題ユエ……」
ああ、トリシャさんの目が泳ぎまくっている。
Kは鬼の首取ったりとでも言わんばかりに威勢よく立ち上がり、全力で俺を指さした。
「ドヤ!」
御影蛍、絶対に許すまじ。
勝ったのは確かにKだが、お前の勝ち誇った顔だけは見たくない。
「『ドヤ!』って何だよ! 俺の言った通りだったろ!」
人が必死に正当性を訴えているというのに、Kはニヤニヤと俺を横目で笑うばかり。
後ろではアキノリ達も声を押し殺して笑っている。
これではまるで俺の方が道化ではないか。
間違っている。こんなのは断固として間違っている。
「まあまあマッシュ、人見知りするにも何かとデリケートな理由があると思うよ」
パラガス、何だその態度は。
勘違いをフォローしてやっているとでもいうつもりか。
それは他ならぬお前達自身の方だということを、知れ。
「でも、トリシャさんも安心したでしょ? 僕たち皆、パッとしないオタクばっかりで」
パラガスは、笑いながらトリシャさんを振り返った。
誰がパッとしないオタクだ。
俺はお前らとは違う、エポックメイキングでハイセンスなオタクなのだ。
安っぽい謙遜に巻き込まれるのは御免こうむる。
俺の不興を買ったことなど知る由もなく、パラガスは続けた。
「くノ一も陰陽師も大歓迎だし、凄腕のビルダーはもっと歓迎。ここはカードショップだからね」
でしょ? マスター。
パラガスに聞かれて、マスターはサムアップを返した。
「勿論。でなきゃお宝を譲ったりはしないよ」
そもそもトリシャさんが訪ねてきたのはこの俺なのだ。
パラガスやマスターに後れを取ってたまるものか。
「お、俺なんか、トリシャさんが来てくれるのをずっと待ってたんですよ! 最初からトリシャさんの味方です!」
どうだ、この感動的な告白は。
普通ならこれで間違いなく軍配は俺に上がるところなのだが、またしてもアキノリに邪魔されてしまった。
「タケ兄、自慢しまくって引っ込み付かなくなってたもんな。本人を知らないくせに」
アキノリの馬鹿笑いは小学生に伝染し、終いにはパラガスまで笑い出した。
甘いなアキノリ。
俺の揚げ足をとったつもりだろうが、墓穴を掘ったのはお前の方だ。
「馬鹿め。俺はトリシャさんを信じていただけだ。ネカマとか言っていた誰かさんと違ってな」
思えば本人がいないのをいいことに、皆随分と好き勝手を言ってくれたものだ。
パラガスまで男だと思っていたのではなかったか。
「ネカマ? マロがでオジャルカ?」
的外れな憶測を聞かされて、トリシャさんもあけっぴろげに笑いだす。
悪代官の高笑いなどよりも、こちらの方がよっぽど良い。
「そうそう、こいつら酷いんですよ、『またネカマに引っかかったのか』なんて」
俺の話が終わった後もトリシャさんはしばらく笑い続け、それから袖で涙を拭い、顔を上げて店の中を見渡した。
「師匠、日本にもこんな場所があったのでオジャルな……日本にやってきたのは、やはり間違いではなかったのジャナ」
散らばったカードを片付けながら、トリシャさんはぼそぼそと身の上話を始めた。
「マロはフランスにいた頃、馬鹿にされてばかりでオジャッタ。年上の生徒ばかりの教室に、ちんちくりんが一人だけ。小さい頃から忍者が好きで、よく忍術の真似をしたり、忍者の格好をしたりしていたが、その度に子供っぽい、オタ臭いと笑われてノウ。マロの情熱を理解してくれる者は、家族にさえ、一人もおらナンダ……」
今のトリシャさんそのままではないか。
失笑を買っているところがありありと浮かびすぎて、何だか胃が痛くなってくる。
「なんやそれ、日本やったら大丈夫みたいな言いぐさやな」
パンツが見えるのもお構いなしに、Kはスツールの上で胡坐をかいた。
「そう、あのときマロには、たった一つの希望があったのジャ……遥か中国よりももっと東には、ゲームと漫画とアニメの本場で、忍者や巫女や陰陽師が街を行き交う、奇天烈な国がある。そこならマロのようなはみ出し者でも、常識人の顔をして生きていけるのではあるまいか、と」
何だその魔境は。俺はそんな国見たこともないぞ。
そんなものを期待してレリゴーしたら、どんな目に遭うか目に見えている。
日本は映画村でも、シオンの丘でもなければ、カモメの修行場でもないのだから。
「それが間違いだったことは、こっちに来て3日で思い知ったでオジャル。日本は……変わり者に冷たい国でオジャッタ。どころか、西洋人だというだけで中々普通には接してもらえヌ始末……すっ、すんすん」
Kからティッシュを受け取って、トリシャさんは洟をかんだ。
「あっちゃー……」
アキノリは小さく声を上げた。
本当の仲間の下へ戻るつもりが、わざわざ孤立無援の敵地を選んでしまうとは。
間が悪いというか、ピントがずれているというか、いらぬ苦労の絶えない人である。
「じゃが、こうしてマロがありのままでいられる場所を見付ける事が出来た……八汐の勧めに従ってみて、本当に良かったでオジャル」
蓮華の描かれた加賀友禅を、白くて小さい手が撫でた。
指先を追いかけて黒い絹に艶やかな波が広がり、また音もなく消えてゆく。
プレイマットを見つめてからトリシャさんはもう一度洟をかみ、丸めたティッシュをKに返した。
「Kとやら、かたじけノウ」
Kは体をのけ反らせて洟まみれのティッシュを躱し、竹籠のゴミ箱を指さした。
「いやいや、いらんから……それより、その八汐ゆーんは? 友達け?」
友達という言葉に、トリシャさんは小さく頷いた。
トリシャさんと同じ中二病仲間か、それともパラガスのような博愛主義者か。
いずれにせよ、今までまるきり孤独というわけでもなかったようだ。
「日本にも、友と呼べる者が一人だけおってノ。迷っていたマロの背中を、その者が押してくれたのジャ……また今度、連れてきてもヨイじゃろうか」
当たり前じゃないですか。
俺が引きつった笑顔で目配すると、皆がバラバラに相槌を打った。
新しい仲間が、立て続けに二人。
我らが『みすまる』は、じりじりと女たちに占領されつつあるのではあるまいか。
トリシャさんが連れて来る三人目が、せめて物静かであることを祈るばかりだ。