これで戦う理由ができたかな?
この勝負、憐さんの勝ちです。
誰に向かってでもなく、パラガスは仏頂面で淡々と宣言した。
衝撃的な逆転劇だというのに、ギャラリーからは歓声もブーイングも上がらない。
聞こえるのは、ガラス越しの暗い雨音だけだ。
淫売の見せつけたプレイングに、店内が凍り付いている。
「……そろそろ終った? 憐」
聞きなれないの主は、付き添いのDQNだった。
どうしているのかと思いきや、あの男、またスマホでパズルをしていやがった。
SOGOの時といい、今日といい、よくそれで女に愛想を尽かされないものだ。
「うん、意外とあっさり終っちゃった」
DQNを振り返り、それから淫売はカードを片付け始めた。
硬いビニールがぶつかり合う、乾いた音。
カードゲームをやっていれば、そのうち嫌でも耳にすることになる。
勝者が敗者を置いて行く音だ。
「さっさと帰ろうぜ。いい加減暇だしさ」
負けた。
俺のデッキが。
こんなド素人に、それも、カードを馬鹿にしたDQNに。
それも全国レベルの高等技術を見せつけられて。
何たる屈辱。
何たる冒涜。
これではカードゲームに身を捧げた者たちが浮かばれない。
俺は淫売を睨み付けたが、何も言い返すことはできなかった。
この世界に於いて、敗者の言葉には何の力もないのだ。
「うん。約束は覚えてるよね? お姉ちゃん」
何もなかったかのように、淫売はにこやかに話しかけた。
そういえば、コイツはKを連れ戻しに来たのだったな。
Kは片付けも忘れて、茫然と盤上を見つめている。
無理もない。
あれだけとんでもない逆転を食らった直後なのだ。
事態を飲み込めという方が酷というものだろう。
「お姉ちゃん?」
淫売は立ち上がり、テーブルを回って犠牲者の死に顔を覗き込んだ。
一瞬だけ見えた表情は、ぞっとするほど恍惚としていた。
「ほら、帰ろ?」
テーブルに手をつき、力なく立ち上がるK。
それはしかし、淫売の手を取るためではなかった。
「帰ればええんやろ! 帰れば!」
淫売の手を叩き落とし、Kはドアへと駆け出した。
盤面どころか、鞄まで放ったまま。
「K!」
「お姉ちゃん!」
「Kさん!」
皆が口々に呼び止めたが、そんなもの、今のKには石を投げられているのと大差ない。
カーディガンの背中は少しも振り返らず、店を飛び出して行ってしまった。
試合後の挨拶どころか、片付けも俺任せか。
全く、マナーどころの話ではないな。
俺のカードだけが残ったプラスチックのテーブルを眺め、頭をかきむしった。
Kめ、これはお前のデッキなんだぞ。
これきり取りに戻らないつもりではなかろうな。
「可哀相なお姉ちゃん。こんな子供の遊びに必死になって、それでも私には敵わない……夢も自信も失って、雨の中を逃げ回っているんだわ」
淫売は白々しく、ハンカチで涙を拭った。
そしてここぞとばかりに抱きしめるDQN。
この期に及んで茶番とは、呆れて物も言えない。
「それにしても、可哀相な人たち」
茶番に飽きると、淫売は思い出したように振り返った。
「こんな狭くて汚いところで、可哀相な人たち同士陰気臭い遊びに時間とお金を費やして……恋や青春を知らないまま、可哀相な大人になっていくのね」
Kの次は俺たちか。
誰でもいいから、常に他人を憐れんで、もとい見下していないと落ち着かない。
どこまでもふざけた女だ。
いい加減、一言言ってやらねば気が済まない。
いの一番に歩み出たのは、しかし、俺ではなくパラガスだった。
「憐さん、もし僕たちが可哀相に見えるなら、それはあなたの人生が貧しいからです」
いつもと同じ、角のない穏やかな声。
ただ、あのパラガスが他人を罵倒したという事実だけが、俺たちを驚愕させた。
淫売め、余計な真似をしてくれたな。
この手合いがキレると、本当に何が起こるか分からんぞ。
見える。
今の俺にはありありと見えているぞ。
ブレザーの背中から、見えないものが濛々と立ち上っているのが。
「帰ってください。あなたにはこれ以上、この店に居て欲しくない」
それがお人よしの顔で、さらさらと言う台詞か。
並々ならぬ殺気を、淫売も流石に察したらしい。
言い返そうとしたDQNを制して、淫売は素直に引き下がった。
「言われなくても。こんな店、もう用はありませんから」
平静を装っているが、明らかに声が上ずっている。
淫売の狼狽ぶりに、思わず少し笑ってしまった。
一応パラガスが一矢報いたということになるのだろうか。
淫売は踵を返し、半ばDQNを引きずるようにして逃げていった。